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 マルフォイの目から、涙が零れた。
 一筋。

 つう……って、マルフォイの真白い頬を伝って、
 一滴。
 落ちた。

 鼓動が、跳ねた。



 泣いて………。

 何で?




「何で、僕にキスなんかしたんだ!」


 怒鳴り声が僕に叩きつけられて砕け落ちた。


 僕は、マルフォイの涙を見ているばかりで、しばらくその内容にまで頭が回らなかった。 
 だって、泣いている。
 泣いていた。





 キス……。
 僕は、その言葉で思い当たる心当たりを掘り返す。
 別に思い出さなくても、よく覚えているけど。






 マグルでマルフォイと一緒に遊んだ時に、僕は彼にうっかりキスをしてしまった。




 深い意味なんてなかった。よく覚えているけど、あの時、僕はマルフォイにキスをしようという意思を持ってキスをしたわけじゃなかったから。
 ただ、あの時は……。


 どうしても、そうしたかった。
 何でだなんてわからないよ。気がついたらキスしてたから。理由なんてなかったんだ。

 熱くて、苦しくて、甘くて酸っぱいような、不思議な感覚を衝動に任せたらそんな行動になってしまっただけなんだ。




「それは……」


「好きだって言ったのに……」

 好きだって……聞いていた。



 それは嘘じゃないの? 好きだなんて、だって、そんなのおかしいよ、やっぱり。

「だから、それは……」


「お前が僕の事を迷惑に思っていたことくらいはわかっていたさ! 好きになって貰えるように努力だってした!」


「………」

 努力、してたことぐらいわかってるよ。僕に頑張って愛想振りまいてさ。


「お前と仲良くなりたくて、でも友達じゃ嫌なんだ! お前なんかにはどうせ僕の気持ちなんかわからないだろうな。万年落第ギリギリだし」

「どうせ僕は君みたいに頭はよくないよ! それに今そんなこと関係ないだろ! 君だって人の気持ちなんか考えたことなんかないんじゃないのか?」

「おまえよりはまともだ!」

「まともって、君の方がおかしいよ! いきなり好きだなんて言われたって信じられるはずがないだろ? 今まで大嫌いだった相手、あっさり好きになれる訳ないだろ!?」

「そうやって、自分の事を一番大切にして、結局おまえは何も悪くなんかないわけか!?」

「なんだよ! 一体マルフォイは何が言いたいんだよ!」

「だから馬鹿なんだよ! 僕の気持ちなんて、ポッターは考えてくれた事なんかないだろ!」

「………」


 考えたよ。
 考えたけど、わからなかったよ。


「お前といると苦しいんだ!」




「………………」

「もう、嫌だ………」



 って。

 そう、マルフォイは言って、右側の瞳から大粒の涙を頬に流した。続いて左目からも。




「………………」



 僕は、マルフォイに何て言えばいいのだろう。




 僕はすごく腹が立っているんだ。好き勝手なことばっかりで。ころころ態度を変えるし………。
 僕は頭に来ているんだ。


 僕のこと、好きだって言ってたのに。


 なのに……。


 マルフォイが泣いている顔を見て、僕はなんだか………何て表現すればこの気持ちに合うのか分からない。

 なんだろう。





 この、気持ちは認めたら駄目だ。だって




 ちょっと嬉しい。
 安心したような……。


 マルフォイが泣いたりしたら、ざまあみろって。そんな風に嬉しく思ったわけじゃなくて……。

 僕で泣いてくれたことが……。




 だってその涙は僕のせいなんでしょ?




 僕を、嫌いになったわけじゃなくて……。
 今僕の前で泣いているって、つまりそういうことなんだよね?



 僕のこと、まだ好きなんでしょう?







 僕は、そっとマルフォイの頭に手を触れた。

 ふんわりとした、家猫のような柔らかな髪。光を溜めて、きらきらする明るい色。




 マルフォイが、ふと、顔を上げた。

 長い睫毛が濡れていた。

 淡い色の宝石みたいなマルフォイの瞳が、濡れてきらきらしていた。
 それが、とても、マルフォイの顔に似合っていた。




 僕の、心臓が跳ねた。




 どきどきと……血液が身体を回る音がうるさい。



「……僕は、好きだって言ったんだ」

「……うん」

 信じられなかったけど。

 でも、今ならそれを信じることができるよ。
 だってこうやって僕の前で泣いてくれているじゃないか。



「キスだって、すごく嬉しかった」

 君から、くれたキスは、嬉しかったんだ。
 本当だよ、僕はあのキスが嬉しかったんだ。
 僕がうっかりマルフォイにキスをしてしまって……それで、マルフォイからもキスをくれた。僕は嬉しかったんだ。僕達の気持ちが重なっていたようで、嬉しかったんだ。



「だってポッターは僕のことを好きじゃないから」


「そんな事言ってないだろ?」

 僕は、努めて優しい声を出せたと思う。泣かせてしまっているから。泣かせた相手には優しくしたい。
 今なら、彼の心に付け込む隙が出来ているんだ。


「だって、そういう意味じゃないんだろ? キスをくれたって、僕のことを好きになったわけじゃなくて………」

 僕は、彼の頬を撫でる。
 涙で濡れていた。

「僕は、友達じゃ、嫌なんだ」



 ずきんと、胸が痛んだ。


 友達……。



 友達だって仲良くなれると思ったんだけど……。





 僕は何であの時にマルフォイにキスをしたんだろう。
 マルフォイが、可愛いなんて、思った。

 だってマルフォイは男だし……ずっと嫌いだったんだし。だって、それ以上に僕達は相容れないんだ。



 泣かないでよ。ねえ、お願いだから笑って?


「……マルフォイ」

 どう、したら良いんだろう。
 僕のことを君にわかって貰いたい。



 そんなんじゃないって。違うんだ。友達でも、それでも、違うんだよ。



 だったら一体どんな事なんだ?


 好きじゃない、はずなんだ。だって、僕達は……



 何で僕は、キスなんかしたんだろう。


 だってマルフォイは……。




 僕の前で、顔を伏せて……。

 頬を伝う涙が重力に従順に地面に落ちて吸い込まれていく。


 僕が、泣かせてしまったんだ。
 こんなに。ぼろぼろと、マルフォイの目から涙が零れ落ちている。僕はそれをどうすることも出来ずにただ見ている。見惚れてしまっている。綺麗な顔。泣き顔が、とても綺麗だって思った。見ているだけで、こっちも悲しくなってしまうよ。だって、僕の気持ちがマルフォイに伝わらない。だって、僕だって僕の気持ちを上手く整理することが出来ていない。

 でも……嬉しかった。
 僕で泣いている君が、無性に嬉しかった。


 掴んでいた、腕を、引き寄せた。
 これも、前にマルフォイにキスした時と同じように、衝動だった。僕の意思以上の衝動で、僕はマルフォイを引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。



 とん、と僕の肩にマルフォイの額がぶつかって、柔らかな毛並みが僕の首筋を撫でた。ふんわりと、胸を擽るような感覚をどうしようもなくて、僕は腕に力を込める。


「友達じゃ、なかったら?」

「………僕は、友達なんか嫌なんだ」

「友達じゃ駄目なの?」


 友達じゃないと、駄目だよ。
 だって……友達じゃなかったら、マルフォイをこうやって抱き締めてしまいそうになるんだ。友達だったらこんな気持ちにはならない。
 僕の腕の中で、震えるマルフォイの頬に顔を寄せる。
 こんなに、くっついたのは初めてだった。

 身体中の神経が、マルフォイと接触した部分に集中する。
 僕だって、なんか変だ。








「友達でも、僕はポッターの一番がいいんだ」

「僕には親友がいる」

 僕の親友は、譲らない。それは誰が来たって僕にとってロンとハーマイオニーは特別なんだ。僕を始めて認めてくれたから。僕の親友は二人以外いないんだ。
 だから、友達で、いいじゃん。
 だって抱き締めたいんだ。キスだって、僕はマルフォイとなら、したい。どんな女の子より綺麗で、笑うと可愛くて。止まんなくなっちゃうよ。だって、そんなのおかしいよ。
 友達で、なきゃ。



「だから……友達じゃ、嫌なんだ」


 そう、

 僕はマルフォイの一番なんだ……。






















080216