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 貸し一つだよ。










 
 ……気になる。
 ポッターが、僕と仲が良かったという屈辱的な噂も耳に入ったが、それすらも気にならないほど、貸しができてしまったことが気になる。
 噂はあっという間に広まったらしく、僕とポッターを交互に見ているやつらの不躾な視線を何度も感じたが、そんな事は気にならない。イライラしないこともないが、いちいちそれに何か文句を言うほどでもないし、本当に僕とポッターは水と油なのだから仲良くなるわけがないだろう。放って置けば勝手に消える噂だ。気にしなくてもいい。それよりも……。

 あいつは僕に何を要求してくるつもりだろうか。


 今まで僕が奴にして来た事を考えると、怖くて食事もろくに喉を通らない。借りがあるという事は、僕にどんな報復をされるのだろうかと考えるのと同じことだ。まあ僕がポッターにしたことと同じように、こっちも同じぐらいの被害を被っているのだが。




 そんな恐怖に脅かされているとも知らずに、ゴイルもクラッブも朝食を貪るように食べているのを、僕は横目で見ながら溜め息を吐いた。相変わらずこいつらの食欲を目の当たりにすると、こっちの食欲まで奴らに食べられてしまったような気分になる。僕はシリアルを食べていたスプーンを置いた。


 何ごともなく、一日が過ぎた。

 グリフィンドールとの合同授業は、今日一日はポッターが何をしてもおとなしく過ごした。
 挑発したりしたら、何を要求されるかわからないから。
 何度も面白いことをしでかしてくれて、馬鹿にしたいのを必死に堪えた。




 あと少しで授業が終わる。この授業で今日は最後だ。
 まあ、今日じゃないかもしれないし。

 僕がポッターなら、美味しい場面を吟味して、ポッターに最高に屈辱的な思いをさせる時に効果的に使いたい。

 まあ、その時に考えよう。大丈夫だ。




「マルフォイ、話があるんだけど」
「うっ……」

 ポッターに周囲に気付かれないくらい小さな声で、僕の横を通り過ぎる時に耳打ちされたので、反射的に声を詰まらせた。
 ひどく嫌そうな顔をしてしまったのを見て取ったポッターは、少し苦笑をした。

「授業終わってからでいいよ、昨日の所で待ってるから」

 ざあーっと血の気が引いて行くのがわかった。僕の顔はきっと蒼白だったに違いない。






















「何だ」

 昨日の嫌な思い出がある場所に行くと、近くのベンチにポッターが座っていた。
 目の前に立って尊大な態度を繕ってポッターを見下ろした。

「座れば?」
「長くなるのか?」
「………うん」

 こんな喧嘩腰でないポッターの僕に対する態度は初めて見る。

 しばらくポッターを見ていたが、僕が座らなければ話を始めそうもないので、ポッターの左側に……なるべくベンチの端っこに腰を下ろした。
 というよりも何でこいつは真ん中に座っているんだ。僕が座るんだから少しは横にずれろ。

 座って話をするだなんて、なんだか、真剣な話なのかもしれない。
 そんな話をするほど仲はよくないはずだが、というよりも最悪なはずだが……?


「お願いがあるんだよね」

 僕は、その言葉に身体を強張らせた。

 何が来るんだ。

 サンバの格好をしてホグワーツ一周とかだろうか。今日もまたスネイプ先生に減点されていたから、スネイプ先生の大切なものを盗んでこいとか? それとも……。いろいろ想像してみたが、さっぱり思い付かない。できない事はできない。いくらポッターに借りを作ったとはいえ、ちょっと一緒に廊下を歩いた程度のものなのだから。無茶な要求などは飲まなくてもいいだろう、きっと。

「夕食の時に下着一枚で大広間に来いとか、無茶な要求なら断る」
「……それもいいね」
「断る」

 僕は思わず立ち上がった。
「待ってよ、そんなんじゃないんだ」
 ポッターが僕の手を握った。
「離せよ」
「座ってくれたらね」

 本当は、このまま帰りたかったのだが……ポッターの手の温度が気になったので、離してもらいたくて、おとなしく座っておいた。
 体温を感じるようにポッターに触った……というか触られたのは初めてだ。
 差し出した手を振り払われた時も、殴り合いの喧嘩をした時も、ポッターの体温なんかは気にならなかったから。それどころじゃなかったし。

「ありがとう」

 礼を言われる筋合いなどないが、こいつに頭を下げられるのは気分がいい。

「それで?」
「いや、あのね……」
「なんだ?」
「うん……」
「そんなに言いにくい事なのか」
「………」


 人を呼び付けて置いてなんだ、こいつの態度は。
 口ごもるばかりで、要点を話し出そうとしない。

「一体何なんだ?」
「そんなに急かさないでよ」

 はっきりしなくてイライラする。
 僕はイライラしてきて、腕組みをしてポッターを睨みつけた。足を組み直したりして、さっさとしろ、早くしろ、帰りたい、を強調してみる。
 こんなところで並んでポッターと話をしていることが苦痛だ。

「……ちょっと、相談したいことがあるんだ」
「はあ?」

 つい、声が裏返ってしまった。


 ポッターが?
 この僕に、相談?


 何を勘違いしているのだろう。
 相談だなんて、僕が天敵に塩を送るような真似をすると思っているのだろうか。どこまでおめでたい頭を持って居るのだろうか。


「今、僕好きな人がいてさ……」
「はあ」

 なんで僕がこいつの恋愛事情を聞かなきゃならないんだろう。つい、情けない声が出てしまう。

「グレンジャーとかか?」
「まさか」
 いつも一緒にいるから、きっと彼女と仲が良いのだろうと思ったのに、あっさり否定された。


「そのことで相談したいんだ」
「へえ……」

 つい、他人事のように聞いてしまった。相談を受けるのは僕だというのに。
 というか、他人事だ。
 別に僕はポッターが誰と好きだろうと、誰と付き合おうとまったく、関心がない。どこの美女と付き合おうと、どんな不細工が隣に並ぼうと、僕には関係のないことだ。むしろ、不幸になれと日々念じている。

「なんでそんなこと僕に相談するんだ?」

 君を嫌いなことを君だってよく知っているじゃないか? 頭悪いのか? 僕がお前の幸福を望むわけがないだろう? しっかりしろ。
 つい、いらぬ心配してしまう。
 相談を受けても良いが、決して君が幸せになることを祈れないぞ?

「ほら、マルフォイって女の子に人気あるし」
「……」

 決して本意ではないのだが。

「僕の友達、そういうことで役に立ちそうなアドバイスをくれそうなのがいないんだよね」
「………まあ」

 僕はウィーズリーや、彼の回りにいる奴等を思い描いてみる。
 確かに女の子の扱い方に頭を抱えたくなるような対応をしている気の使えない奴等ばかりだ。

「まあ、お前の友人達は人気ないだろうな」
「そうなんだよねー」

 ポッターもウィーズリーの事とかを思い出しているのか、苦笑混じりに呟いた。

「断る」
「ええー、なんで」

「お前の役になんか立てそうもないし、役立ちたくもない」

「貸し一個、パンツ一枚で夕食とかの方がいい?」
「………」

 忘れていた。
 こいつには、借りがあるんだ。
 だからと言って、はっきり言って僕は女の子が苦手なんだ。女心なんかわかるはずもない。わかってたりしたら別に昨日の女の子も僕の事を好きじゃなかったはずだ。

「だが断る。僕に相談することが君に有益だとは思えない。僕ができそうな他のことにしてくれ」

 僕のせめてもの優しさだ。
 立ち上がると、再びポッターが僕の手を握った。

「話を聞いてくれるだけでもいいんだ」


 ………。
 つい、顔を見てしまった。
 真剣な眼差しがあった。

 ……本気か?

「ね、マルフォイ」

 天敵の僕にこんな事を頼むだなんて、そんなに使えない友人ばかりを回りに置いて何が楽しいんだ。女の子の扱いもまともにできないような駄目な奴等ばかりを友人にしているポッターに思わず同情してしまう。
 昔も言った記憶はあるが、友人は選んだ方がいいぞ。





「お願いします」





 ポッターが、頭を下げた。



「………」








 ポッターが、僕に頭を下げた!






 なんて気分がいいんだ!


 つい、優越感に浸ってしまう。
 こんなオプションが付くならば、好きでもない女の子に言い寄られるのも悪くはないかもしれない。


「まあ……話を聞くぐらいなら」

 顔がにやける。頬の筋肉が緩むのを必死で押さえて憮然とした表情を作った。

 勝ち誇った気分だ。
 こんなに気分がいいのは久しぶりだ!

 しかも、もし相談に乗って、下手なアドバイスを送って、ポッターがフラれたりしたら、最高だ!

「ありがとう、マルフォイ!」

 ポッターが全開の笑顔を僕に向けた。僕に向けられたのは、初めてだ。晴れている日のような気分が良くなる笑顔。こいつの事を嫌いじゃなかったら引き込まれて僕も笑顔になってしまうのだろうと思うぐらいの。

 ……少しだけ、ほんの少しだけ罪悪感を感じた。


 少しは他人を疑った方がいいぞ。







0611