5 僕は、隣の部屋との壁を見る。そこに何かがあるわけではないのに、ただ壁があるだけなのに。 壁を隔てた向こうに、マルフォイが寝ている。 マルフォイは、あの後、何も喋らなかった。 僕が二、三質問をしても、僕の方すら見てくれなかった。 疲れた、と言うように、彼はアイスグレーを閉じた。 もう、何も喋らないとでも言うように、マルフォイは目を瞑った。 それでも、マルフォイの閉じられた目蓋の隙間から、溢れてくる涙を、僕は、止められなかった。その方法なんか知らなかった。抱き締めて、頭を撫でて、心配ないから。僕がついているから、僕がここにいるから、ずっと、ここにいるからって……。 言う事すらできない。見ている事すら、出来なかった。 胸が、痛くて。 部屋を出て。 扉を閉めて。 君は、知らないでしょ。ずっと、僕は閉じた扉の前に居たんだ。 ずっと、君の嗚咽を聞いていたんだ。 知らないでしょう? 君が、寝てしまうまで、僕は君のそばに居たんだよ。 恋で人は死ねると思わないか? 僕が、初めて君の涙を見た時。 学生の頃、就寝時間も近い時間のホグワーツの中庭。 その時、僕には好きな女の子がいて、その女の子に会いに行ったその帰り道。寄り道をして中庭に行った。 誰も、居ないと思った。静かな夜だったし。月が綺麗だったことを覚えている。風もないような夜だった。静かで、本当に、誰も居ないと思ったんだ。 だけど、マルフォイの髪の色は月明かりですら、反射をして……。 誰も居ないと思っていた僕は、上機嫌に鼻歌も歌いそうなくらいの機嫌の良さで、靴音をさせながら歩いていた。 だから、人影に驚いて、僕は立ち止まった。きっと他の誰かでは、気付かなかった。マルフォイの髪の色は暗がりでもわかった。 マルフォイ、だとわかった。 その時、僕は、気付かれて居ないのならば、そのまま気付かれないように回り道をして早く部屋に戻ってしまおうと思った。その頃の僕達の関係は最悪だったんだ。 マルフォイが、中庭にいて、暗がりで、ぼんやりとしていて。 横顔を少し見ただけだから、その時は気付かなかった。 僕が、方向を変えようとした時…… マルフォイが、強張った動きで、僕を振り返った。 …………最悪だ。 と、その時は思った。 マルフォイの目から、溢れる涙を見た。最悪な場面に出会したと思った。 これが女の子であっても、そんな場面は鬱陶しいだけで、気分が良かった僕には邪魔にしか感じない。しかも、僕はマルフォイがとても嫌いだった。 マルフォイは、僕を見て、驚いた表情をした。僕は顔をしかめた。 『………ポッター…』 マルフォイは、溢れる涙を拭おうとせずに、僕を見て。 『いい身分だな』 僕の、いつも以上に崩れた服を見て、マルフォイは、言った。 いつもは、馬鹿にするような、見下す目線で話すのに、その時は表情すら変えず。何の表情も浮かべていなかったことを覚えているんだ。僕が何をしてきたか、お見通しだというその視線は、僕の感情をささくれ立たせた。 『まあね。今が、一番楽しい時期なんだよ』 彼女とお付き合いをして、想いが通じて半月目だったから。その時はとても楽しかった。その時の彼女とは結局二ヶ月で駄目になってしまったけれど。 『なあ、ポッター…』 僕は何を言われるのか身構えた。いつも、呼び掛けや前置きなどは無く、直球でマルフォイは僕の心を抉る言葉を選ぶから。 『恋で、人は死ねると思わないか?』 マルフォイは、自分の目から涙が零れているなど、まるで気付いていないようで。そのまま……そう僕に問いかけた。 僕は、マルフォイらしからぬ言葉に、言葉を探す。 マルフォイと、僕は相容れない感性しか持っていないから、言葉は簡単に見つかった。 『僕はそれで生きていけると思うよ』 僕は毎日が楽しかった。 毎日、毎日友人と笑って、好きな人もいて、嫌いな奴も居たけど、毎日が楽しかった。 マルフォイは、辛い恋をしていたんだろうと、わかった。だけど、別に何も思わなかった。軽い憐れみに近い同情を向けようとしたけど、やめた。 『流石は英雄だな』 マルフォイのその言葉が、嫌味だと言うことぐらい解っていた。別に、マルフォイに何を言われても、気にすることもないと思っていた。 いつからだろう。 君の事しか見たくなくなった。『人は、恋で死ねると思わないか?』 その言葉をよく思い出すようになった。 その時のマルフォイの顔も消せなくなった。 好きなんだって。 その感情に帰結したのは、一体いつなんだろう。 あの事が無くても、僕は君に惹かれていた。誰よりも、一番見ていたのはマルフォイだったから。だいぶ、悩んだ。悩んだけど、その結論は変わらなかった。 君が好きなんだ。 伝えないから、君の重荷にはならないから、だから、僕の隣に居て。 → 081213 |