マルフォイがロンの目の前のソファに腰を下ろすと、ティーポットが動いてもう一つ置かれていた空のカップの方に紅茶が注がれる。

「前はダージリンが好きだったけど、最近アッサムしか飲まない。取り寄せているんだ」

 そう言いながら注がれた紅茶を手にとって優雅な動作でマルフォイはカップに口を付けた。
 彼はこの屋敷にひどく似合っていた。生家なのだから当たり前なのだろうけれど。

「待たせてしまって済まなかったな。手間取った」

 何を、とは言わなかったのでロンもその言葉を流した。言葉を発していいのかわからない状態だった。
 現実感が伴わない。浮世離れした、ロンが住んでいる世界とはまったく別の世界に入り込んでしまったような、時が流れていないような異世界の住人のようだった。

 確かに、目の前にいるマルフォイは記録上死んだことになっている。生きているとは思わなかった。二度と会わないと思っていた。
 本当に、生きているのだろうか。
 本当は……。

「マルフォイ、生きてたんだ」

 そう、言うと彼は吹き出した。
 喉を鳴らすような笑い方。

「ウィーズリー、お前は老けたな。貧乏臭いところは変わっていないが」

 毒舌は、相変わらず。ただ、この空気に呑まれてしまったロンは、不思議なことにそれほど怒りを覚えることはなかった。
 思い出すだけでも嫌だったのに。マルフォイに対して良い思いでは一つもない。それどころか、死罪が確定したことに対してわずかに喜びさえ覚えてしまった相手だというのに。

「死刑になったって」
「ああ、僕は死んだんだ。僕は幽霊だよ」
「………」
「冗談も通じないのか? つまらない奴だ」

 血の通っていないような肌なので、それも納得してしまいそうになった。本当に触れることが出来る相手なのか、ロンには判別がつきかねたから。
 それでも確かに彼は生きていた。ロンの目の前にいる。その証拠に座ればソファのスプリングが沈んでいる。幽霊であるのならば重さはないはずだから。その程度の認識でしかないが。


「いくつになった?」
「は?」
「何間の抜けた声を出しているんだ。子供ができたんだろう?」

 急な話題の転換について行けずに黙り込む。
 何故、彼が知っているのだろう。子供ができてからまだ半年しか経っていない。ここにはロンの住む世界のそんな些細な情報は一切舞い込まないような気がしたのだが。

「……まだ、半年」

 別に、彼は答えを望んでいたようではなかった。ロンの答えを聞いているのかいないのか、返事をせずにゆったりとした動作で足を組んだ。
 ロンだって彼に今の現状を確認してもらいたいためにここに来たわけではないのだ。

「僕がここに来たのは……」
「何年ぶりだ?」

 マルフォイが途中で遮って質問を投げかけるので、ロンは黙り込む。

「君と会うのは十年ぶりだ」
 律儀に返事を返してしまうのが、ロンがロンであるところなのだろう。

「十年! 十年も! 君はなんて暇人なんだ。子供も妻もいて」

 マルフォイは大げさな動作で手を広げて語気を荒げた。そして大げさに笑う。その動作がいかにもわざとらしくてロンの神経を逆撫でする。マルフォイらしいといえばそうだろう。思い出してきた、彼は人の気分を害することを楽しみと感じるような種類の人間だったのだ。

 だが……マルフォイはわかっているのだろう、ロンの来訪の目的を。暇人だと馬鹿にされているのはわかるが、ロンが何をしているのか、ロンが何故ここにいるのか、今までロンが何をしてきているのか、マルフォイは理解している。知っているからこその態度だ。


「僕は、君なんかに会いに来た訳ではないのはわかっているだろう!」
「なんだ、昔話でもしたかったのか?」



「ハリーに会わせてくれ!」



 マルフォイはわざとらしい動きでロンから視線を逸らした。
 視線を向けた先に開けたままの扉が見えたようで、彼は右手を軽く動かし、扉を閉めた。ぱたんと軽い音がして、空間が密閉された。



「ここにいることぐらいはわかっているんだ。こんな広い土地にこんな魔法をかけられるのは彼しか居ない」



 こんな広大な敷地に、誰の記憶にも留めておかないようにする強力な魔法をかけ続けられるのは、親友ぐらいだろう。あの時の戦いによって強力な魔法使いは何人も倒れたのだから。
 それ以外には思いつかない。彼がここにいて、彼がこの魔法をかけているのだ。
 親友は、ここにいる。


 だが、マルフォイは首を振ってそれを否定した。


「僕だ」



 マルフォイは自分のシャツのボタンをいくつか外し始めた。何をしようとしているのかわからず、ロンはマルフォイの行動を見張った。
 マルフォイの肌は白さが際立つ。マルフォイはシャツを肌蹴させ胸元を開いた。

 心臓の上あたりに、髑髏が描かれている。魔法界を脅かした象徴、闇の印がそこには刻まれていた。
 彼も……。
 ロンには深い感慨はなかった。予想通りだった。嫌悪することであっても驚くことではない。
 だがこの印を刻んだものは、この世界にもう一人も残されていないはずだ。そう、魔法省は発表していた。数年前に残党狩りも完結したはずだ。
 だから、この目の前の青年以外には……そういうことだろう。


「あの方から、僕も僅かばかりだがお力を頂戴している」

 だから、マルフォイは死罪が確定したのだ。
 ダークマークと呼ばれるそれと、白い素肌からロンは目を逸らした。
 実際、その髑髏の模様よりも、マルフォイの胸に付けられたいくつのも紅い痕の方が気になったからだ。それが情事の名残だということは明らかだ。
 恋人とここで暮らしているのだろうかとも思ったが、それを訊くのも野暮なことだと思い、その質問をすることはしなかった。マルフォイ自身はその痕に気がついていないのかもしれないし、気がついていたとしてもそれに対しての羞恥を感じないだけかもしれないが。マルフォイが気にしていない事をいちいち気にするのも何だか癪に障るような気がした。


「……それに君も僕がマルフォイであることぐらいは知っているだろう」

「……ああ」


 言わんとする内容は単純だ。彼はマルフォイであるのだ。
 この魔法界が純血を重んじるのは、単純に魔力の強さの問題だ。魔法族としての血液を、遺伝子を強く受け継いだ者の方が魔力が強くなる。その理由から純血が優れているとされている。勿論親友や親友が倒した闇の王のような例外もあるけれど、一般的には混血よりも純血の方が優秀な魔法使いを輩出する確率が高い。
 そして、貴族と呼ばれる家が存在するのは、その血統が優れた魔力を持っているからだ。その中でもマルフォイは中核を為していた。
 魔力だけを見たら、世界がこんな状態でなかったら、ハリーは例外としても魔法界でのマルフォイは優秀な魔法使いとされていたはずだ。その近い血液同士での婚姻関係を繰り返してどろどろに煮詰まった血統のため。
 ホグワーツに居た頃でさえ、親友さえ居なければ、マルフォイの魔力はあそこに居た全生徒の中でも一番強かったに違いない。

「それにこの魔法は、隠すものじゃなくて、閉じ込めるためのものだ。隠れてしまうのはその副作用のようなものだ」

 何を……とは、聞かなかった。



「ハリーに会わせてくれ」

「ここにはいない」


 マルフォイの言葉は、あっさりとしたものだった。
 ただ、逸らされた視線が気になる。

 マルフォイはロンを見ようともせずに、外したボタンを留め直していた。


「マルフォイ! 頼む、どんな情報でもいいんだ。ハリーについて知っていたら教えてくれ」


 もう、ここが最後なんだ。
 その願いをこめて、叩きつけるようにロンは怒鳴った。





0612