「石田、好きだ」
「有り難う。僕もだよ」
気軽にそう答えてしまったことを、僕は後悔せずには居られない。
……ああ。どこでどう間違えたのかと訊かれれば、あの時だとピンポイントで答えることができる。
その頃、よく屋上で浅野君達とお昼ご飯を食べることが多くなってきていたから、その空気に馴染みすぎてしまっていた。
浅野君は見事にボケ担当らしくて、みんなに冷たくあしらわれると救いを僕に求めるようになっていた。僕は彼のあしらい方が良くわからないまま慰める係りとして定着してしまった。浅野君を慰めると泣きながら、石田ぁっ! 好きだぁ、とよく言われる。始めのうちは戸惑っていたけれど、浅野君の好きは浅野君にとってのありがとうと同義語だとはすぐに気づいた。好きだという意味と有り難うは、彼のせいできっと同じようなニュアンスとして認識してしまっていたのかもしれない。
あの時は作っていたニットの毛糸が余って、黒崎にマフラーをあげた時だったと思う。
黒崎はマフラーを握りしめてしばらく見つめていた。その時は特に何の反応も無かった。大して凝ってもいないし、一晩で暇つぶしに仕上げた普通のただのマフラー。技術はあると思うからそれなりの出来だと思うけど、要らないなら返してもらっても誰かにあげても捨ててくれてもかまわない物だった。
寒い時期だったから、黒崎は毎日僕が上げたマフラーを使うようになった。どうやら気に入ってくれたらしい。適当に作った物なのに、少し申し訳ない気分もした。
確か、あれは二人きりで帰り道だったと思う。
『マフラー使ってくれてるんだね』
『ああ……まあ』
『ありがとう』
そして、せっかく使ってくれるんだったらもうちょっと気の利いた物を作ってあげれば良かったかなって、少し思った。その気持ちを込めたありがとうだった。僕の感謝を付属すればその適当なマフラーも少しは価値が上が……ればいいけど。
黒崎はしばらく何も言わなかった。
『石田、好きだ』
黒崎は、よっぽどマフラーを気に入ってくれたのだと思った。それから、ありがとうの意味を込めて同じ言葉を返した。
ありがとう、との意味もあったし。黒崎を友人としてとても好きになっていたから。時々……むしろ頻繁に喧嘩をしたりするけど、基本的に一緒にいて疲れない相手で、僕も本音を言えたし黒崎も気を使わない相手として認識してくれているんだと思っていた。
だから、友情を認めるって意味での、好きのつもりだった。
その、直後、キスをされた。
そのときにようやく僕は、意味を取り違えていたことを理解した。
「あ、黒崎。君が言ってた参考書、その本棚に入ってるから持っていっていいよ」
今日、黒崎が泊まりに来た日。
あの時、僕は黒崎の好きの意味を理解した。理解したつもりになっていた。しばらく悩んだ。それでも基本的は男同士で友達だ。特に何が変わるわけでもなかった。
いつか、ちゃんと僕の気持ちを黒崎に伝える必要があるとは思っていたけれど、そんな機会も訪れず、今。
それまでも勉強会と称して僕が黒崎に勉強を教えるために泊まりにくることがよくあった。勉強会って言っても、黒崎が勉強してて僕は僕で勉強をしたければするし、テレビを見たければ見るし本を読みたければ読んでる、勝手に他のことをして、黒崎が解らなくなったら僕が教えて、黒崎が飽きたら話したり、一緒に借りてきた映画を見たり。黒崎が近くにいてもあまり気にならない。黒崎も僕のうちに来て自由にしている。
それは、今まで通りだった。
泊まりと言っても寝る時は客用の布団はないけどホットカーペットはあるから毛布とで冬場でも床で寝てもらっていたし、それは相変わらずに続いていた。僕は家主だからベッドで寝る。
だから、つい、忘れかけていた。
ご飯も食べ終わって黒崎が先に風呂に入って、それから続いて僕も入る。でてきた時に黒崎が数学の問5とまだ格闘していたから、声をかけた。
先日参考書を買おうと思って忘れたって話をした。僕は先日他の参考書を買って、そっちの方が使いやすかったので今までの物を黒崎に譲るという約束があったことを思い出した。
「どれ?」
「そこ。背表紙が緑の方は駄目だよ。青い方」
「お、これか」
さて、どうしようか。このまま出ていっても良いだろうか。
基本的に一人暮らしでユニットバスだから、いつも持ち込むのは下着とTシャツぐらいだった。カーテンを開けていれば外から見られる可能性もあるけれど、風呂に入る時間は基本的に夜だし、ふつうに暗くなったらカーテンを閉める習慣くらいある。
黒崎が来るとき僕は気を使ってパジャマを全部持ってきていたけれど、今日に限っていつも通り、忘れた。
けど、別に。
……男同士なんだし。全裸で出ていくわけではない。ちゃんと下着は着ているし、Tシャツも着ている。
問題ないよな?
そして、すっかり忘れていた。
「なんか、好きな相手が、風呂上がりで髪が濡れてたり、無防備な格好だったりするシチュエーション、けっこうクるな」
「そう?」
「石田は? どんな時にぐっとクる?」
「んー…、考えたことがなかったけど、そうだね。仲良くなってから僕の部屋に二人きりとか、そんなのがいいかな」
特に考えていった言葉じゃなかった。その時に、セオリーとされている告白のパターンをいくつか思い描いたけれど、キザに夜景が見える場所とか、放課後の教室とか、そう言う場所よりも、もう少し落ち着ける場所の方がいいかなって、そう思って言っただけだった。放課後の教室は、気心知っていて、僕も気になっていて仲が良くなった子からは嬉しいと思うけれど、知らない相手という可能性もある……というか、あった。もちろんお断りしたけれど、なかなか気まずい思いをしたので、僕としては却下。
だから家に呼べる程度に仲良くなってから……とか考える僕はロマンチストの部類に入ってしまうのだろうか。
「………石田」
から、忘れてた。
「黒崎?」
持ってくるのを忘れていたパジャマを探してタンスを開けた。別に下着を着ていないわけじゃないし、寝る時用に買ったLLのゆったりサイズだから下着だってそんなに見えないし、僕の足なんて見られたって減るもんじゃないけど、気心知れた仲とは言え、一応黒崎はお客様なので、パジャマの下ぐらいははこうと思った。一人だったら、シャワーを浴びて汗が引いてからにするけど。
タンスを開けて、引き出しから着ようと思った服を見つけて、引っ張り出そうとした時。
後ろから、抱きしめられて、心臓が止まった。
いきなり何をするんだ!
って、言うつもりの口は、黒崎によってふさがれた。
僕の口と黒崎の口が……という事はつまり、今、僕はセカンドキスを奪われてしまっている。
「………」
何でこうなっているのか、しばらく僕は頭が回らなかったけれど……。
しまった! 黒崎が好きなのは僕だった!
そして、僕が好きなのも、どうやら黒崎らしい!
うっかり訂正する機会を逸してしまっていた。いつかちゃんと言おうと思っていたけれど、黒崎があまりにもいつもと変わらないから、あの時奪われたファーストキスは白昼夢だったんじゃないだろうかとも思えるようになってきていたから……。
だから、
僕のことを好きだという黒崎の気持ちは嬉しかった。僕のことを気にかけてくれている好意は本当に嬉しかった。僕も今まで滅却師の修行ばかりでまともな学生としての生活をしたことがなく、友達も居なかったから。
黒崎と仲良くなれたことが本当に嬉しかった。僕にとって、黒崎は特別な存在だった。特別な友人……を、親友って呼ぶのだろうか。
だから……黒崎の好きの意味を、理解していたつもりでもあまり深く考えていなかった。
今から、じゃ、遅いよな。
黒崎が僕に唇を押しつけるようにしてキスをしている。
ちょっと、この体勢きつい……。後ろから抱き込まれるようにして、無理な角度でキスをしているから、首、痛い。
押し返そうとしても、黒崎は後ろにいる。殴ろうとしても後ろに居る。
さて、どうしたものか。
とりあえず黒崎が気が済むまでキスをしてから……それからが、勝負だろう。
気を引き締めなくては。
黒崎が僕を好きだって言ってくれたのは嬉しいけど、僕は黒崎を特別な存在だとは思っているけれど、恋愛感情は良くわからないって……それを伝えなくては。
黒崎が、僕の唇を舐めた。
「んっ……!」
舐めたっ!
舐められた! 何だ、今の?
ぞくりとした震えが身体に走った。気がした。僕は、こんな感覚を知らない。
「ん、んっ、んーっん」
離せ黒崎! ちょっと待て!
そう、言いたかったけれど、顔が黒崎に固定されてしまっている、口が離れないから、喋ることすらできない。この至近距離で鼻息をかけるのもはばかられてしまい、呼吸もろくにできないって言うのに!
黒崎の舌は、僕の唇の上をゆっくりと這った後、僕の口の中に……。
ちょっ!!
何を、するんだ?
キスってこんなこともするのか?
特に今まで興味がなかったとはいえ……唇をくっつけることがキスだと思っていた。いや、それがキスなんだろうけれどディープキスという言葉を聞いたことがあるが、深くも考えたことはなかった。強く押しつけるキスだと思っていた。
けどっ!
「んっ……ん、ぅ、ん」
黒崎の舌が僕の口の中に入り込んできて、僕の口の中で動く。歯や、舌を黒崎の舌が僕の口の中を舐める。
なに、これ。
呼吸が苦しいせいだろうか。世界がぐるぐるする。苦しい。
力が抜けるのに、頭が膨らんで意識が膨張してくるような感覚がする。
力が、抜ける。間接から力が抜ける。体重を支えられなくなって膝が折れそうになるのを、必死で僕に回された黒崎の腕にしがみついた。それでも、僕の指にも力が入らない。
ぐるぐるする。
体重は僕の背にある黒崎に全部預けてしまう。
自分で立っていられなくなる。
苦しいのに、早く解放されないと僕はこのまま窒息して死んでしまうのだろうか。それなのに、どうやって黒崎が離れてくれるのかわからないどころか、僕は口の中にある黒崎の舌の動きを追いかけることばかりに気を取られる。
ぬるぬるとした変な感覚。生き物が口の中にいるみたい……でも何故か、気持ち悪いわけじゃなくて……。
力が、抜ける。
「……あ」
膝が折れた。
間接に力が入らない。骨が溶けてしまったかのように、身体がぐにゃぐにゃになってしまったような、そんな気がした。
床に座り込んでしまった。
黒崎は僕を追って、僕の目線の高さに合うように、膝を付いた。
何をするんだっ! って、怒りたいのに、僕の呼吸はまだ整わない。酸欠になってしまったのだろうか。僕の口は酸素を取り込む以外の仕事はしようとしてくれない。
もう少し、落ち着いたら、少し怒ろうと思う……けど……。
怒りたいのは僕だよな? 当然だ。突然こんなことをされて、口から力を吸い取られてしまったようで、僕は立ち上がることすらできない。僕が怒るべき所のはずなのに。
黒崎は、申し訳なさそうな表情をしているわけではなかった。当然、してやったり的にほくそ笑んでいる訳でもなかった。
とてもまっすぐに、僕を見ていた。
強い眼差しだった。敵を見る時と同じくらい、鋭くて真剣な目で……僕を見てる。
あまりにも真剣な、表情で、僕は怒られるのかと思った。
「そんなカッコで……誘ってるって、思っていいんだよな?」
誘ってる? って、なにが?
何に僕は黒崎を誘ったんだろう? 今度勉強教えてって言われたから、今日来るかって訊いたのは確かに僕だけど。
「石田……いいか?」
「……」
確かに、いい。って、思った。気持ちいいって。良くわからないけど。くらくらする。お酒を飲んだ事はないけど、酔っぱらうのはこういう感覚なんだろうか。くらくらする。頭の中が鮮明じゃないのに、感覚器官は鋭敏になっているような、不思議な感覚。
気持ちいい、だなんて、恥ずかしくて言えない……でも、僕は下を向いて、小さく頷いた。だって、キスはとても気持ち良かったんだ。
好きだとは言われていたけれど、その好意を受け取った事になってしまっているけれど、あの時キスされたけれど、もしそれがまたあったとしても、それ以上の関係にはどうやったってなれないって、僕は高をくくっていたんだ。また、こうしてキスをされてしまったけれど……それで、気持ち良かったりはしたけど……
僕達は男同士なんだ。
キスは唇という体表面にある部位の接触だから、誰とでもできる。こんな風に口の中まで使ってのキスをすることになるとは思わなかったけれど。
それでも保健体育で勉強した限りでは、恋愛の果てに行き着く子孫繁栄の本能に伴う羞恥にまみれた行為は、どう頑張っても男女間でしか行われないようになっている。
だから……考えていなかった。
ゆっくりと、黒崎が近付いてきて、また、キスをされるんだろうとぼんやり考えた。
気持ち良かった。
まだ、くらくらする。
怒ろうと思ったけれど、気持ちよかったのは、悔しいけれど事実だ。
また、キスをされた。僕は目を閉じる。ふんわりと触れる。柔らかいって、思った。筋肉ばっかりで堅い身体をしているけど、唇は柔らかいということは、僕の中での大発見だった。
黒崎の唇は柔らかくて気持ちがいい。
僕の唇のもだろうか。
黒崎も、僕の唇と接触をして、気持ちがいいって思っているのかな。だったら、嬉しいけど。
これ以上倒れないように、黒崎の肩に手を置いて、支えにした。
黒崎の唇が重なる。柔らかく触れたまま、感触を味わうように、動く。
気持ち、いい。
もっと、欲しくなってしまうのは何故だろう。
もっと黒崎の唇を感じたくて、僕は知らずうちに黒崎の首に腕を回していた。
ぼくはようやくそれに、気が付いた。
何しろ……黒崎が僕の、に、触れたから!
「……っ!!」
黒崎が触れたのはまさかの、場所だった。
「ちょっ! やめっ、どこ……あっ」
突然、下着の上から、僕のが黒崎の手で揉まれてる……とかっ!!!
一体どんな事態に直面しているんだ僕は!?
当然物心付いてから、誰にも触られたことがない場所だ。自分でだって排泄の時と、性欲の処理をするために一人でする時……も、結局排泄と同じ意味を持つと思うけれど……その時ぐらいしかわざわざ触らない場所に。
黒崎が、触っている。
「やっ……やだっ、黒崎っ!」
しかも……僕はいつの間にこんなに大きくしていたんだろう?
黒崎が触れたからって言っても……見なくてもわかる、大きくなってることぐらい……。きっと、キスをしている時にこんなになっていた、気持良かったから、その事はわかるけど……今、黒崎が僕のを握っている……だからつまり黒崎にそれがばれたって事だよな……。
どうしよう……泣きたい。
恥ずかしくて泣きたい。
「石田……優しくするから」
優しくって……何がだよ。
「怖がんないで」
……怖がる?
その単語が、あまりにも意外だったのと、僕の心模様に的確に適合していた事に、ひどく驚いた。
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