「ただいま………」








 僕達の歪な生活は、あと少しで終わる。
 一ヶ月を切った。
 そろそろマルフォイに魔法省からの手紙が届くのだろう。マルフォイは、何か変わってくれただろうか。一年前と違って、彼は、死を選ばないでくれるだろうか。








 ――君を、失いたくないんだ。


 そう、言ってしまえたら、楽になるのだろうか。それとも、彼は僕に対する復讐を完結させられることに満足してしまうだろうか。君が僕に復讐をしたいとか、嫌がらせをしたいと考えているのであれば、実はそれは本当に簡単なことなんだ。でも、だからこそ僕はそれを君に教えるつもりなんか無い。


 マルフォイは、僕を嫌悪しているから。

 知っている。ずっとそうだ。この一年、マルフォイの身体を手に入れても、マルフォイから触れて来ることなど一度もなかった。僕を見る視線は侮蔑と嫌悪の混在する冷えたものでしかない。笑顔は皮肉的な嘲笑か自嘲。

 嫌われていることなど理解している。


 それでも、僕は君を好きなんだ。

 君の視線が憎悪であっても、それが僕に向けられていればそれでいい。君の目が映すものが僕だけならば、それだけで我慢する。





「ただいま」

 部屋に戻った。
 マルフォイはいつも窓辺の椅子に座り、ただぼんやりと外を見ている。

「マルフォイ、ただいま」
「…………」

 返事なんか、期待していない。
 君の姿が在ったことに、安堵するだけだ。この空間にいる限り君は僕のものなんだ。それだけで良いんだ、今はまだ。本当はもっと……でも今は君の姿があったことに安堵する。

「外に出たいの?」

 窓の外を見て、視線を僕に向けようともしない。いつも、マルフォイは外を見ている。

「別に……」

 もう、一年もここにいる。窓を開くだけの自由は与えてあるけれど、マルフォイは僕の部屋から出る事が出来ない。僕の監視は、束縛と言う実際の魔法だ。この部屋から出られない、そう言う魔法をかけてある。マルフォイはこの部屋にいる限り、魔法を一切使うことが出来ない。そういう呪いを掛けてある。

 一生、君がここに居ればいいのに。僕の手の届く場所にずっと居ればいいのに。

 僕が、世界で一番強い魔法を使える。君なんかじゃ破れない。始めのうちは、この結界を破ろうとしていた痕跡もあったのだけれど、直ぐに諦めたようだった。君なんかじゃ破れない。君は僕に叶わないんだ。試みていたのはほんの二、三回程度だったけれど、すぐに諦めたようだった。



 それでも、僕は一番欲しい君自身を手に入れる事が出来ない。


「ねえ、喋る気になった?」
「僕は何も知らない。ただあの方に仕えただけだ」

 せめて自分を死喰い人だと、認めないで。
 少しでも、君は生き残る可能性を考えてよ。


「何か……何でも思い出したことがあったら話してよ」
「何も知らない。それでいいだろ?」
「僕の努力はどうなるの?」
「お前の無駄になれば、心地好いな」

 僕の努力を無駄にする事は、君が死んでしまうことだって解ってるよね? そうしてまで、僕に嫌がらせ、したい?

「死にたいの?」
「まさか」

 マルフォイは軽く顔を上げて挑発的な笑顔を向ける。

 君の笑顔を見たいと思っていたんだ。君が心から笑ってくれればいいと思ったんだ。僕の隣で。



「ただお前の偽善に付き合う義理はない」
「……ずっと、君なんか居なくなれば良いって思っていたよ」


 それは、嘘なんかじゃない。ずっと死んでくれても構わないから僕の前から消えれば良いって思っていたよ。昔は。君を好きだなんて考えたこともなかった。
 目が、離せなかったのは、好きだと思う前からだけど。


「そんなに僕が、嫌い?」

 嫌われてるのなんか、わかっているんだ。答えなんか聞きたくない。知ってるんだ。言わないで、いいから。肯定してくれなくていいから。知っているから。


「今更か?」



「………今更だね」
「もう、僕はずっと、お前と会った時から……」


 マルフォイは、椅子から立ち上がり、細い指先を僕に向け、僕の頬を指の背で撫でる。

 蕩けそうな笑顔を僕の顔に近づけるから、僕もつられて彼に溜め息を返す。

 冷たい指先なのに、触れられた所は、とても熱かった。

「熱烈、だね」

「ああ、ずっと一途なんだよ、僕は」






 僕への憎悪が、ね。

















「ただいま」

 相変わらず、しんとした部屋。マルフォイが居るのに、その息づかいさえ聞こえない。いつも人形のように動かない。見ているだけならば息をしているようにも思えない。
 玄関で、重い空気に包まれる。僕の家なのに、まるで居心地が悪い。人が住んでいる家なのに、何故か空気が動いていない。今朝僕が出て行ったのに、それでももうこの部屋に何年も誰も入っていないくらいに、静かな部屋。


「マルフォイ、ただいま」

 少し、声を高く上げる。それでも返事はない。いつもの事だけど。

 いつもと同じように、しんと静まり返った部屋。


 でも、違和感。



 なにか、ちがう。



 僕は、それでもいつもの速度で、リビングに向かう。何か、なんてあるはず無いから。

「ただいま?」

 マルフォイが………いない。



 そんなはずはない。

 この部屋の結界は完璧だ。
 破られた様子もない。
 何か、なんてあるはずが無い。マルフォイがこの部屋から出ることができない代わりに、僕以外がこの部屋に入ることも出来ない。マルフォイが連れ去られた、とか、考えたけれど……この部屋に張った魔法は破られていない。そんな形跡も無い。



「マルフォイ?!」

 僕は彼に与えた部屋を覗いた。生活感のない部屋。パジャマは脱ぎ捨てられ、床に丸まっている。ベッドメイキングもせずに布団もぐしゃぐしゃだ。洗濯された服すら、床の上。
 それでも、いつも通りでも、生活感が無かった。たぶん、部屋の中央にベッドが一つ。それだけしかないからだろう。マルフォイはこの部屋を寝る時だけしか使わない。朝、着替えて部屋から出てきて、それ以降は寝るまでリビングで過ごしているようだった。
 朝御飯は、僕が食べるのと一緒にマルフォイの分も作る。すぐに食べる時もあるし、僕が帰って来てもまだ手付かずのまま放置されている時もある。
 どこに?
 嫌な予感を抱えたままバスルームをのぞく。


「マルフォイ?」


 扉を開いて、僕は凍りついた。

 息は、飲み込んで、吐くことも出来ず………。



 マルフォイが、いた。

 バスタブの中に………




   赤い水に身体を、浸して、白い顔をさらに白く……青白くして………。


 赤い、水は……血液だと、匂いですぐにわかった。









「………マルフォイっ!」



















081124
イメージ映像は「オフェーリアの死」(笑)