「……あ」 中庭の、校舎と樹の影。 また……。 隠れるようにして、二人がいた。何をしているんだろうか、そんな事、知りたくもない。 何度目だろう、ポッターと彼女が一緒にいる所を目撃するのは。 僕は二階の窓から二人を見ていた。 通りかかった二階の廊下の窓から、二人が見えた。ここからは二人が見えたが、それ以外の場所からはきっと見えない、そんな場所にいた。見つからないような場所に、居た……。 僕は、何も言えない。 僕は見なかったふりをして、通りすぎるだけだ。それ以上はできない。 初めは、声だけしかわからなかったけど、この前一緒に歩いているところを見掛けたから。それから何度か一緒にいる所を見たから、きっと最初の時も、彼女なんだろう。 最近、ポッターがあの部屋に来なくなった。あれ以来、来ない。来ない理由なんか、聞けない。あの部屋以外では僕達は他人よりももっとひどい関係だ。そんなことを聞けるはずがない。 来ないなら、来ないでいい。もう、来ないで欲しい。 また、来たら、きっとその理由を問い詰めてしまいそうだ。 ポッターの彼女を気遣うような態度に吐き気がした。 そっと肩に手を置いて顔を覗き込んで、笑顔を作って。 静かな声で話していたようで、何を話しているかなんか聞こえなかったけど……聞きたくもない。聞きたくない。 胸が、痛くなった。 僕は。 見なかったふりをして、気付かなかったふりをして、僕は通りすぎればいいんだ。僕は、気付いたってどうすることもできない。 早く、この場から立ち去ってしまいたい、逃げるわけじゃない。僕はただここを通過するだけだ。偶然目に入ってしまっただけだ。僕の目的はこの廊下を歩くことで、だから、逃げるわけじゃない。それなのに。 足が、動かない。 どうしよう。 心臓の音が煩い。 頭の芯が赤く染まっていくのに、指先や爪先は氷のように冷えていく。 動け。 動け動け動け動け! 早く、こんな場所から立ち去らなくては。 見ていたことなんて知られるわけには行かない。これ以上見ていたくない。 早く、床に根が張ってしまったような重たい足を動かさないとって、そう、思うのに、僕は動けなくて……。 たぶん、ポッターが顔を上げたのはただの偶然。偶然に、近くの樹にとまっていた鳥が羽ばたいたから、それだけの理由で、ポッターは顔を上げた。 僕が彼とその女の子を見付けてしまったのもただの偶然だったから。 目が、あった。 窓越しに、二階の窓から、こんな遠い距離で、僕達は相手の呼吸すら感じられるほどに見つめ合った。 ポッターが何を言っているかさえ解らないのに、それでもきっと、僕の鼓動の音さえポッターには聞こえてしまうと思った。 僕は、ただ……どうすることもできなかった。 足も動かなくて。 きっと……これで、もう。 きっと、終わる。 僕が知らなければ、知らないふりを続けていれば、きっともう少し長引かせることができたかもしれない。また、もしかしたら気まぐれでポッターがあの部屋に来ることがあったかもしれない。 でも、僕は知ってしまった。ポッターと彼女が二人でいる所を僕が見た。それをポッターに見つかってしまった。僕が彼女とポッターとの関係を知っていることを知られてしまった。 足がすくんで動かない。 僕の感情は恐慌してぐるぐる頭を巡る。どうにもできないのに、どうしようかと考える。終わるのがわかっていても、それ以外の現実を頭の中にすら構想できなくても受け入れることができない。 足が動かないのに……きっと、空気が凍ってしまっているからだ。だから、時間も止まっている。そのはずなのに、涙が、僕の頬を伝ったのを感じた。 僕の身体なのに、何も僕の思い通りになんかなってくれなかった。 頬を伝った涙は重力に抵抗せず、床に落ちた。 僕はその音も聞こえなかった。 空気が、止まっていたから。空気さえ凍っていたのに。 ポッターと一緒にいた女の子が、膠着している彼の肩に不思議そうに触れた。ここからでは何を言っているかも聞こえなかったし、彼女の顔すら見えなかったけど。 彼女はポッターの肩に手をかけた。 ポッターの気が逸れて、僕から視線を外したから……それで、ようやく……。 僕は走り出した。 僕はようやく動くことができた。 走って。 その場所から逃げ出した。 もう、見たくない。 ポッターが誰かと一緒にいるのも、に笑いかけるのも、誰かが彼に触れるのも、見たくない。僕以外は、許せない。 走って。 自分の右足が左足に絡み付いて、僕は転びそうになって、それでも走って………。 僕は逃げた。いつもの部屋に、逃げ込んだ。 僕はここに戻った。最初から、ここは僕の場所なんだ。僕が見つけて、僕が気に入って僕の落ち着く、僕だけの場所……ポッターが、見つけてしまったから、僕を……。見つけさせたのは、僕だけれど……でもあれから僕達の場所になった。 ああ……失敗した。ここに戻ったらいけなかったんだ。逃げるべき場所は、ここじゃ駄目だ。 僕だけの秘密の場所ではなくなってしまったんだ。 この場所はポッターも知っている。それでも寮の自分の部屋は嫌だった。誰かの気配を感じられる場所は落ち着かない。ここは、自分だけの空間になれるんだ。 でも、ここは……ポッターが来てしまう。何故この場所に僕が向かったのか、僕は理解していなかった。自分でも気付かずに、ただこの場所に向かっていた。僕が逃げる場所はここしか思いつかなかったから。 ここにいたら、彼が来てしまう。 来たら、馬鹿にされるかもしれない。 彼が来て、僕の涙の理由を……。 ……来ないかもしれない。 だって、もう来ないかもしれない。このまま終わるかもしれない。僕が、見つけたことで、もう僕には何の価値もなくなってしまったかもしれない。言い訳なんて、もともと僕にはする必要もない。ちょうど良かったじゃないか。 僕には、飽きていた頃だろう? だったら、ちょうどいい。このまま、僕たちは終わるんだ…… 嫌だ。 嫌だ……って。 失いたくないって。 僕は、それをどうやって……伝えることすら出来ない。もう、来ない。それだけで、ポッターはいつでもこの関係を終わらせることができたんだ。 一瞬でも、彼は僕のものだった。 それが、その事実さえあれば、僕は満足できる。 そんな欺瞞はポッターを見たらきっと消し飛ぶ。 そんな偽善は、彼が誰かに微笑む度に憎悪に変わる。 わかっているんだ。彼は、僕のものじゃない。僕にはくれないって言った。僕だって、だから欲しかっただけだ、きっと。それ以上じゃないはずだ。 でも……僕のモノじゃないポッターを僕は認められない。この部屋で二人でいる時だけは、確かにポッターは僕のものになってくれるって言ったのに。 でも、僕はどうすることもできない。 泣いて、哭いて、彼が好きだと言ったら? 離れた気持ちは少しでも戻る? もう少しだけ、僕と一緒にいてくれる? 「………」 早く、ここを出よう。ここにいたら、もしかしたら、来てしまうかもしれない。終を僕に教えてくれるためかもしれないけれど、それでも間違って、ポッターが来てしまうかもしれない。 来ないだろう。来るはずがない。 自意識過剰だ。きっと来ない……それでも、 でも、もし…………この扉が開いて………。 → 20130903 次、ラストシーン。 |