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 僕がドラコの家に行くと、ドラコがポトフを作っていた。
 扉を開くと、美味しそうな匂いが漂い、食欲をそそる。
 明日は休みなので今日はゆっくりしようと思いドラコの好きそうなワインを手土産に持ってきた。勿論今日も、彼の家に泊まるつもりだ。
 ドラコの住むこの家に置いた僕の私物も増えてきている。私物と言っても着替えの服ぐらいなものだけれど。

 ドラコが、僕が来ると思って料理を作って待っていてくれる。僕が来る事を待っていてくれる。僕を待っていてくれる。
 なんだか、新婚生活みたいで僕の頬は綻ぶ。

 料理は美味しくて、ワインも進む。
 今日の練習中にあったこととか、そんな事を話して、ドラコも今日作った薬の出来栄えとか、薔薇の調子とかそんなことを話すのを聞いて、こんな他愛ない事で笑い合える仲だったのを、僕はなんだか不思議な気持ちになる。昔は嫌いだったから、こんなに好きになるなんて夢にも思わなかった。昔は同じ空間にいて息をしているのさえ、厭だと思っていた。今は逆に同じ空間にいて、ドラコが手の届く場所にいないと落ち着かない。
 僕は昔のドラコを知っていて、ニコラスとしての僕は今のドラコを知っている。ドラコはニコラスとしての僕にはあまり興味がなくて、僕じゃないハリーが好きで、僕がハリーだと言うことを知らない。
 不思議な関係。
 僕たちは、両想いなのに。

 何も変わらなければいい。
 僕のことを好きになって欲しいけど、ドラコの気持ちは僕に向いているから。他の誰でもないから、耐えられる。

「なんで、僕と寝たの?」


 ずっと聞きたかった質問。
 もちろん今でも合意の上で、と言うわけでもないが、僕に抱かれても決して拒まないし、嫌そうではないし、気持ち良さそうにしてくれるし、許してくれる。
 友達だからと言っても、無理矢理犯した相手を、僕ならば決して許すことができない。しかも同性に。
 こうして笑っていられるのが不思議だ。

「笑わないか?」
「笑える理由?」
「……声」


 そう言って、ドラコは見えない目を伏せて、はにかんだ笑いを作った。

「声?」
「ハリーに似てたんだ」
「………」
「喋り方とか。記憶しているだけだから、ハリーはあまりインタビューとか受けないから、曖昧だけど、初めてニコラスの声を聞いた時に、びっくりしたんだ」

 ………。

 僕は間違えてしまったのだろうか。
 あの時に僕がちゃんと名乗っていれば、もしかしたら今僕は僕としてドラコの気持ちを手に入れていたかもしれないのだ。
 間違えてしまったのだろうか。
 あの時、ドラコに初めて再会した時、僕はドラコにもう一度会いたいと思って、あの時僕だと名乗っていたら、そのまま別れて二度と会わないような気がして……だから名乗らなかった。
 名乗れなかった。


 あの時、もし僕がちゃんと僕だと君に伝えていたら、今僕は君の気持ちを手に入れていたのだろうか。

 想いは巡る。

 ただ今は、僕が僕だと打ち明ける勇気はない。
 もう、できない。君は僕をニコラスと認識して、それで僕は彼といることが出来るのだから。もし……彼が僕から離れてしまったら……そう思うと、僕は何も言うことが出来ない。

「へぇ……」
「似てるって言われないか?」

「……何回か」
「やっぱり」


 ドラコはにこりと笑った。そんな笑顔を向けられたら、僕はどうして良いのかわからないじゃないか。
 綺麗な笑顔。
 僕のことだけど、今ここにいる僕に向けた笑顔じゃない。嫉妬でどうにかなってしまいそう。でも、僕の声とか覚えていてくれたことなんか嬉しくて。
 僕はどうしたいんだろう。

「なんで、そんなにハリーが好きなの?」

 なんで、そんなに僕のことが好きなんだ。
 ハリーのことなんか忘れて僕を好きになって。
 僕がハリーなのに。覚えていてくれて嬉しい。
 もう、よくわからないよ。

「だって、英雄じゃないか」

 さらりと。

「確かにそうだけど、だって君は………」

 君はマルフォイだから。

 僕が君のほとんどを奪ったのだから。
 勿論僕のしたことに後悔なんかはない。僕がしたことで、僕は満足もしているし、それが正しかったのだと今でも思う。僕は大義名分は何もなく、ただ、僕の復讐だっただけなのだが、それでも世界はそれで僕を認めてくれた。
 ただ、君が全てをなくしてしまった。



「僕は、マルフォイなんだ」


 知っているよ。

 ハリー・ポッターという名前よりは有名じゃないけど、マグル出身と言うわけじゃなければ、この国の魔法使いで知らない人はいないはずだ。

 由緒正しい、純血の、歴史のある、例のあの方の手下の、没落したマルフォイを知らない人なんかはほとんどいない。
 だけど取り潰しになったからドラコはドラコ以外の名前を僕に名乗ったことはない。
 今はマルフォイは、悪い意味合いでしか使われないから。だから名乗らないのだと思っていた。

「……へえ」
「僕は、あの家の最後の純血で、兄弟もいなかったから、本当に大切に育てられたんだ」

 知ってる。
 誰からも優しくされることを当然とした傲慢な君を知っている。誰からも優しくされた事が無い僕は君をひどく嫌っていた。

「手に入らない物なんて何もなかった。みんなが僕に優しかった。それが僕がマルフォイだからだって事くらいは知っていたし、それを誇りに思っていた時もあったくらいだ」

 僕は、マルフォイ自身の話を聞くのは初めてかも知れない。今日あった事や、料理の味付けなど本当に他愛ない事は最近饒舌になってきているものの、やはり僕の話を聞いている方がほとんどだった。クィディッチに関してはよく口が動くようだけれど、それ以外では僕が話を促して初めて口を開く。それにドラコの内側の部分に触れた質問をしても、ドラコははにかんで答えない。答えても、曖昧だ。

「僕もそれに相応しくなろうと、親の期待には答えていたと思う」

 君はずっとマルフォイの申し子みたいだった。知っている。

 何でドラコは僕に話してくれるんだろう。

「ずっと僕は家が嫌いだった」

「ドラコ?」
「嫌いだったんだ、本当は。家が無くなった時に、僕がマルフォイじゃなくて良いって、そう思った時に、すごくほっとしたんだ」

 こんなこと、父に聞かれたら殺されかねないけど、と付け加えた時だけ、少し笑顔だった。

「父も母も親として愛していたけれど、父のようになって母のような女性を伴侶にするのは、僕の義務だったことで、僕の望みじゃなかったことを最近気付いたんだ」

 いつもの、穏やかな口調。
 淡々としていた。
 いつもと少し違うのは、笑い方が、自嘲的だった。
「父のことも、母のことも愛していたよ。僕の親として、愛していた。でもその理由だけで親からの責任を僕が追う必要はない」

「……」

 彼がそんな事を考えていただなんて、僕には不思議だった。
 彼は、マルフォイであるからこそ生きているような人格を形成していたから。それ以外のマルフォイは見たことがない。

「入学する前、僕はほとんどの時間を一人で過ごして、両親よりも家庭教師と過ごした時間の方が長かった。家には誰もいなくて、ただ広くて暗かった。父はあまり家にいなかったし、同じ家にいても何日も会わないのが当たり前だったから」
「入学する前って、まだ本当に小さい頃だよね」
「そうだね」
 マルフォイは旧家と聞くから、どれだけ広い家かわからない。
 小さなドラコが、一人で過ごしていたことを想像した。
 どれだけ寂しいことなんだろう。僕もいない方がいい人間に囲まれて生きてきたが、階段下の物置がずっと僕の部屋だったが、僕はずっと自分の不幸を噛み締めていた。
「家が、嫌だったんだ。あの家が。暗くて。誰もいなくて、静かで」
「ずっと、可哀相だったね」
「そんなことはないさ。僕は自分が不幸だと感じたことなんてない。ただ、あの家に帰らなくて良くなった事で、より幸福になっただけだ」

 本当に、そう思っているのだろうか。
 本当に、ドラコは幸せなんだろうか。

「だから、ハリーは僕の恩人なんだ。彼が僕を幸福にしてくれた」

 ドラコは、そう言い切った。
 はっきりとした口調だった。

「本当に…、そう思ってるの?」
 本当なら、僕は君からすべてを奪った敵なのに。
 君は心底から奪われた事に対して、幸福に思ってくれている?
 僕は君に対して罪悪感を感じないでも良いのだろうか。
 君は本当に僕の事を恨んでいない?

「もしドラコがマルフォイなら、君は君の家を潰したハリーを、憎んでるんじゃないの? 目だって……」
「そう思ったことはないな。ハリーは恩人なんだって、もうそうしか想えない。僕を救ってくれたんだ」

 君のまなざしは僕を映してはいないけれど、きっと僕のことを思い出してくれている。

「僕から光が無くなった事は些細な事で、始めは不便だったけど、今は何の問題もなく生活している。しかも、今後仲間と会わないようにって、また第二の脅威を作らないようにって、そんな理由で僕の目は見えないんだ。仲間なんていないし、そんなもの僕はいらないのに」
「……ドラコ」

 ドラコの口調も、表情も相変わらずで、僕は彼が傷ついていないと錯覚してしまう。
 ずっと、苦しかったのだろうに。

「……ごめん」

 君のことを何にも知らないでごめん。
 君がいつも笑っているから。

「何故ニコラスが謝るんだ?」

 変な奴だと言って、笑った。

「なんで、そんな話を僕にしてくれる気になったの?」

 今までははぐらかしてばかりだったのに。
 僕は君の事を知っているから、だから聞かなくても安心していたのに。
 なんで、僕に話してくれる気になったの?

「そろそろ君と会ってから一年経つし…」

 それに、とドラコは続けた。






「僕は、ニコラスのことも好きになったみたいだなんだ」







0611