7 ポッターが、僕のことを、ドラコって呼んだ。 僕は、耳まで赤くなっている、きっと。 心臓が、ドキドキしているのがわかった。 「あ、あの、ごめん。やっぱりファーストネームで呼ばれるの嫌だった? もし嫌だったら、やめるけど。あんまり君がドラコって呼ばれるの聞かないから、もしかしてファーストネームで呼ばれるの嫌い? だからみんなにマルフォイって呼ばれてるのかな。いや、ほら、せっかく仲良くなったんだから、さ。いつまでもマルフォイってファミリーネームで呼んでるのもなんとなく他人行儀な気がしたんだよ。それにマルフォイより、ドラコの方が呼びやすい気がしたんだ。ドラコって良い名前だよね、僕は好きだな。あ、でももし、君がまだ僕のこと友達とか思ってなかったり、僕のことをまだ嫌いとかで、馴れ馴れしいとか思うんだったらやめるよ。もし、そうだったらちょっとショックだけど。あのさ、仲良くなれたって、僕の一方的な思い込みじゃないよね」 脳の処理速度を越えた速度でポッターが早口で何か言った。 僕のことをファーストネームで呼んでくれた。 仲良くなったんだって。 どうしよう。 「……ごめん、嫌だった?」 そんなことはない。もちろん大歓迎さ! そう言いたいのに、顔が上げられない。ポッターの顔が見れない。心臓がドキドキしすぎて、声が出ない。 僕は、ただ思いきり頭を振った。嫌なわけないじゃないか。 「ドラコ……もしかして具合悪くなった?」 心配そうな、ポッターの声がして。 やっぱり、やめて欲しいかもしれない。 僕の心臓がもたない。 「いや、あんまり呼ばれ慣れてないから……びっくりして」 僕の声はうわずっていなかっただろうか。変な声が出ていないだろうか、普通に喋れていただろうか。 「あんまりファーストネームで呼ばれないから」 「そうなんだ?」 「ああ。ゴイルもクラッブも半々ぐらいだし、別にそれほど名前について執着したことがないんだ。どっちでも、僕だってわかればいいって……」 実際あんまりゴイルもクラッブも僕のことをドラコって呼ばない。呼ばないわけじゃないけど、呼び方はマルフォイだったり、ドラコだったり。純血主義とか貴族主義とか、僕達の家はまだその傾向が根強いから、格としては僕の家の方が上だし、だから二人からすると僕のことをドラコって呼ぶのは馴れ馴れしいのかと思っているのかもしれない。部屋で三人でのんびりくつろいでいる時とかは、時々ドラコって僕を呼ぶときもあったような気もするけど。マルフォイでもドラコでも別にどっちでも僕だし、今までそう言えば気にしたことがなかった。 家柄的には貴族主義を貫く魔法族の中でもマルフォイは中核を為すし、スリザリン自体がその傾向に強いから、僕のことをドラコとファーストネームで馴れ馴れしく呼ぶ奴も少ない。というか、いない。 「そうなの?」 「そうなんだ」 ようやく、ポッターの顔が見れた。 変に思われなかっただろうか。 ポッターは、しっかり僕を見つめていた。その視線にまた心臓が跳ねる。 「あのさ、ドラコでいい?」 「あ、ああ。かまわない」 本当は、嬉しいって伝えたいけど。 でも、それが僕が言えた精一杯の言葉だった。そんな、嬉しいとか、とてもじゃないけど恥ずかしくて言えない。 それに、ポッターも僕のことを友達だと思ってくれていたんだと思うと、嬉しい。仲良くなれたことに対して、嫌だって思ってなくて嬉しい。ずっと、もしかしたら僕はポッターの恋愛成就のための相談役ぐらいにしか思われていのではないか……そう思っていたから。もしかしたら初めのうちはそうだったかもしれないけれど、今は僕のことを嫌いじゃないんだと思うと……やっぱり嬉しい。 「じゃあさ、僕もハリーでいいよ」 ポッターがにっこりと、僕の気持ちなんかまるでわかっていないような顔で僕に笑いかけた。わかってるはずなんてないけど。わかってなんてもらいたくないけど。嫌われたくないし。 ハリー……… 僕は、心の中で呼びかけてみる。 ………無理! そりゃ呼びたくないわけじゃない。 僕だってハリーって呼びたくないわけじゃないけど。むしろ呼びたいけど。僕のことをポッターがドラコって呼んで、ポッターを僕がハリーって呼んで、そんなファーストネームで呼び合うなんて、まるで親友のようじゃないか。そう呼び合える仲になったら、すごく理想的だ。 ……うん、無理だ。 口を開こうとするだけで、恥ずかしくて顔から火を吹いてしまいそうだ。 「……なんとなく恥ずかしいな」 「そう?」 「友達をファーストネームで呼んだこと、ないから」 そう言えば、僕は誰かファーストネームで呼んでいる友人がいただろうか……。ゴイルとクラッブでさえ呼んでいないのだから……誰もいない気がする、やっぱり。名前に対して大したこだわりを持っていなかったようだ。いや、持っていたからファーストネームで誰も呼べなかったのだろうか……。 「じゃあ、僕が第一号になるんだったら、尚更呼んで欲しいな」 ポッターは満面の笑みを僕に向けた。 「………」 どうやら、僕は彼の笑顔に弱いらしい。 でも無理だ。そりゃファーストネームで呼び合えたらより親密になった気がして嬉しいけど。 僕がもたない。今だってこんなに心臓が働きすぎてるのに。 ………。 「あ、とりあえず隣りに座って良いか」 僕は、ポッターが今だにベンチに膝立ちになって楽ではなさそうな体勢をしていることに気付いた。 「ああ、ごめん気付かなくて」 僕は彼の隣りに並んで座った。 なんとか誤魔化せるだろうか。 ちょっと、この話題にはもう触れたくない。本当に、せっかくポッターと一緒にいるというのに、ポッターと喋れなくなってしまいそうだ、恥ずかしくて。 「最近、その好きな人とはどうなんだ?」 急で、無理な話題転換。 「ああ、うん。うまく行ってると思うよ」 それでも、ポッターはついてきてくれた。僕からそのことに対して触れることはあんまりないから。はっきり言って今でもポッターの恋愛状況については本気で興味がない。むしろ今となっては知りたくもない、というか喋るな。もはや、やめてくれ。 勿論ポッターは僕の心中を察することもないし、その話題については触れたがっているから、乗ってくるのは当然といえば当然のことだったんだけど。 僕は僕の腹の中なんて察知させるつもりもないし、さりげなく触れないようにしている。イライラするだけだから。 「それは良かったな」 声が、尖らないように細心の注意を払う。 「でも、仲良くなったばっかりだからさあ。どうなるんだろう」 「そうか。付き合えそうか?」 「まだ如何とも。ようやく相手のファーストネームで呼ぶことができたぐらいだから」 「そうか……」 そうか、ようやくその好きな人のことをファーストネームで呼ぶことができたのか。やるじゃないか、ポッター。僕は照れてしまって無理そうだ。たかが名前を呼ぶことごとき……が、こんなに勇気と度胸が必要なことだとは想像もしなかった。 ただ、僕と彼女は同じ位置にあるのだと思うと、なんとなく機嫌が悪くなる。僕もようやくポッターにファーストネームで呼ばれたばっかりなのに。まあ、ポッターの中での僕の位置なんて、それほど高くないんだろう。彼女が一番で、親友二人が2番で、僕は何番だ? 僕は最近ポッターが一番なのに。 それともポッターの好きな彼女と同じだと喜んだ方がいいのだろうか。その一番の好きな人をようやく名前で呼べることができて、僕も今ポッターにファーストネームを呼んでもらったのだから ……複雑な気分だ。 「まあ、頑張れ」 「…………」 声が、少し尖っていた。気をつけないとすぐこうなる。 僕の少し突き放した態度が気に入らなかったのだろうか、ポッターは少しだけ溜め息を吐いた。 「……あきらめる気なんか全くないけどね」 それはそれはどうもご馳走様でした。そう、少しぐらいの嫌味は言ってよいものだろうか。 僕なんか………。 初恋だと気付いた時にはもう失恋なんだから。 絶望的なんだ。 ポッターの好きな人がポッターのことを好きだったら、少し申し訳ないような気もするけど、でも、少しぐらいは僕にだって良い思いをさせてくれても良いだろう? ファーストネームで僕が呼ばれる事を僕が喜んでもいいよな。 「応援してるよ」 僕は心にもないことを言って、それに笑顔を付属して誤魔化した。 全然これっぽっちも応援なんてしていないがな。 さっさと振られてしまえば良いのに。 もし、振られたら僕がたくさん慰めてあげようと思う。いっぱいいっぱい優しい言葉をかけてあげて、それでもしポッターが泣いたら泣き止むまで手を握っててあげる。立ち直れなかったらずっとそばにいてあげる。ポッターが笑うことができるまで、僕が横でずっと笑顔でいてあげる。僕が横にいてあげる。 そんな、無駄な妄想。 ポッターが失恋しても、僕の恋が叶う可能性はまったくないことは理解しているけど。 でも、せめて彼の恋が叶わなければいいのに。 きっと、この笑顔をポッターの大好きな誰かに向けて、ポッターの温かい手で頭を撫でたり、相手が風邪をひいたら額に手を当てて心配したりするのだろう。 僕は、……それで平気なのだろうか。ポッターがポッターの好きな人と両想いになって、それであきらめることができるだろうか。 いきなり元の宿敵の関係に戻る事はないだろうが、ポッターが幸せを手に入れて彼女と一緒にいて笑っているのを見た後に、こうやってポッターに笑いかけることができるだろうか。 僕の想いを伝える事なんかはできない。 気持ち悪いと思われることは間違いない。もし伝えたら、ポッターは優しいから気持ち悪いなんて言わないだろうけど、それでも口には出さなくてもきっと僕を重荷に感じてしまうだろうから。 伝える事すらできない。 嫌われたら、世界が終わるぐらいきっと悲しくなってしまうから。 だから。 せめて彼の想いが叶いませんように。 → |