マルフォイの言葉の意味を、ロンは理解できなかった。

「な、に?」

 何を、言ったのだろう。
 理解する事は出来なかった。
 彼と、マルフォイの間にある一番遠い感情なのではないだろうか。何かを聞き間違えたのだろうか。



 聞き返そうとした、その時。




 部屋の扉が強い音を立てて開かれた。

 開かれた先にいたのは………。

「ああ、ハリー起きたんだね」
 軽い口調で、マルフォイは彼に声をかけていたが……ロンはそれすらも耳に入っていなかった。





 髪の長い、青年がそこに居た。
 柔らかな黒い色の髪をぼさぼさに振り乱し、緑色の瞳がぎらぎらと光っていた。

 思い描いていた彼の姿とは異なるものだったがそれでも……。


 間違いない。

 



「ハリー!!」



 間違いない。

 ハリーだ。


 ずっと探していた。



 ロンは、大きな声を出して彼を呼んでいた。


 親友の名を叫んで、ロンが立ち上がるその前に、彼が動いた。



 すばやい動作で、彼はマルフォイに駆け寄る。駆け寄って、彼はマルフォイに抱きついた。

 抱きつく、というよりもぶつかったという表現のほうが近いぐらいの強さで、彼はマルフォイに抱きついて、そしてマルフォイの顔を無理矢理上に向かせ……。

 彼とマルフォイはロンの目の前で口付けを交わした。

 深い、動物的なキス。

「ハリー!! 僕だよ、ロンだ」

 ロンは言葉を続けたが、彼らはロンの言葉など耳に入っていないかのようにロンの目の前で口付けを交わしていた。
 角度を変えて、何度も。
 マルフォイがソファの上に押し倒されて、それでも彼らはキスを止めなかった。

 これは一体どういうことだろう。
 ロンはどうしていいのかわからずに、ただその情景から目を逸らすことさえ叶わず彼らを見つめた。愛情というよりもそこに存在しているのは欲望だけだった。


 親友は、一体どうしてしまったと言うのだろうか。
 上手く回らない頭の中でロンは考える。

 親友に会ったら彼は自分を見て喜ぶと思っていた。生きているのか死んでいるのか、その生死さえ危ぶまれる状況で、それでもロンは彼が生きていると、どこかで彼が息をしていると信じて彼を探し続けていた。
 実際に彼はこうして生きていた。
 この、目の前にいる人物がロンの親友であることは間違いない。彼の特徴であった丸い眼鏡はかけていなかったけれど、それでも見間違えるはずがない。魔法使いならばわかる彼の圧倒的な存在感も、深緑色の瞳の奥に垣間見える光も彼特有のものだったから。

 ロンは彼がロンと再会をしたら、どんな事情があるにしろ彼はロンが健在することを手放しで喜んでくれると思っていた。
 どんな形でさえ、彼は生きているのだ。
 彼との間に存在したのは生半可な友情ではないとロンは信じていた。一生に一度見つかるか見つからないか……友情のために命までかけられるほどの……彼はそんな存在だった。彼もロンに同じだけの友情を傾けてくれていたと信じている。
 彼の中でどんな事情があったとしても、再会した時には抱き合ってその喜びを分かち合えると信じていた。
 その再会をロンは何度も思い描いた。不毛なことだとも思いながらその事を何度も思い描いた。彼がロンが探していた、その事を喜んでくれると信じていたから今までロンも彼を探し続けることができた。

 それなのに……。

 これは……。

(……何だ、これは?)

 彼はロンを見ようともせずに、その存在すらも気がついていないかのように……実際気がついていないのかもしれない……彼らはロンがそこにいることすらも忘れて、ただお互いを貪りあっている。

 彼は、親友のロンよりも、ライバルであった……しかも敵であった相手しか見えていない。
 彼らは敵同士のはずだ。
 入学した当初からの犬猿の仲だった。
 それをロンは何度も目の当たりにしている。殴り合うことすらあったのだ。顔を合わせれば嫌味の応酬で、彼もロンに何度となくマルフォイの存在の鬱陶しさを嘆いていた。マルフォイの方だって彼の顔を見たくもないという態度を変えたことすらなかった。

 それなのに……。

 彼はロンを見ないどころか、その敵対していた相手しか目に入っていないようで……。

「……ハリー」

 ロンは、呆然となり彼の名を呟いていた。
 だが、ロンの声は彼の耳には少しも届いていないようで、彼らは二人目の前のソファで抱き合っていた。
 抱き合って……彼が、マルフォイのブラウスを手にかけて引っ張っていた。これから始まるのは、きっと……。




「ハリー、君にお客さんだよ」

 その時、マルフォイが静かに彼の耳に声を吹きかけた。マルフォイの声は、今だ聞いた事がない、柔らかな刺の一切ない甘い声をしていた。
 ふと、彼の動きが止まった。

「ハリー、ロナルド・ウィーズリーだよ」

 そう言って、マルフォイはソファに押し付けられた体勢のまま視線をロンの方に向けた。ぞくりとするほど、まるで硝子玉のように冷たい色をしていた。
 その言葉に、彼もようやくロンの方に顔を向けた。だがそれはマルフォイの言葉を聞いてというものではなく、マルフォイの視線が彼から逸れて他の場所に焦点を合わせたから、それに追随して彼もロンを見た、そういうものだった。

 彼の、視線がようやくロンを捕らえた。
 ぼんやりと。
 その存在を認識した。
 それでも……。

 彼の表情は、何も変わらなかった。

「ハリー! 僕だよ、ロンだよ」

 そう、ロンが声を張り上げても彼はそこに人間が存在しているということを認識した程度で……認識すらしていないのかもしれない、彼はロンを見ても何の反応もなかった。

「………ハリー」
「無駄だよ」

 冷たい、マルフォイの声が響いた。


「ハリー!」
「無駄だと言ったろう」
「何でだよ! だって僕達は親友なんだ」
「ああ、そうらしいな」
「何でハリーは……」

 どうしようもない気持ちをロンは、なんと形容して良いのかわからなかった。
 探し続けた結果がこれだったという挫折感。ロンを見ても何の反応もない悔しさ、ロンよりも敵であるマルフォイしか見えていない敗北感。そんなものもあったが……。

「お前がハリーに何かをしたんだろう!」

 もう、それしか考えられなかった。
 親友は、決してマルフォイのことを良く思っていなかったはずだ。
 そして、マルフォイも彼を敵としか考えていなかったはずだった。
 彼がこんな風になってしまったのは……。
 彼は英雄なのだ。その魔力も闇を払うほどのものなのだから、彼をこんな風にしたのは、彼が闇を打ち滅ぼした後、力のない時にマルフォイが彼に復讐をした、そうとしか考えられなかった。
 マルフォイはは闇の陣営に与する者であり、その証拠もロンは先ほど目の当たりにした。彼が親の敵を討つようにマルフォイも彼に主の敵を討ったのではないだろうか。ロンにはそれ以外の考えは浮かばなかった。

(だって、あのハリーなんだから)

 あの親友なのだから、あの優しい親友なのだから、きっと知り合いということで油断したに違いない。

「まさか。何で僕が愛しいハリーにこんな呪いをかける必要があるんだ?」
「愛しいって……よくもぬけぬけと!」
「君は本当に愚鈍だな」
「貴様っ!」

 ロンがテーブルを乗り越えてマルフォイに掴みかかろうとした時、彼が動いた。
 マルフォイを守るように、彼が強くマルフォイを抱きしめたのだ。

「僕に手荒な真似をしない方が良い。君が消し炭になったらハリーがきっと悲しむ」
「何だよ、それは!」
「僕を傷つけたりしたら、ハリーがきっと暴走するよ。この前来た魔法省の役人も一人死んだから」

 彼は、なんでもないことのように言った。その声には深いものは入っていなかった。人が、死んだという言葉を言ったはずなのに……。

「……何だよ……ハリーは……」

 ロンは、呆然となる。
 もし、殴れるものならば今ここでマルフォイを殴りたかったが……。

「ハリーは……一体どうしてしまったんだ」
「そんなのはこっちが訊きたい」

 間髪を入れずにマルフォイがそう言う。
 マルフォイは知らない、そう言った。
 彼のこの状況をマルフォイはわかっていないのだ。

「何で……?」
「僕がハリーに再会した時にはすでにこうなっていた」

 ロンとマルフォイの間にある張り詰めた空気を感じ取ったのか、彼はそっとロンの方を見た。
 その瞳は、彼を親友として認識しているものではなく、敵に向けるものだった。ロンは親友のこの視線を何度となく見たことがある。射抜かれて死んでしまいそうな鋭い視線だった。




「ハリーは壊れてしまったんだ」



 マルフォイは、小さくそう呟いた。



0612