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「……壊れたって……」



 ロンが聞き返そうとすると、再び彼がマルフォイの身体を強く抱きしめたので、ロンは言葉を切った。この状態では疎外感が募るばかりだ。親友を見ていてもとても正気とは思えない。ロンが求めているハリーがこうなった理由をハリー自身の口から得ることは到底難しそうだったし、唯一の理由を知っているマルフォイも彼の相手をしている方が優先事項なのか、ロンに対して目も向けない。いや、マルフォイはただ単にロンの相手をしたくないだけなのだろうが。

 親友は敵である細身の身体を抱きしめて、マルフォイはハリーの髪を何度も梳いていた。
 
「ハリー起きてしまったんだね。僕がいなくて心配してくれたのかい?」
 胸焼けがしそうな甘ったるい声で、マルフォイはハリーの耳に囁きかけた。

(何なんだ、一体)

「最近魔法の効き目が悪くなってきているな。昔は僕の眠りの魔法ももう少し長く効いていたのに」

 マルフォイは、ハリーの身体を抱きしめ返す。
 二人のくぐもった笑い声だけが虚しくロンの耳に届いていた。二人は笑い声を上げながら、口づけを繰り返す。目を疑うような光景。他人の視線があるというのは気にならないようだ。正気とは思えない。それとも、ここでただ一人正気だと思っているロンの方が一人おかしいのかもしれない。

「ハリー」

 マルフォイは親友の名前を読んだ。
 さっきまでの鼻にかかった声ではなく、澄んだ声に含まれた響きには強制力がこめられていた。それでもマルフォイがロンに向けて発する声よりもだいぶ柔らかいものだったが。
「お客さんが来ているんだ。おとなしくしていろ」

 マルフォイがハリーの肩を押した。
 何があっても決して離れることはないと思うように、マルフォイの身体を抱きしめていたハリーが、マルフォイの言葉にすんなりと身を引いた。
 彼が離れると、マルフォイは乱れた着衣を正す。
 居住まいを正して、ソファに先ほどのように足を組んで座る。ハリーがその横でおとなしくじっとマルフォイの横顔を見ていた。比べるとハリーよりも、ロンよりもマルフォイのほうがずっと小さいというのに、それでもこの中で一番大きく見えた。

 今まで目の前で繰り広げられた痴態は、まるでなかったかのように彼の顔は取り澄ました少し不機嫌そうな顔に戻っていた。
 そのあまり機嫌が良くなさそうな顔のまま視線をロンの方に向ける。

「で?」

 できれば口を開きたくない、その態度は相変わらずだ。

「………ハリーが、壊れたって……」
「見てわからないのか? この通りだ。見ても理解しない。考えない。服を着ることや、食事の時にフォークとナイフを使うような日常的なことは覚えているけどね。考えることができなくなってしまったんだ。思考を放棄した。唯一僕の命令だけは聞く」

「何で……?」

 その答えを求めると、マルフォイは鬱陶しそうに溜息をついた。

「こっちが訊きたいと言っただろう!」

 マルフォイの苛立ちを含んだ強い口調に、ロンは言葉を失う。

「………」
 それでも、知っている者はこの目の前にいるロンの嫌いな青年しかいないのだ。



「何でもいい、僕が知らないことを教えてくれ」
「………僕に最初から喋らせる気か?」

 馬鹿にしたような口調。マルフォイは明らかに何も知らないロンのことを嘲っていた。
 ハリーはロンに何も語ろうとはしなかった。勿論、マルフォイがロンに嘘をついている可能性もある。それでも今のこの状態ではマルフォイからしか話しを聞けないだろう。それが嘘だとしても……。
 ハリーが一人で抱え込む癖があることは知っていた。それでも、彼が話せる状態になることをロンはいつも待っていた。それを親友もわかってくれていたと思う。彼の中で決着がつけばそれをロンにも話してくれるのだ。ハリーが話せないことがあってもその悩みを包括して彼の支えに少しでもなれていたと思っている。
 何も知らないと責められても仕方がないことなのかもしれない。ハリーに何も聞かされていなかったのだから。そんな状態で、親友だと名乗っていても良いのかわからなくなる。もし、本当にマルフォイとハリーが愛し合う仲だったとしても、それにロンは何も気付かなかった。何年も同じ部屋で寝食を共にしていたというのに。何か深い悩みを抱えているのは知っていた。彼の生い立ちもあるだろうし、英雄と呼ばれるその理由もあるだろうし、彼に好きな人がいたことも知っている。勿論それが誰だったのかは今もわからないけれど……それが、マルフォイだったのだろうか。

 それでも、ハリーのことについて何も知らない自分を恥じる気持ちもあるし、マルフォイに教えてもらうことに対して屈辱や敗北感を覚えることもあるが、それでも、ハリーのことについて知りたかった。

 ただ、説明を待っているだけでは、きっとマルフォイは何も語らないだろう。彼の態度全体からロンを拒絶しているのがわかる。口を開きたくもないように、ロンに向けて喋る時は険しい口調になるし、ふとハリーを見つめる視線は優しいものであるのに、論に向き直る途端にマルフォイの顔つきは険悪なものになる。

 ロンは、考えた。
 何も知らない。
 何も知らないのだが、どこから聞けばよいのだろう。


「ハリーは……君と、そのいつから……」
「ホグワーツに居た頃から。だいぶ早い段階で。詳しくいつからかは覚えていない」

「ずっと、仲が悪かったじゃないか」
「良かったらおかしいだろう?」

「だって……」

 仲が良かったら、おかしいのだ。だからわからないのだ。彼らが惹かれあう要素がわからない。憎み会うことがあっても決して愛し合うなどという仲にはならないはずなのだ。ホグワーツに居た頃は、いがみ会っていた。

 ただ、マルフォイはその血統のため、そしてハリーはその魔力のために周囲に一目置かれる存在だったのは知っている。そのくらいの共通点しかなかったはずなのに。


「何で……そうなったの?」
「ハリーが僕を好きで、僕もハリーが好きだったから」
「………」

 マルフォイの答えは取り付くしまもない。
 なるべく口数を少なく、ロンとの会話を早く終わらせようとしている意図があからさまだ。何を聞いても、この調子で返されるのだろうかと思うと、質問する気も失せてしまう。マルフォイはそれを目的としているのだろうが。

 どう、質問をすればマルフォイはロンの納得がいく答えを出してくれるのかわからない。

 ロンは黙り込んで考える。
 考えながらハリーを見ると、彼は時々ロンの方に視線を向けるが……ロン自身が気になるというのではなく、きっとマルフォイの視線がロンを向いているからだろうが……その中には決して親友を見るような感情はこめられていなかった。彼の瞳はただの空洞のように思えた。

 マルフォイは冷たい視線をロンに送るばかりだ。時々ハリーの頭を撫でる。けれどもハリーの方から近づこうとすると視線でハリーの行動を静止した。
 マルフォイの視線はあからさまにロンを邪魔に思っていた。口調でも態度でもそれがわかる。
 どう、聞いても決してまともな答えは返ってこないだろう。マルフォイはロンに早くこの屋敷から出て行ってもらいたいのだろうから。


 彼が生きていた。何年も探し回った結果がこれだけではあまりにも寂しすぎる。







「マルフォイ……君はどう考える?」

 マルフォイも知らないのであれば、マルフォイに考えを聞くしかない。
 悔しいけれど、ハリーはロンよりもマルフォイを選んだのだ。
 ハリーの内情にはきっとロンよりも詳しいはずなのだから。


 






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