「一護の大馬鹿野郎っ!」
登校と同時に、一直線に走ってきた浅野君が珍しく黒崎に拳をキめた。
黒崎は、殴られた腹をさすりながら文句言ってたけど、浅野君は殴った黒崎に抱きついたまま大泣きを始めている……ちょっと、羨ましいとか思ったり……してるつもりはないんだけど。
「……どうしたの?」
席で一部始終を目撃してしまった僕は声をかけずにはいられなかった。
完全に泣きに入っている浅野君も気になるけど、かわせなかった黒崎も変だ。わざとだったのかもしれないけど、いつもだったら避けるのに。
「聞いてくれ石田! 一護が重い裏切りを! 重大な背徳行為をっ!」
浅野君が突然僕の方を向いて、今度は僕に泣きついてきたから、理由もわからないから仕方なくそのままにさせておく。
「裏切りって?」
「一護が! 一護がっ!」
僕に泣きついてきた要領を得ない発言を繰り返して半分嗚咽でろくに日本語を話せない浅野君の肩を抱きながら、黒崎を見ると、バツが悪そうに顔を背けた。
………?
何か、言いにくい事だろうか。黒崎の態度だって何か、いつもと違って歯切れが悪そうにしている。
「畜生っ、一護! 俺達みんなで童貞同盟じゃなかったのかよ! この裏切り者!」
……俺達って……その不穏な同盟の中に、僕は入って無いよね?
いや、女の子とは未経験だけど……いや、だから知らないうちにもしかしたら加入しているらしい同盟に加わる資格があるのかもしれないけれど……。
でも、裏切りって………。
「一護ねえ、彼女が出来たんだよ」
にこにことした小島君が……
………え?
一瞬、僕の時間が止まった。
「まだ、付き合ってねえよ……」
黒崎は心底機嫌が悪そうにしていた……けど、その表情は照れているんだって、仲良くなったら解った。そんな顔をしていた。
彼女?
僕達の年齢を考えたら、なにもおかしいことじゃない。このクラスだって、耳を澄ましていれば、誰と誰が付き合っているのかだなんて噂はよく耳にする。
黒崎は顔は怖いけど、怖いからって悪いわけじゃないし、むしろかっこいいと思うし、根は優しいし……女の子が放っておかないのは、何も不思議な事じゃない。
……彼女?
……僕の感情は固まってしまったのか?
今、何も、思わない。
何だ?
だって、黒崎が、誰か好きな人を見付けたんだ。
「黒崎に恋人って、なんか……意外だな」
僕が、取り乱してないのが。
「そりゃ悪かったな」
黒崎は不貞腐れたような顔をして、頭をガリガリ掻いた。
眉間のシワが深くなってるけど……でも、頬が少しだけ赤くなってる。
「そっか。良かったね」
「うるせえ。だからまだ付き合ってねえって! 告白されただけだって!」
「あはは一護、照れてる」
泣いてる浅野君と茶化してる小島君と相変わらず何考えてるか解らない茶渡君と。
いつも、になった、面子。
その中で……僕は笑顔で居られる事が不思議だった。
浅野君が泣きながら、黒崎がツッコミ入れて、小島君がそれを茶化して、僕が、笑ってたのが、その日はすごく不思議だった。
僕の感情は、固まってしまったのだろうか。
僕は本当に好きだったから。
僕は黒崎が大好きだった。だから。
黒崎の為に死ねるとか言わないけど、さすがにそんな事言わないけど、せめて黒崎の背中守れるようにはなりたかった。
どんどんつよくなる黒崎の背中を追いかけて、僕も負けたくないって思ってた。
高校に入学した頃、あの頃、僕は悔恨で自我が崩壊寸前だった……何もできなかった自分。何かしていたとしても、どうにもならなかった弱かった自分。
思い出すだけで、僕が、壊れると思った。
あの頃はほとんど毎晩、師匠の夢を見ていた。朝まで眠れた日の方が少なかった。僕は夢の中で何度も師匠をくり返し殺していた。僕の、せいだ。
僕が未熟で、僕が強くなかったから……だから僕が殺した。全部死神のせいにして、それでも、眠れなかった。
今は、もうあの夢は見ない。
黒崎のおかげ。
だから好きになった。
そう思っているだけで、実際は黒崎の大きな霊圧に触れた時からかもしれない。暖かい、大きな、強くて、守られるような、そんな霊圧……僕が欲しかったもの。
僕は、黒崎が始めから好きだったんだろう。
好きで居続けても仕方ないと思うくらい好きだった。死ぬまで僕は黒崎が好きだ。それでいい。
伝える気なんかないんだ。
両想いになりたいだなんて、そんな事を思った事すらなかった。ただ、黒崎が好きだ。
だから………。
扉が、ガンガンと叩かれている。ついでにチャイムも連打されている……うるさい、事に気づいた。
それで、ようやく外が暗くなって居たことに気付いた。
時計の表示は20:18。
いつの間にか、時間が経っていた。
どうやって帰って来たのか覚えてない。あの後ちゃんと授業を受けていつもどおりに過ごせていたのか覚えていない。
帰ってきて、制服も着替えず、鞄も床に投げたまま、僕はただ座り込んでいた事に、ようやく気付いた。何も覚えていなくても、時間は勝手に過ぎていたようだ。
チャイムは相変わらず、連打されている。
……来てる事なんか霊圧でわかるのに、いや……今気づいたけど。
ドアの前にいる、巨大な霊圧。霊圧に色なんか無いのに、死神の霊絡は全部赤いのに、それでももっと赤い色をしている気がする。
しばらくして……勝手に入ってきた。あ、鍵かけてなかった。
「お前、電気ぐらい付けろって」
「ああ……そうだね」
阿散井が電気をつけると、いつもの僕の部屋。
「……どうした?」
「…………」
どうしたんだろう。
何やってんだろ。
「……お腹空いた? ごめん、ご飯食べたくないから、今日は何もないよ」
「具合、悪いのか?」
悪いのかなあ。
寝たいわけでもないし、お腹も空かないし、どこも痛くない。
なんか……空っぽ。
「黒崎に好きな人が出来たんだ」
それだけで、十分伝わったと思う。
黒崎に、僕じゃない好きな人ができたんだ。
「……そっか」
阿散井は、僕の隣に座った。
近い場所に座ったけど、触れないような、手を伸ばしてもようやく触れるような、そんな場所。
「喜ばないの?」
君が好きな僕は、本日失恋確定しました。
もともと成就させる気もなかったけど、それでも、やっぱり失恋したから。
阿散井は、喜ばないの?
「……俺はお前を笑わせたいって思ってるから、泣かせる要因作る奴を許せねえ」
「泣かないよ」
ずっと、そのつもりで居たんだ。覚悟なんか最初からできてた。
わざわざ泣くわけない。諦めるだなんて、そんな事初めから決まっていたんだ。始めから期待すらしていない。
「だって、泣いてないだろ?」
涙が流れてないのが、僕にだって不思議な気がした。
悲しい……と、思うより、胸の一部に風穴が空いたようで……どうやって何かを感じて良いのか解らない。
「……石田」
阿散井は困ったようにしていた。僕に伸ばそうとした手を、どうするのかと思ったら、頭なんか掻いてみたりしていた。
いつもは僕の許可なく僕に触るくせに。
「でも、やっぱり、ちょっと辛いかな」
辛くないかと言えば嘘になる。
ずっと好きだった。
ずっと好きで居たいと思ってた。
彼女が出来たって、好きで居ることぐらいできるけど……。
それじゃ、やっぱり駄目なんだ。きっといつか何かで漏らしてしまったら……それは黒崎が僕に抱いてくれている友情に対して重大な裏切りだ。
諦めるなら、早い方がいい。諦める、チャンスなんだ。
いつか諦めるって決めてた。いつかが今になっただけだ。
諦めるって、勇気が必要だ。
ずっと好きだったんだ。
「阿散井、慰めてくれないか?」
阿散井の胸に頭を預けた。
そう言えば、僕からこうやって阿散井に触るのは初めてかもしれない。
額を阿散井の胸に押し当てると、阿散井に優しく抱き寄せられた……。阿散井らしくない、触れ方だったから、笑おうかと思ったけど。
阿散井の体温に安心した。
儀骸のくせにかいなんて、変なの。本当の身体じゃないのに。
「石田、別に、俺は気にしねえぞ」
ばーか。
泣いていいって言われて泣けるか。
その代わりに、僕は阿散井の服を握り締めた。
「しようよ、阿散井。今だけでも忘れたい」
僕は、そっと阿散井の首に腕を回した。
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20121109
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