「マルフォイ、話があるんだけど」





 ポッターからの視線は相変わらず意識していた。
 視線が向けられるだけで解った。視線にこめられた意味が在ることを僕は強く意識していた。けれど、僕は送られる視線には、反応すらしない。してはならない。それは決まりごとなんだ。決して僕はポッターに意識を向けた意味のある視線を投げてはならない。

 もっと見つめればいいんだ、僕を。もっと僕だけを見ればいい。
 ……それだけで、いいんだ。それ以上、望んでない。謙虚なはずがない、ただ僕は強欲なだけだ。

 それ以上手に入れると僕は手放せなくなる。手に入れたあとでお前の存在が僕から喪失したら、僕は自分のこの二本の足で立って歩けるかどうかすらわからない。その日を想うだけでも、こめかみがずきずきとする。




 キスを……された。あの日、僕はポッターからキスを受けた。

 思い出す度に、僕は唇に触れる。自分の指先が唇に触れたその感触から記憶と熱が誘発される、ポッターのかさついた唇の柔らかさや、離した直後の湿度を含んだ吐息を思い出す。思い出せば、背筋を昇るような熱が走る。

 それだけでは、足りない。
 もう一度、触れたい。

 そんな事を、考えるわけにはいかない。
 失わないために、手に入れることを望んではいけない。無いなら、最初から無くていい。在るなら、失うわけには行かない。このどっちつかずの状態は、僕には在る、に偏る。だとすれば、無くせない。

 僕は、いつもの笑顔を浮かべる。表情と感情を結ばないようにするのは、昔から得意だった。そういう家に生まれたことを、誇りにすら思う。それが、僕の在るべき姿だと自負しているし、僕は常にそう在りたい。

 今、僕は彼の瞳にはどう映っているのだろう。


 ポッターの、視線は強かった。

 僕が、突き崩されそうになるほど、強かった。

 ポッターの視線に慣れる事なんかなかった。いつでも……いつまでも僕は見られている事に気付いた。
 ポッターの視線には質量があるかのごとく、彼の目が僕を見ていればそれが僕の背中であっても、わかった。錯覚や過剰な意識のせいなどではなかった。振り返れば、エメラルドの二対が僕を見ていた。









 僕は友人に顔を寄せる。
 意識のほとんどをポッターの視線に向けたまま、僕は友人に話しかけた。笑った。肩を寄せて。普通の友人として、当たり前の扱いだった。

 ただ、僕を『僕』として扱うならば、それは妥当な接し方ではないと、誰もが違和感を持つだろう。ただ、それほどまでに僕を知る人などここには居なかった。ポッター以外は。

 友人と呼ぶ相手は居たが、僕にとって友人の定義は知り合いと同等だ。頻繁に話しかけて来る相手が友人で、あまり話しかけて来ない相手が知り合いだ。顔見知りと置き換える事も出来る。名前を知っているからと言って、それがどのランクに属していても、僕にとっては『その他』にすぎない。
 友人としている相手でも、僕から話しかけることもなければ、あまり僕は笑うこともなかった。それをポッターは知っているはずだった。ポッターの視線に他の意味が付加される以前から、ポッターは僕を見ていたから。

 だから僕は、わざと無邪気さを装い、笑いながら友人の肩を叩く。顔を寄せて笑顔を作る。ちゃんと、見ているか?

 お前の視線は気持ちが良い。

 もっと僕を求めればいいんだ。そうすればきっともっと気持ちが良いはずだから。ポッターの強い視線で、僕はもっと恍惚となる。

 ポッターが僕を見ていた。

 ふと、視線を僕の瞳で受けてみる。

 ぞくりと……皮膚が粟立つ。

 深緑が赤く燃え上がるような色をしているなどと……。

 強い眼差しが、僕を。




「マルフォイ、話があるんだけど」


 急に僕と友人との会話に割って入ってきたポッターは、冷たい目付きで僕の友人を一瞥する。僕を見る時の温度と差があるのは、僕の勘違いではないだろう。友人は会話の途中だったが、黙って僕の側を離れて行ったから。


「話? 一体何だ?」


 僕は、わざとらしくならないように訊き返す。僕には罪悪感めいたものはない。だが、彼の行動は僕がそう仕向けた僕の思惑通りのものだった。

 お前だけが僕を求めている。それが何よりも心地良い。だから僕は敢えてその構図を実践する。彼が僕に視線を向け続けるように、彼の視線が僕だけに占められるように、僕はその努力は惜しまないつもりだ。

 そうしている限り、ポッターは僕を見続けるだろう。手に入らないなら僕を諦めないはずだ。英雄との名は、流石だと。



「ついて来てよ」

 ポッターの口調は有無を言わさぬ圧力を強いていたが、僕はそれに動じない。ポッターの怒りには気が付かないふりをする。気付いていたとしても、それは僕とは無関係な事で、ポッターが何か嫌な思いをしているならそれが気分がいい。そういう関係が僕と彼だ。僕はその今まで道理の筋書きに則して動こうと思う。
 お前には関心がないんだと、僕は彼にそう思われていたい。

「ここじゃ駄目なのか?」
「君が嫌なんじゃないの?」


 ポッターが、何を言いたくて何をしたいかだなんて僕には手に取るようにわかった。怒りに震えているのが、わかる。それが嬉しい。


 僕はわざとらしく溜息を吐いて立ち上がると、ポッターは僕の手を引っ張った。それで、強い力で僕を引きずるように歩く。
 不思議と他人の注目を集めていることにさえ、気分は高揚していた。僕は、彼に罵声を浴びせかける。彼は無言で受け流すように見えるけれど、すべて僕の声は届いているのだろう。それでも回りの視線すら気にならないほどにポッターの感情が僕へと向いている。

 僕は感情が昂るのを感じていたが、それを押さえて困惑し、その後に憮然とした表情を作った。




 人気のない方へと歩いて、見覚えのある扉の中に僕を引き込む。いつも僕が使っている、空き部屋。


 確かにここならば誰も来ない。ここならば、僕は思う限りの手段で、もっと僕へと想いを向けさせることができるはずだ。僕とポッター以外誰もいない。他に目を向ける対象がいないのだから。ただ、空間しかない。空気を凝視するのは骨が折れる。だから、彼は結局僕を見るだろう。僕しか見なくていい。



 押し込まれるようにして部屋に連れ込まれ、扉が、閉まった。

 この部屋の独特の重い空気が僕達を包み込んだ。


 ……前にポッターに抱き締められ、その体温を感じて、僕はそれを思い出す。思い出すだけで、身体の芯に熱が生じる。思い出そうとしなくても簡単に甦る。そんな簡単な僕の内側の作用だけで、僕は快感に包まれる。

 唇に触れたその温度を思い出す。

 記憶ですら、身体が、溶けてしまうようだ。





「君が好きだって、言ったよね」



 ポッターの声は低かった。
 笑顔を、作っていたのは、僕に警戒させないためか……その逆か。


「あいつ、誰?」
 笑顔は崩れなかった。それでも笑ってなんかは居ない事は、僕が良くわかっていた。


「僕の交遊関係をお前が知る必要は無いし、口を出す権利もないな」

「……誰?」

 再びの問いかけは、有無を言わさぬものだった。
 強い、口調。

「レイブンクローの奴だ。この前風邪で休んだ時にノートを借りた」

 僕ならば、それでも答える義理はないと、そう答えるのが筋書き通りのはずなんだ。
 確かに、そんなことぐらいを隠す必要もない。もしあの友人を失って惜しいと思う間柄でもない。
 僕と、グレンジャーと、あいつとあと数人、教科によって首席を争っている。そのくらいの仲だ。交換できる情報は有益だが、友人かどうかは益か無益か、ただそれだけにすぎない。


「それだけ?」


「当たり前だろう? お前じゃないんだ。それ以上の何があると?」


 それは、嘘を吐いた。

 僕は向けられる感情には敏感な方だ。そういう家に生まれ、そうすることで生きていくように育てられた。向けられた感情は、好意であれ悪意であれ、利用できるから、相手が何を考えているのか相手の一挙手で観察することが、僕は無意識の癖になってしまっている。
 あの友人は僕に友人以上の好意を寄せていた。それはわかっていた。
 あの友人は、僕と同じように頭を使って状況に応じて感情を制御抑制したがる種の人間で、それは他人に対しても同じだった。
 言葉で伝えるよりも、友人としての独占を表現することで、他の人間を近づけさせないようにしている手段や、それを回りに見せつけ優越を得ようとするやり口は、それでも幼稚で、僕には面白いと思い、嫌いにはなれなかった。
 だから僕はレイブンクローの友人を邪険にしなかったけれど、ある意味では鬱陶しかった。どんな手段を使おうと、僕にはどうせ誰も見えていない……ポッター以外、僕の心には占めていない。



 ポッターは、きっとレイブンクローの生徒が僕に向ける感情には気付いただろう。

 嫉妬すればいい。もっと僕を欲しがれば良いんだ。


 僕は挑戦的な目を向ける。声には出さないが、わざわざこんな場所に呼び出しておいて、そんなことか。と……嘲笑は得意だ。



 僕は、望んでいた。


 ポッターに触れたあの時の、あの高揚感を僕は、忘れることはできなかった。忘れたいとも思わなかった。
 もし、それが二度となくても、僕の記憶の中では僕はあの時だけはポッターのものだった。僕は彼のものになりたい。お前の所有でありたい。

 僕の所有権を放棄されたら僕は在ることすらできなくなりそうだ。

 だから、僕の気持ちはお前に伝えることはできないんだ。














100817
更新再開。
長らく放置ごめんドラコ。