6 「………わからないよ」 マルフォイは、冷たく、それでも静かに言った。 その横顔をハリーがじっと見つめていた。 「……マルフォイ」 彼は、紅茶をソーサーごと手に取り、優雅な手つきで一口啜った。 わからない、彼はそう答えた。 何かをわかっているのかも知れないし、全てを知っているのかもしれないし、もしかしたら本当に何もわからないのかもしれない。それはロンにはわからなかった。マルフォイとの縁はとても浅い物だったから。彼について何も知らない。それと同じだけ、親友についても知らないのだ。 「飲まないのか? お前はお目にかかれないような高級品だぞ」 マルフォイに促されて、ロンもテーブルの上に置いてある紅茶に口をつけた。もうだいぶ時間が経つというのに、不思議なことにまだ温かく、すっきりとした渋みはいつもロンが飲んでいる物とは明らかに質が違った。紅い色も、白いティーカップによく映えた。 「僕の誇りのために一つだけ言っておくが、僕はこの状態を甘受しているわけではない」 「……どういうこと?」 「僕達は魔法省に管理さていているんだよ」 「………どういう……」 「僕は魔法省によって生かされているんだ」 マルフォイは吐き捨てるように、忌々しげにそう呟いた。 「年に数回、役人が僕がハリーに対して危害を加えていないかとか、僕が何かしていないかとか、ハリーが正気に戻っていないか確かめにくる」 そう言ったきり、またマルフォイは黙り込んでしまった。 ハリーは喋ることができるとは思えない。この状態でマルフォイが口を閉ざしてしまうと、ロンはどうして良いのかわからずに黙り込む。 マルフォイは無言で紅茶を啜った。軽い陶器が触れ合う音だけが室内に響く。 ハリーはマルフォイの隣に座りその横顔を見ていた。ロンの存在を知覚しているのだが、ロンとして認識をされていない。親友だったというのに。誰よりも多くの喜怒哀楽を共にしたというのに。 静かな室内。 広い部屋だけれど、この中に三人もいるとは思えないくらい、空気の存在すら危ういくらいに何の音もしなかった。 「僕は、死喰い人の一人として、殺されることが決まっていた」 ふと、彼が口を開いた。 「ハリーが勝つことも確信していたし、その上で僕が死刑になることだって予想していた。その事に関して僕は覚悟していたしそれでいいと思っていた。僕もこちら側の人間としての誇りもあったから……まだ成人していないという安易な理由で生かされる屈辱もないと思っていた。実際僕は何人も殺しているし、誰も殺してなかったとしても僕と同じ年代の闇の魔法使いは何人も死刑台送りになっているんだ。由緒正しい血統とか未成年とかそんなことで僕を免除しようなんて……そんな屈辱は味わいたくなかった。僕は死を願っていたんだ」 マルフォイの心内を聞くのはロンには初めてだった。 ホグワーツに在籍していた頃もアルフォイの事など考えたこともない。彼がどう思って生きているのかなど、存在が消えればいいと思ったことは何度もあったが、気に留めたことは一度もなかった。 「みんな僕の仲間や僕の配下にいた者もどんどん魔法省によって殺されるのに、その話は看守から聞いているのに、僕だけがなかなか刑の執行にはならなかった。刑を受けて殺される奴に憐憫の情を抱いた事はなかったが、僕は不思議でとても惨めな気分だった」 それでもマルフォイが、記憶通りの皮肉な口調で喋るので、聞き流してしまいそうになる。馬鹿にしたような見下したような口調。自分のことについて語っているというのに。 「ある日独房から出されて、ついに死刑かと思ったら、見たこともない部屋に通されて、そこにこのハリーがいたんだ。僕は死刑を宣告されたまま、ハリーが正気に戻るまでの期限付きでハリーの世話を言い渡されて、僕の屋敷に戻された。魔法省が英雄がおかしくなりましただなんて発表できるはずもないし、だからと言って殺してしまってなかったことにするほど力がある魔法使いは誰も残っていなかったし。ハリーが正気に戻ったら僕は魔法省にそれを報告して、僕は刑の執行。ハリーは幸せに暮らしました。魔法省の描いた筋書きはそんなものだ。僕が知っているのはこのくらいさ」 そう言ってもう喋りたくないとでも言うかのようにマルフォイは口を結んだ。 俯いて、カップの中の紅茶が立てる湯気をぼんやり見ていて、時々気紛れのようにロンの方をちらりと見ていたマルフォイだったが、その視線をハリーに向けた。 視線がハリーに戻ったことで、彼は無邪気な笑顔を作りマルフォイに顔を寄せて、首筋に顔を埋めていた。マルフォイはくすぐったそうに時々笑い声を上げて……。 「ハリー、お客さんの前だよ」 そんなことを笑いながら言う。わざとらしい言い方。わざと。 マルフォイはハリーを制止する気なんてもうないのだろう。 もともと相性が良くなかった。ロンはマルフォイを嫌っていたし、マルフォイもそれを受け流していた。そもそも親の代からの悪縁だ。 時々マルフォイの方からロンを馬鹿にすることもあったが、今考えれば、良く思い返してみればロンを通してハリーに近づいていたのかもしれない。ロンが一人でいる時は、マルフォイはロンを見ても笑いもせず、顔をしかめもせず、何も言ってこなかったから。仲良くなろうなんて思わなかった。それは親友も同じだと思っていたのだけれど……。 「ハリーは、君のどこが良かったんだ?」 「知らないな。それに、ウィーズリー、それは人に何かを教えてもらう時の言葉ではないな」 失礼な奴だ、と少し笑いながらマルフォイはハリーの髪を梳いて、ハリーはそれを気持ち良さそうに受けながら、マルフォイの身体中にキスを落としていた。 この様子を見て、彼らが仲が悪かったとはとても信じられない。実際、もしかしたら本当に彼らは仲が良かったのかもしれない。未だに信じられずにいるが。 「ハリーがこうなったのは、何でなんだ。君が考えていることで良いから」 「………」 彼は、ロンのほうを見ようともせずに、ハリーに抱きしめられ、笑い声を上げていた。 どのくらい、彼らはこうしていたのだろう。ロンがハリーのことを探し始めてから、彼らは毎日こうして暮らしていたのだろうか。そしてこれからも? 「ハリーの生い立ちは知っているだろう?」 マルフォイはハリーとじゃれあいながら、時折笑い声を上げながら、ハリーに優しい眼差しを向けながらそう言ったので、ロンはしばらく自分に向けられた言葉であったことを理解できずに返答が遅れてしまった。 今マルフォイの機嫌を損ねるわけには行かない。ロンが来たということですでにマルフォイは機嫌が悪いのだろうから。それはロンの方だって同じで、親友に会いたかっただけで、マルフォイには会いたいなどと思ったことはなかったし、死刑になったという発表に喜びさえ感じたのだ。 「あ、ああ。僕もハリーの育ったダーズリー家には行った事があるけど、ひどい家だったよ」 「君に話したことはきっとほんの一部なんだろうね。ハリーは過大に言うことを嫌うし、同情もして欲しくなかったから」 「…………」 確かに、ハリーが育ったとい彼の叔母の家は、彼に冷遇していた。そのくらいは簡単にわかった。一見しただけであれなのだから、きっと彼の中では拭いきれないほどの傷跡に鳴っているのかもしれない。それはロンにはわからなかった。それはハリーが教えてくれようとしなかったし、知られたくない風でもあった。 「ハリーは、自分が得るはずだった幸せを奪い去った元凶である、彼の方に復讐をする、それだけでずっと生きていたんだ。勿論表面上は普通に見えるように取り繕っていたけどね」 ロンが気付けていなかった部分がハリーにはあった。それが何なのかロンにはわからなかったけれど、ハリーの中には暗く燃える部分があった。いつか話してくれるだろうとロンは期待していたけれど、その前に彼は姿を消した。ただ、それがヴォルデモートのことに関してであることはわかっていたけれど。戦いが終わった時には笑顔で話してくれると思っていた。 「彼は闇にいる僕にはその暗い部分をぶつけられたし、僕も彼の前では弱みを見せることができた」 マルフォイの口調は、ハリーに視線を向けてさえいれば、刺が含まれていなかった。時折笑いながら、ハリーを見つめて、何でもないことのように話す。 「僕達が愛し合ったのは、きっとそんな陳腐な理由だよ。それでも僕はハリーを手放すことが出来なかったし、ハリーも僕が愛しかった」 彼は、そう言いながらハリーの顔にキスを降らせる。 「知らなかった」 本当に、ロンは何も知らなかった。聞かされていなかったし、気付こうともしなかった。気付いたとしてもきっと、否定しただろう。だから言われなかったのだ。 「僕は何も知らなかった」 「あの頃は、それで良かったのかもな……」 マルフォイは、少しだけ、遠くを見た。昔のことを思い出しているのだろうか。昔は、何も知らないまま、ロンはハリーの後を追っていた。親友にいつか追いつけると……肩を並べて歩いていてもどこか置いていかれている気がしたが、それでもハリーはロンに笑ってくれていた。ロンにはそれが嬉しかった。 「何も………本当に僕は知らなかった」 マルフォイは、論の台詞に少しだけ笑みを漏らした。馬鹿にしたような、多少の同情を含めた視線。 「それで良かったんだ、ウィーズリー。ハリーは君に自分の中身を見られたくなかっただけだ」 「僕は……ハリーの親友だと思われていたのだろうか」 「ああ、それは僕が保障してやろう」 珍しく、マルフォイがロンに優しい言葉をかけた。 「それでも……ハリーは僕を愛しているんだ。君以上にね」 誤字 魔法省が → 魔法生姜 ……風邪に効きそう 0612 → |