「…………僕?」
「ああ。石田」
僕も、だよ。
珍しく意見が合うね。
僕も僕は苦手だ。
勿論、好かれてるだなんて少しも思って居なかったけれど、ただ、面と向かって相手を嫌いだと言える黒崎の神経は尊敬に値するかもしれない。僕も黒崎を好きじゃないと面と向かって言えるけれど。相手を不快に思う感情を恥じ入るつもりもない。
僕は僕を嫌いだけど、僕は君も嫌いだ。
それでも、有難うと言うのも妙な気がしたし、他に何か適切な言葉を見つけるのも困難だった。
口を開くのすら億劫で、僕は何も言わなかった。それに、もともと黒崎と話す話題があるわけじゃない。
「そう……」
それは、別に構わないよ。
人によって価値観は違うのだから、君が僕を嫌いでも僕は何も困らない。むしろ歓迎する。僕が黒崎を嫌いで、黒崎が僕に好意を感じているというなら、それはただの重荷になってしまうだろう。
だから、嫌われる事は困らない。むしろ歓迎だ。
ただ、それは話題として発展性のあるものとも思えなかったから、僕はそれ以上何も言う気にはならなかった。
そのまま、無言のまま、靴に履き替えて正門を出る。
「じゃあね」
「待てよ、送るって」
「何でだよ。別に僕を嫌いな奴に無理してまで恩を着せられたくないんだけど」
さっき、僕を嫌いだと言わなかっただろうか。
相手は嫌いでも、体調が悪そうな奴は放っておく事ができないとでも? 度が過ぎる厚意はただの迷惑にしかならない事を理解できないのだろうか。僕からすれば君と一緒に居る事が苦痛なんだ、とちゃんと言わないと解らないのだろうか。
「俺は、嫌いって言った覚えはないけど」
数分前に、確かに聞いた気がするけれど……。
「そう?」
確かに、嫌いだと言われてはない。苦手だという表現だったかもしれないけど、多少オブラートに包まれているかもしれないが、結局は同義だろう?
早く君と別れたいんだ。君が僕の隣を歩いていいだなんて、僕は許可した覚えなんてない。
「苦手だって、言ったんだ」
「無理しないでいいよ」
結局、同じ意味だろう? 君は僕が嫌い。僕も僕が嫌い。僕は君が嫌い。それで、いいじゃないか?
「苦手だから克服させろよ」
「は?」
何か、黒崎はとんでもなく傍若無人で支離滅裂な事を、今さらりと言ったような気がした。
「克服って……それに僕が付き合う義理はないよね?」
「いや、その為には、お前の協力が必要だから」
呆れて、しばらく黒崎の顔を見てしまった。普段は真っ直ぐに見返してくる黒崎が、何故か視線を逸らした。変な、顔。
黒崎が、何を考えているのかなんて、僕には解るはずもない。
「しないよ、協力なんて」
馬鹿じゃないの? 溜息と一緒にそう言って歩き出した僕に、黒崎は何故か着いてくる。
君と僕とは学校を挟んで反対側だろう? 正門を出たら、そこで分かれることができると、僕は期待していたのに、黒崎は何故か着いてくる。
「お前の事が気になって……だから、苦手なんだ」
「……そうだね。嫌いなモノは気になるよね」
何で僕がこんな話題にフォローを入れなければならないのだろうか。別にこの話は楽しくもないから、僕はもうやめたいのだけれど。
ただ、黒崎が無視出来ないくらいに嫌いな存在がこの世にある事を知ってるって事は、誉めてあげる。
「気になってお前の事ばっか見るし、お前の事ばっか考えてる」
「……大変だね」
僕も同じくらい君が嫌いだよ。良かったね、そう言う意味では、僕達は両想いだ。
わざわざ無駄な喧嘩をして無駄に体力を浪費するような馬鹿な真似は避けたいんだ。気分を苛むのも、精神力を浪費する気がする。君がなるべく僕に近づかないようにしてくれれば、僕がなるべく黒崎の近くに行かず極力接触を避けるのが僕達の最善の解決方法だ。
僕も君を嫌いだけど、関わらない事が精神衛生上一番最良だから、僕は君をなるべく視界に入れないようにしている。なるべく、黒崎を避ける事に僕は努力を惜しんでいないつもりだけれど。
でも、僕は僕の感情を君に押し付けたりはしていないんだ。
だから、やっぱり、なんて、傲慢な奴だ。
「鞄、貸せ」
「嫌だよ」
「俺が持つから」
「何でだよ」
「お前、具合悪そうだから」
「……気のせいだ」
「何だったら背負ってやろうか?」
「遠慮させてくれ」
黒崎は、嫌いなんだ。
君が僕を嫌いな以上に、きっと僕は君を嫌いなんだ。
関わらないでくれ。
これ以上、僕の平常心を乱さないでくれ。
黒崎は僕の肩から鞄を引ったくると、当たり前のように僕の鞄を肩からかけて、僕の横を並んで歩く。
何を考えているんだ、黒崎は。
僕の独り暮らしの部屋は、学校の近く。入学が決った時に、場所で選んだ。徒歩で二十分ほど。
だから、腰の痛みを我慢して、歩調を早めて歩けば、すぐに着くのに……。
いつもの道程が、とても長く感じられた。、永遠と続くようないつもと変わらない人家の並びは、何故かどんどんと遠近法によって狭くなっていくような気がした。歩調を緩めたくないのに、地球の重力が倍増したような錯覚すらする。
ようやくアパートに辿り着いた頃には、目眩すらした。呼吸も不自然に荒くなり、額からは汗が滲んでいた。
「ここだから。鞄返して」
「へえ。お前、こんな所に住んでんだ?」
「じゃあね」
「あ、石田……」
鞄を受け取った僕は、直ぐに背を向けた。早く部屋に戻って横になりたいのに、黒崎が僕を呼び止めた。
これ以上、僕に何の用が在るんだ?
「何?」
僕はもうこれ以上苛つきを抑える気にもならなかった。もう、黒崎の顔を見たくないから、振り返りもしなかった。
「俺、お前の事、好きになっていい?」
………?
黒崎が、何を言ったのか、僕には理解しかねた。
何の、冗談だ?
真意を確かめようと僕が黒崎を振り返ると、黒崎の眼差しが僕を刺していた事に気付いた。
「お前の事、好きになるから」
黒崎は、そんな宣言を僕に向けた。
「……他人の感情にいちいち口出す権利はないけど、僕は君が嫌いだよ」
僕は、君が嫌いだ。君も僕を嫌いでそれで均衡が取れていると思ったんだけれど。
ただ、そう言うと、黒崎は少し目を細くした……。
すごく、寂しそうな表情をしていた。
さっき、彼が……一護が見せた表情と、良く似ていると思った。
当たり前だ、同一人物なのだから。
それでも……その表情が、僕の心臓を締め付けた。
苦しい、と……思った。
苦しくて、心臓が痛くなって、その痛みに涙が滲みそうになった。
「じゃあ……明日、学校でな」
そう言って……帰って行く黒崎の背中が見えなくなるまで、僕は瞬きすら、忘れていた。
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20110511 |