白亜の闇 18










「そろそろ起きたら?」
「あ………」
「迷惑なんだけど。イビキうるさいし」


 黒崎が、ようやく頭を持ち上げた。ここがどこだか把握していないようで、ぼんやりとした目付きで周囲を見回した。

 陽も暮れてしまい、外はすでに薄暗い。

 この時間なら部活をやっている生徒もいるが、ほとんど校内には残っていないだろう。しんと静まり返った校内は、夏も近いこの時期でも、肌寒さを感じる。


「悪い、俺寝てたっ!」
「見れば解るよ」

 飛び起きた黒崎に、わざと、大きく溜め息をついて、その態度を見せつけた。

 下校の準備は整っている。片付けも終って荷物もまとめてある。あとはここの被服室の鍵を職員室に返して帰るだけだ。

 僕が扉に向かって歩き出すと、黒崎は鞄を掴んで、慌てて僕の背を追ってきた……。


「じゃあ、僕は職員室に寄って帰るから」


 電気を消すと、薄めた墨汁を空間に散布したような闇が広がった。鍵を、かけてこの部屋を閉じ込める。


 痕跡は、消したはずだけど……黒崎に見られたくない。
 僕を見られたくない。

 僕と一護が繋がって居たことを、少しも気付かれたくない。誰にも知られちゃ駄目だ。僕だけの秘密でいい。



「大丈夫か?」

 横を歩く黒崎が、僕に声をかけた。
 職員室に寄って帰るから、さようなら。そう言ったつもりなのに、黒崎はなにも言わずに、僕の横を並んで歩く。


「何が?」
「なんか具合悪そう」


 …………悪いよ、具合。

 早く帰って寝たい。

 真っ直ぐ歩く事が、ただ背を伸ばし立っている事が、こんなに辛いなんて思わなかった。そのくらい腰が痛いんだ。繋がっていた場所がまだひりひりとする。この前のように怪我をしたりはしなかったけど、それでも慣れない行為に身体は悲鳴をあげていた。


「何でもないよ」
「だって、何か辛そうだぜ?」

 君が居るからだよ。

 君が居なければ、苦痛を我慢しなくて済むんだ。
 いつものように背筋を伸ばして歩く必要もない。黒崎が居なければ、僕はこの場にしゃがみこんでも、誰にも咎められる事もない。誰も居ないから。


「少し風邪気味なんだ」
「マジで? 大丈夫かよ」


 黒崎が、手を伸ばしてきて、どきりとする。

 さっき……最後に、一護が僕の頬に触れた、手……。


 その、手。



 僕は、わざと気付かないように、その手を避けた。同じ手なのに、触れられたく無かった……彼に優しく……僕を懐柔するための演技での優しさであっても、一護が僕に優しく触れてたその手で、黒崎が僕に触って欲しくなかった。

 黒崎が、僕に向かって伸ばして、結局行き場を失った手を、握り締めていたのに気付いたけど、それすら気付かないふりをした。

 黒崎が、僕に不用意に優しさを見せてもらいたくない。

「送るよ」
「……馬鹿じゃない?」

 そんな、義理もない。
 早く君と別れたい。
 苦痛を我慢するのが、まず苦痛なんだ。


 鍵を返して下駄箱まで向かう。すっかり暗くなった。黒崎が来たのは終礼が終ってすぐだったけど、もう校舎にはほとんど誰も残っていなかった。

 黒崎が寝ていたのは、ほんの僅かな時間。
 僕は……一護と繋がっていた。暗くなるまで、終った後も、繋がったまま、一護は僕の頬に手を置いて、ずっと僕を見ていた。

 僕は、言葉を忘れてしまった。彼の手の平が僕の頬に伝える体温が、何よりも饒舌だと感じた。


 喉が、痛いから、軽く咳き込んだら、黒崎が僕の背に手を置いた。それが嫌で、僕は少し早足になる。

「早く帰ろうぜ」

 行為の最中は気付かなかったが、だいぶ声を上げたようで、喉が張り付くように渇いていた。

「………そうだね」

 さすがに、その意見には賛成だよ。お腹が空いたけど、今日は、何も食べたくない。早く寝たい。何も可も忘れて、眠りたい。夢は深遠な闇でいい。


「何か、出そうで、夜の学校とか、怖くね?」
「は?」

「いや、見えるけど」

「………黒崎?」

 僕はどういう反応を返して良いのか解らなくなって、つい黒崎の横顔を見つめた。黒崎は、僕の視線を感じたのか、ちらりと僕を見て、頭を掻いた。怖いって、何がだろう?

「三組の自殺した女生徒の自縛霊なら、さっき通りすぎたよ」
「いや、見えるけど。解ってっけど、何か暗闇って苦手なんだよ」

 その自縛霊が実体化した化け物を、自分が霊体になって倒してるの、どこのどいつだよ。


「お化け屋敷とか、実は苦手」

「……へえ」

 変な奴。
 お化け屋敷とかは、確かに驚かそうとして作られているから、心臓には良くない。好き好んでいきたいとは思わないし、行ったこともない。

 でも、変な奴。
 人間は夜行性じゃないから、暗闇を恐怖する本能は確かにあると思うけど。
 何か出そうだって、その出た化け物倒してるの、君だろう? そう、思うとおかしい。

 変な奴だとは思っていたけど。


「やっと……笑った」


「え?」




「別に、何でもねえ」

 黒崎は下を向いた。下を向いたから、暗い廊下でその表情は解らなくなってしまった。確かめるために凝視するほどの事でもないと思ったし。



「他には?」
「なに?」
「他に、何か苦手な物でもある?」
「お、俺に興味持った?」

 確かに、僕から黒崎に黒崎について何か話題を持ちかけたのは、初めてかもしれない。黒崎が馬鹿なことを言うから、少し、気が緩んでしまったようだ。

「苦手なものはね」


 きっと、君の嫌いなモノは僕は好きだよ。

 暗闇も嫌いじゃない。


「んー…、あと暑いのと寒いのが苦手。地震雷火事とか」
「それはだいたいの人がそうじゃない?」



「あと、石田」





 ……僕?













20110427