17
















 手を、伸ばされたから……僕は、それにつかまってしまった。


 ポッターの手に僕の手を重ねた。
 暖かい手。
 僕より少し大きい。指も、僕より太い。ごつごつしてて。
 僕は、ポッターの手なんてそんなに観察したことがなかったから………いや、必要ないだろう、今も。


「手、冷たいね」

 末端冷え性なんだ、悪かったな。
 僕の手を、両手で握って、僕をソファに座らせると、その隣にポッターも座った。

 今度は、ぴったり密着しているわけではなく、服の端がわずかに触れ合うような距離だった。近くにいる体温を感じるけれど、触れていないような……ソファは大きいから、もうちょっと離れることもできるのだが。

 まあ、このくらいなら……許される範囲だろう。



 ポッターは横に座って、じっとしていた。
 僕から口を開くのを待っているのか?


 じっと、前を見て……僕のほうを見ていないから…………今まで通りならポッターが僕を食い入るように見つめてくるというのに……僕はうざったいからできる限り顔をそらしていたけれど。

 僕はその横顔を観察してしまった。ポッターの顔をまじまじと見るのはこれが初めてかもしれない。



 へえ……。
 よく、見たことなんてなかったけど……。見ようと思ったことなんてないし、見たくもないのが本音だけど。

 こうやって、見ると、けっこう………なかなか。

 髪の毛はぼさぼさだけどきちんと櫛を入れればもうちょっとまともになるだろうし、眉毛もきりっとしているし、睫もよく見れば長いし、その奥にある瞳の緑の色は、エメラルドみたいに綺麗な色をしているし……。
 こうやって、しっかりポッターのことを見たことなんてないけど……意外に整った造作をしている。


 なんで……僕なんかが、好きなんだろう。





 ……いや、僕じゃないけど。


 でも、実際は、僕なんだから。
 何で、よく知りもしないで好きとか、そういうことがいえるんだろう。本当は、僕なのに。
 僕のことは、大嫌いだと言いながら、その口で僕のことが好きだって言う。




 嘘つき。



 結局はそんな感情、嘘なのに。
 結局、好きだとか言いながら、それはただの嘘じゃないか。僕のこと嫌いなくせに。
 嘘つき。



 ……なに、寂しくなってるんだ、僕は。
 別にポッターに嫌われるのは万歳だ! 有難いくらいだ!

「僕の顔に何かついてる?」

 気がついたら、ポッターがこっちを見ていた。少し、苦笑して。
「何でもない」
 見てたことがばれて、なにやら恥ずかしいやら気まずいやら。

「いい匂いだね」

「あ……」
 しまった。いつもの癖で、部屋を出る時にいつもの香水を付けてきてしまった。部屋を出る時に身だしなみをチェックしてその時に香水を付けるという一連の流れが自分の中で出来上がっている為に、うっかりしていた、普通にいつもの香水だ。
 この前は、あまり使わない少し甘さの強い香りをつけてきたのだけれど……あれはバニラの香りが強くて、女の子に似合いそうだからあまり使わない。便が気に入って部屋に飾ってはいるけれど。
 今つけている香りは毎日僕が使っている奴だから……。


「なんか、この匂い知ってる……」

 知っているのか、そうだろうな、最近はなるべく手の届く範囲には近寄らないようにしているけれど、今までは胸倉を掴みあう仲だったんだから、そのくらいの距離であればあまり強くないこの香であっても、いやでも香ってくるだろう。まあ、ポッターの癖に覚えていたというほうが意外な気もするけれど。

「そうか? けっこう流行っているやつだから、誰かが使っていたんじゃないのか?」


 僕は慌てて取り繕う。ばれないだろうか。
 この香りは、そうそうない。一度付けたら気に入って、父上のご友人の伝手で国外から取り寄せているものだ。この国では今は販売されていないから……。僕以外でこの香りを身に着けているやつはまだ見たことがない。と言うよりも香水自体をつけているやつがこのホグワーツには少ないような気がする。

 ……大丈夫、かな。
 大丈夫だろうけど、大丈夫かな。

「いい匂い。香水を付ける習慣て、なんかとてもお洒落でカッコイイね」
 そう言って、ポッターが少しだけ僕の方に顔を寄せて、目を細めた。

 ………大丈夫、そうだな。

 男の癖に香水なんてつけて、とか何とか僕に聞こえるように陰口を言ってなかったか、この男は。まあ、今僕は女装しているのだから、香水ぐらいつけていてもおかしくなんてないだろう。大丈夫。


「リズにすごく似合ってる、すっきりしてて。この前のバニラみたいな甘い匂いも素敵だったけど」

 前と違う物を付けていることも気付いていやがった。匂いには鈍感だと思ったんだけど、この前僕が香水をつけていたのを、こいつはわかっていたのか。何にも見ていないようで、けっこう鋭いじゃないか。当たり前と言えば当たり前なんだが。女の子にはそうやって、少しの変化も気付いて褒めてあげなくてはならないのだからな。少しだけ見直してやろう。

「ありがとう」

 とりあえず、礼を言っておいた。


 ……どうしよう。
 こんな予定ではなかった。
 もうちょっとポッターがこの前みたいに飛びついてくると思ったから……。
 僕は調教師のつもりで挑む予定だったのに。


 僕は、口の中にある声の変わるキャンディーを転がした。甘すぎて、頭が痛くなる。僕の好みではない。下品な甘さ。安物は所詮安物だ。
 今日に関してはちゃんと予備も持ってきてある。


「…………」
「………………」



 しばらく、無言が続いた。 

 手持ち無沙汰な僕は、口の中の飴を転がすことしかできない。ポッターの事を見てるのも何だか気が引けるし。
 ポッターはじっと前を向いたきり、僕のほうを見ないし。何か考え事でもしてるんだろうか、人のことを呼び出しておいて。



 どうしようかなあ。
 帰ろうか。

 


 よし、帰ろう。
 別にここにいても収穫は無さそうだ。別にもうこのまま永久に僕であるリズとポッターがお別れしたところで、僕はまあもうちょっと遊びたかったといえばそうなんだけれども、別に僕にとっての痛手は何もない。痛手というよりも……遊びたかったような気もするけど、確かに危険性の方が高いのだから……僕はポッターの馬鹿なんかと較べたら賢いのだから、危険は冒さないほうがいい。君子危うきに近寄らずと昔のどこかの偉い人も言っていた。
 まあ、もう、ポッターに謝らせるという当初の目的は達したし……。
 帰ろう。

 立ち上がりかけた、その時。

「ねえ……」
 ポッターが口を開いた。

「なんだ?」
「………君の事、本当に好きなんだ」


「………そうか」

「僕は、君が好きになってくれるような男になるよ」
「………そうか」
「君好みの男になるから……」




 だから、僕にどうしろと?
 何度も聞いたが………。



「僕と、付き合って下さい」

 ああ、やっぱり。
 お付き合いは無理ですゴメンナサイ。喧嘩だったらこれからも全精力を込めてしてやろう。


 だけど、僕の方を向いたポッターの目は………、もう少しで泣き出しそうなほど潤んでいて……。



「何で、泣きそうなんだ?」
「君に、嫌われるかと思うと、怖くて」





 怖い!?



 怖いか!?
 なにを言っているんだこいつは。
 お前が僕のことを嫌いだと声高に宣言していたじゃないか。僕もだけど。僕だと気付いていないのに、僕がお前のことを嫌いだと言うのが怖いか?
 ざまあみろだ。いい気味だ。こんな茶番に幕を引いてやる。もう一生僕のことなんか思い出すな。
 嘘つき。


「………断る」
 男となんか付き合えるか! しかも相手はこの僕だぞ。
 ポッターが僕だってわかっているはずなんてないのはわかってる! だけど!
 ちゃんと僕を見ていない証拠じゃないか! 顔を変えたわけじゃないんだ。声は変えたけど、喋り方だって同じなんだし。コロンだっていつも僕がつけているものだ。
 好きだとか言って。大嘘つき。何にも僕の事わかろうなんてしていないじゃないか。
 そっちが勝手に一方的に僕に気持ちを押し付けているだけだ。そんなのは好きなんかじゃない、ただのエゴだ。


 言ってしまった。
 もう、これで終わりだ。


 本当は、ポッターに色々約束をさせようと思ったんだけど……。
 もういい。
 もう、面倒だ、全部。
 もう会いたくない、こいつなんかに。


 もう、ポッターに好きだなんていわれたくない。
 だって、どうせそれは嘘なんだし。


「………そう」




 ポッターの落胆振りは見事だった。
 声が、聞き取れないほど小さくて。

 いつも姿勢が悪いと思っていたけれど、いつも以上に猫背で。
 今にも目から涙がこぼれてしまいそうで……。




 僕が、悪いのか?

 なんなんだ?



「この前のことがあったから?」

 もう、さっさとどっか行けよ。
 もうさっさと帰れ。
 
 断っただけなのに。
 こいつを見てざまあみろ、って優越感に浸りたかっただけなのに。
 さっきの台詞で、僕の全部の勢力を使い果たしてしまったかのように、僕が……疲れた。
 本当に短い台詞なのに、一息で充分いえるくらいの短い台詞なのに、何でこんなに疲れるんだ?


「それもあるけど」
「僕の何が駄目なの?」
「……」
 強いて言うなら全部。
 お前がポッターであることで、お前の気持ちは一切僕に通じないんだ。お前がどんなに僕を好きでも、僕はマルフォイなんだから。

 ………。
 何を、考えているんだ僕は。

 そうだよ、こいつはポッターなんだ。こんな奴に情けをかける必要なんて一切、これっぽっちもない。英雄とか呼ばれていい気になっているこいつが、打ちひしがれている様をみたら、気分がいいはずだけど。
 ハズじゃない、気分がいいんだ、ざまあみろ。もっと落ち込め!


 もう、本当はどうだっていいんだけど。もうこいつに会いたくないだけだ……。


 僕が、どう言おうか迷っていると、ポッターが立ち上がった。

「ごめんね」



 そう言い置いて……帰ってしまう?

 ポッターは扉に向かって歩き出した。






「待って!」

 ついうっかり、呼び止めてしまった。
 本当にうっかりだ。

 冷静になれば、もうポッターに用事なんてなかったんだ。
 本当だったらポッターが僕に都合が良いような約束をさせて、もう僕に逆らわないと誓わせて、そうしてから僕のことをばらそうと思ったけど……、もういいや。

 ポッターの泣きそうな顔を見ただけでいいにする。
 もう、それだけで充分だ。
 僕は優しいから、それで勘弁してやろう。




 だから、もう、本当にさっさとどっかに行け。



 そう思ったのに。

 僕は何でポッターの事を呼び止めてしまったんだ!!!!!!





「何?」

 振り返ったポッターの顔は……。






 これ以上ないくらい、だらしなく、笑顔だった!!












070223