8 「ドラコ」 声を掛けると、一瞬だけ身を縮ませてからドラコはゆっくりこちらを向いた。 「………やあ、ニコラス」 休みの日いつも通り、いつもと同じ場所、僕は君に会いに行った。 会えない時間、ひどく悩んだ。 もう、ドラコが会ってくれないような気もした。 でも、僕はドラコの家も知っているから、押し掛けて行っても僕はドラコに会うつもりだったけど。性質が悪いと思うけど。 ドラコは、いつも通り青い薔薇の咲くガラスの温室の前のベンチに腰をかけて、ただゆったりとした風を受けていた。 笑顔は、いつも通りだったから、安心した。 この前はすごく失敗したと思った。 やはり、言うべきでは無かったようだったから。 はっきり言ってもう、色々諦めなくてはならなくなりそうなほどすべてが手に着かなかった。 食事が喉を通らないなんて、人間の生体機関を維持する為の本能に勝る悩み事なんて、僕は今まで感じたことがなかったから。幼少時に食事をロクに与えられなかった経験のおかげで、幸か不幸か、どれほどの悩み事の前にも、僕は食事はきっちりと取っていたというのに。 ドラコに、もう会えないと、そう思っただけで口に入れた食事を飲み込むよりも先に、涙が出てくるような……人前で泣いたりはしなかったけれど、なんとも情けない醜態を周囲に撒き散らしていた。 仲の良いチームメイトとか、気を使って色々相談に乗ってくれるようなことも言っていたが、僕は笑って恋の悩みだとしかいえなかった。 何の事はない、誰でも一度は経験するだろう恋の悩みだ。 僕だって今までに何度も振られた。分かれた後も引きずって、一年後も思い出すような恋だってしたこともあるけれど。 食事が喉を通らないなんて、それほど僕は思いつめていたのかと思うと、つい泣けてくるよりも、もはや自嘲的な感傷に浸ってしまう。 僕は、彼が好きなんだ。 普通に考えたら、僕の事を好きでない相手と一緒にいることなんて考えられなかった。振られた相手とは一生会うつもりもなかったし、会いたいとも思わない。 ただ、ドラコに関しては……僕は、少し感覚が変化したのかもしれない。 彼に、他にどんな魅力的な相手がいたとしても……僕は彼を手放す気は何もなかった。 彼が僕の事をどう思っているのか、それは僕にとっては二の次で、一番大切な事は、ドラコに会えるかどうか、それだけだった。 ドラコを好きだって気付いてしまったから、失恋したのもすごく悲しかったけど、それ以上にもう、ドラコに会えないかと思うと、本当に胸が押し潰されてしまうかと思った。 「もう、こないかと思った」 ドラコは微笑みを僕に向けた。 この笑顔が僕のために作られたのかと思うと、嬉しくなる。 「来るよ。ドラコは友達としても、大好きだからさ」 半分嘘で、半分本当。 友達としても、ドラコとは話していたい。 でも、僕がドラコに会いたいのは、友情じゃないから。 「……ありがとう。僕も君のこと、初めてできた親友のように感じていたから」 君と離れると思うと切ない。そう、言ってくれた。 学生の頃を思い出すと、君は周りに誰もいなかった。取り巻き連中はたくさん居たけれど、友達としての付き合いはなかったように思う。勿論、僕の目から見た限りだけれど。ホグワーツにいた当時の僕の目は、ドラコに関しては限りなく曇っていたし、実際見たくもなかったから、交友関係なんてまったく知らなかった。だけど、いつも一緒にいるのはあまり変わらなかったように思う。 僕や僕の友人達は目の敵にしている感はあったが、グリフィンドール以外の他寮生とは、普通に話している姿を見かけたこともあるけれど、特定の誰かと常に一緒にいるということはなかったのではないだろうか。 取り巻き連中とは行動していたけれど、僕の目から見た感じでは、本当に友達というよりも取り巻きといった感じだったから。輪の中では、彼の発言に周りが同調するような、対等の立場にあるようではなかった。 ドラコは、常に周囲に線を引いて、誰も近付けないようにしていたところがあった。 過去の僕の目のフィルターを通してでも思い返せば、取り澄ましたようで、冷たい雰囲気を振りまいていて、誰も寄せ付けずに、それはどこか孤独を楽しむような感じもあった。 全てに恵まれていた彼も、何か思うところがあったのかもしれない。 そんな彼が、僕を友達だ、って言ってくれた。 友達だって。 僕のことを、好きだって言ってくれたのときっと同じだ。 その好きの内容は僕の想いとまた違うものだけれど、それでも君の気持ちが少しでも僕に向いている限りは、君が僕を遠ざけようとしない限りは、僕は君のそばにいようと思う。それまでは、僕は彼の側にいたい。 好きだっていう気持ちは、君が僕のことを求めて欲しい、それもあるけど。それ以上にただ、僕は君のそばにいたい。 君のそばにいて、君に災い為すすべてから守りたい。 もしかしたらそれには、罪悪感や償いの気持ちも含まれているのかもしれない。 君の全部を奪い取った僕が自分の復讐と望みをすべて叶えているのに、僕が好きな君はすべてを失った、そう思うと、僕は君に対して何かをしなければならない、そう思った。 だから、君が僕をそばにおいてくれる限り僕は君のそばにいて、君を全身全霊で幸福にしてあげたい。 勿論、そんな欺瞞的な感傷は伝える事は出来ないし、ただ僕がドラコを好きなだけだ。 彼がようやく笑ってくれたんだ。 こんな、穏やかで暖かい空気をまとってくれたんだ。 僕は、彼からそれをなくすのが怖かった。 彼のこの笑顔を護る為なら、きっとなんだって出来る。世界が敵なら、それでもいい。 「……その、この前のことは忘れるから」 「できたら、覚えておいてよ。嘘じゃないし。僕の気持ちは今でも変わっていないんだから」 今でも変わっていない。 君が好きだ。 だから、プライドとかそんなくだらないものは全部いらない。 君のそばにいたい。 君が誰を好きでも、君が僕以外の誰かと幸せになっても、君が笑顔でいてくれるなら、きっとそれが僕の幸せだから。 ドラコには、笑っていて欲しい。 だから……。 「ドラコが、僕の秘密を一つ知っただけで、何も変わらないよ」 「ありがとう……」 そう、言ってドラコは、嬉しそうに笑った。 これだけで、僕は満足だ。 本当は抱き締めたいし、キスもしたいし、できればそれ以上のことだって望んでいる。 ドラコは男だけど、僕が知るどの同性よりも男臭さがなく、中性的で男というよりもただ、人間として誰よりも綺麗だから、彼を抱きたいと思うことはよくある。 だけど、君に会えないくらいなら、ただそばにいるだけでいい。 君が悲しむことは僕がどんなことをしてでも、全力で排除する。 君の笑顔の要因のわずかな部分を僕が占めていれば、それが嬉しい。 そう、思う事にしたから。 笑っていて。 「ドラコの、秘密も知りたいな」 「別に、そんなのは何もないよ」 彼は笑った。 たくさんあるのだけど。 僕はハリーだから君のことは君が教えてくれた情報以上に知っているけど、ニコラスとしてのことは、ほとんど何も知らない。何も聞いていない。何も教えてくれない。 ドラコは、僕を友人として大切に思ってくれているのはわかるけれど、でも決して完全に心を開いてくれている、という感じはしない。 どこか、作り物めいた乾いた感情しか君には見えない、見せてくれない。 学生のころ、あんなに激しい感情を僕たちはぶつけあっていたのに。君の中にはそれが、すっかりなくなってしまったのだろうか。それでも僕は彼が好きだし、もしその激しい感情を隠していたのだとしても、僕はそれを全部容認できる。 君が好きだ。 僕は友人のニコラスとして、君が僕に心を開いて欲しいんだ。 友人で、良いから。 君は僕の方を向いて、僕は見えていないけど、どんな風な僕を思っているのだろう。 さらさらと、風が彼の髪を嬲る。宙に舞うと反射してきらきらと、綺麗だ。 精巧に作られた人形みたいに整った顔立ちが、笑うとこんなに幸せにさせてくれる。 「好きだよ、ドラコ」 「…………」 ドラコは、赤くなって俯いた。 「……だから、応えられないって」 「いいんだ、それでも。君の近くにいたい」 僕は、ドラコの髪の毛を手櫛で梳いた。 指の間からさらさらと髪の毛が零れる。 0611 |