その家は、山奥の深い森の中にあった。深い霧で閉ざされ、入り込む人間の感覚を惑わせて、方向の感覚を狂わせる。

 大きな屋敷。
 見上げるほど高く果てがわからないくらい長く続く塀に囲われた中に、その家はあった。
 こんなに大きな家なのに、この家の存在を近くの村の住民は知らない。閉ざされた空間。何か結界でも張ってあるのだろう。これだけ広い場所を、これだけ大きな屋敷を人の目から何年もの間隠せる魔法を使えるのは、それほど多くはいない。隠しているというと語弊がある。気付かないのだ。ここに在る、それを知っているのに意識の中に置かせない。見なかったということを強要させられる。ここに在ることを理解していても、通り過ぎるところだった。意識して探せば、ちゃんとここに存在している。
 それだけの魔力を持つ者はそうたいした人数はいない。

 門から屋敷までの距離が少しあるので霧にかかってあまりよくは判別できないが、ここから見る限りでは人が住んでいるようには思えなかった。人の気配は感じられない。

 記述上、ここにはもう誰も住んでいないはずなのだから。この家は、もう存在しない。この家に住む人間は事実上抹消されている。

(……ここだ)



 きっと、ここにいるに違いない。
 それでも、そう確信した。






 彼が姿を消してから、もう何年も経った。



 闇がこの世界を覆った時に、それを打ち倒した親友。
 世界を闇から救った親友。

 彼は、勝利と同時に世界から姿を消した。どこにも彼は存在しなくなった。相変わらず彼は英雄として名高く、彼の名前を知らない魔法使いなどいない。
 彼は誰よりも有名で、そして彼がどこにいるのか、誰も知らなかった。
 生きているのか、死んでいるのかさえも。


 彼がロンに聞いたこともない呪文を残して、そして全てから消えた。







 重い気持ちで、それでも意を決して、ロンは門をくぐった。




 屋敷の玄関までに続く庭は手入れが施され、色取り取りの花が咲き乱れていた。季節はもう冬を迎える時期だというのに、花の香りはむせ返るほどで、頭の芯が痺れてくるような、そんな幻覚作用を持つ臭いを発していた。
 門をくぐった瞬間から、冬の肌寒さを感じなくなった。
 暖かい陽気。
 さっきまではコートを着ていても、身体の芯から凍えるような寒さを感じていたというのに。門を入った途端に、空気が一変した。

 鳥のさえずりが聞こえる。

 咲き誇るカラフルな花々と、近くに噴水も見える。派手な物ではないが、流れ落ちるような水音が心地よい。
 
 コートとマフラーを着込み、手袋をはめ帽子を目深に被ったロンは少し場違いなような気がして、防寒具のマフラーと帽子と手袋を外した。それでも寒さは一切感じられなかった。
 この敷地内だけ魔法によって気候の調整がしてあるのだろう。


 門を入って、屋敷の玄関までは少し距離があった。

 石畳の道を通り、屋敷を観察する。
 大きな屋敷。
 ロンが勤める魔法省の建物と同じくらいの大きさを持っていた。

 ただ、相変わらず人の気配はしない。
 人工物を目の前にしながら、世界にたった一人だけしかいなくなってしまったような、そんな喧騒とは一切無縁の空間。

(ここに、彼がいる)


 ここは、存在しないはずなのだから。
 それでもここに在るということは、ここに何らかのヒントが隠されていると、そう確信して問題ないだろう。





 この家は……マルフォイは、取り潰しになり、その血統も死罪になったのだから。




 この家には誰も存在しないはずだ。
 この屋敷自体も潰したと、聞いていたのに。


 親友が、闇を払い世界を救った。そして闇の陣営に与する者は残らず死刑を申し渡された。
 その中核ともなるマルフォイ家は、誰一人として残らなかったはずだ。
 同学年に居た、あのスリザリンの少年も同じくして死罪となった。そう魔法省の発表にはあった。

 仕事の休みを縫って親友、ハリー・ポッターを探してもう何年か経つが、マルフォイの存在をずっとロンは忘れていた。こんなことがなければずっと思い出さなかっただろう。思い出したくもなかった。

 親友と、取り潰しになった魔法界の旧家、マルフォイ。
 そこにどんな繋がりがあるのかはわからない。
 ホグワーツに居た頃はライバルとして存在していたが、闇の勢力が活発化してきたらそんな可愛いものではなくなっていた。命を奪い合う関係。
 敵、それ以外に彼らの間に接点なんかはなかったはずなのだから。
 何故という意識はあるが、なんでもいい、手がかりが欲しかった。






 親友に会いたい。

(僕は、ハリーに会いたいだけだ)

 それだけだ。





 遠近感が狂ってしまうぐらい、広大な敷地。広い庭。
 扉は、門をくぐった時に感じたよりも大きかった。装飾の施された両開きの重厚な扉。
 それは家と呼べるほど簡素なものではなかった。屋敷というよりももはや城のレベルだ。

 ここで、あの性格の悪いスリザリンの純血主義は育ったのだ。
 そう思うと、納得できる気もする。これほど大きな家で育ち、何の不自由もなくきっと大切に育てられたのだろう。あの我侭な性格も、勿論思い返すだけで顔をしかめてしまいそうだが、それでも納得はできる。
 他人の顔色など窺わずとも生きていけるのだから。



 ノックしようとすると、扉は重そうな音を立てて、触れてもいないのに自然に奥に開いた。



 広い玄関ホール。

 左右対称に広がる空間。正面に緩やかなカーブを描いた階段が二階へと続いている。窓は見えないが、中は緩やかな光で満たされていて、大きな絵画と大きな花瓶に活けられた花がいくつも飾られていた。
 軽やかなバイオリンでも聞こえてきそうな屋敷だが、音は存在しない、完全な静寂。沈黙。空気の流れすらなく、まるで時間が止められているようだった。歪な。



 奥の方から物音が聞こえた。二階の左手の方。
 扉が開く音。



 扉が開かれたということは、ロンの来訪をこの家の主も認識しているはずだ。
 中を勝手に歩き回ってもいいということだろう。


 ロンは音のする方に足を運んだ。




 二階に上がり、左を見ると、いくつもの扉が存在していたが、一つだけ、奥の方の扉が開いていた。
 その部屋だろうか。ロンはそこに足を向ける。
 いくつもの扉の横を過ぎる。どれほどの部屋数が存在しているのか検討もつかない。
 廊下は広く長く、壁には絵が飾られ、花が生けられ、塵一つない。これほど整った空間だというのに、ただ人の気配だけがない。
 窓から射し込む陽射しは廊下を光で充満させている。今日は晴れていなかったはずだ。先ほど通ってきた庭も光で満ちていた。この敷地のこの空間だけが世界と隔離されている。隔絶された、世界。
 

 扉が開いている部屋に足を踏み入れる。
 誰もいなかった。
 部屋は広く、革張りのソファが向かい合わせに二つと、その中央に低いテーブル、クラシックな調度品がバランス良く配置され、この部屋も明るかった。
 深緑色の絨毯に足が沈む。


 テーブルの上にはティーセットが置かれており、ティーカップには今注がれたばかりであろう紅茶が湯気を立てていた。


 ここに案内されたと思って間違いはないだろう。

 
 コートを脱いで、ソファに腰を下ろす。沈み込むような、柔らかいスプリング。

(ここに、いるはずなんだ)


 もう、ここで最後にしようと思う。
 結婚してもう、子供もいる。
 ハーマイオニーもロンが彼を探す事を決して止めたりはしないが、そろそろ内心ではいい顔をしていないのではないだろうか。休みは全て彼を探すことに当てているから。もう、探し出せないのではないだろうか。本当にどこにもいなくなってしまったのではないだろうか。

 それでも、彼に会いたかった。





 最後に彼に会った時に、聞いたことのない呪文を教えられた。ハーマイオニーと様々な文献を当たったが、どんな書物にも記載されていなかった。

(あれは、何だったのだろう)


 最後に会った時、彼は普段通りで、いつもと同じようなくだらない会話をし、同じように笑いあった。
 そして、ふと謎の言葉を呟いた。

 ――覚えておいて……。

 彼はそう言った。それから少し考え込むような表情をして、忘れてもいいけど、と付け加えた。
 それだけがいつもとは違っていた。何であるのか聞いたのだけれど、その時の彼は、不思議と同じ年であることを忘れさせるような大人びた表情をしていたから、きっとそれは重要なことなのだろうと、そう思ったくらいで深く追求はしなかった。もしあの時に訊いたとしても答えてくれないだろうという確信はあった。
 決して短くない呪文だけれど、何度も唱えたので諳んじる事ができる。彼を探す時に呟いてみるが、それが何を示すものなのか見当もつかない。

 最後の決戦の頃、彼の魔力は誰よりも強く、ホグワーツに居る時はそれを隠すようにはしていたけれど、近寄れば魔法使いなら誰でもその魔力の大きさに気付いていただろう。親友だというのに時々震えが来てしまうほど彼の魔力は強く、恐ろしかった。もしかしたら彼のオリジナルの魔法だったのかもしれないし、それにもしかしたら呪文ではないのかもしれない。彼の行方に対しての暗号なのかもしれないが、それもわからない。
 とにかく彼を探さなくては。


 ロンは、ヴォルデモートが倒れた後、彼を探し続けた。

 もう、何年経ったのだろう。ホグワーツで学んだぐらいの年月は経ていると思う。
 彼の手がかりは本当にわずかなものだった。彼が育ったマグルにも捜索範囲は広げているけれど、結果は得られない。


 テーブルの上に白い丸い形のティーポットが置いてあり、その隣に真っ白なティーカップ。薄手の繊細そうなホワイトスノーで、持ち手と淵に金の模様が少しだけ描かれている。ソーサーにも同じ模様が描かれている。少しの衝撃でも軽く粉々になってしまいそうな、繊細な陶器。
 紅い液体からはゆらゆらと湯気が立つ。
 紅茶なのだろう。


 果たしてこれは飲んでも良いものなのだろうか。
 導かれるように、ここに来てしまったが……。急に不安になる。ここの屋敷と、安物のスーツを纏った自分がひどく場違いに思えた。

 彼を探していて、何度も危険な目に遭遇した。
 彼を知っているという相手について行って、情報料だけ取られたこともある。

 ここは、どうなのだろう。
 そう不安になったとしても、手がかりは少ない。虱潰しに当たっていくしか手はないのだ。














「アッサムは嫌いか?」










 透明度の高いアルトが、部屋に響いた。
 時間にしたら三十分ぐらいは経っただろうか。ここは時間の感覚を狂わせてしまうから、時計を見ないとわからないが。




 突然の声だったので、驚いてしまった。毛足の長い絨毯のせいだろうか、足音すら聞こえなかった。



 ロンは声のする方に慌てて振り返って、また驚いてしまった。






 これはロンの知っている、彼のライバルでもあったスリザリンの少年だった人物だろうか。


「紅茶は嫌いかと訊いているんだ」


 確かに、この尊大な口調は彼のものだ。
 少しだけ、記憶よりも声が低くなっているけれど、周りにいる誰よりも声の質は柔らかかく澄んでいた。あまり口を開かず、気だるい喋り方で、声もあまり大きくはない。それは記憶していた。
 
 ロンが覚えているよりも、彼が小さく見えた。

 もともとそれほど大きくはなかったが、痩せたのかもしれない。
 彼は白の襟の大き目のシャツを着て、細い黒のズボンを履いていた。シンプルなものだったが、それがロンが今身に付けているどんなものよりも値が張るだろう事はわかった。
 肌は、好けるように白く、髪は眩しいくらいのプラチナブロンドで、だいぶ伸びたのだろう、肩の辺りで黒いリボンでゆるく纏めてある。

 記憶の通りの顔立ち。大きなアイスグレーの瞳に、赤い唇。
 これだけ年月が経ったのだから、多少落ち着いた風貌にはなっていたが、生きているのだろうかと思わせるほど、彼はまるで彫刻のようで……。綺麗だというと陳腐に聞こえてしまいそうなほど、彼の美貌は際立っていた。


 彼は大股で近づいてきて、ロンの前のソファに乱暴に腰を下ろした。




「……マルフォイ」











何年かぶりに三人称で書いてみた。難しいね。みんなすごいなあ。
この話に関しては更新速度亀並になると思います。
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