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 ………………………疲れた。



 だいぶ走ったから。
 走りすぎて喉がからからだ。喉がからからで、喉の内側の皮がくっついてしまいそうで痛いくらいだ。




 僕達はデパートの椅子に座って荒い息を吐いていた。
 人目の多い方が安全だと思ったからだけど、子供二人だけだし、じろじろとぶつけられる視線はあまり心地よいものではない。僕には馴染みのない場所だから、居心地もとても良くない。それでもやっぱり人目があった方が安心だから。そうなると近場ではここが一番人が多いって思ってこのデパートに逃げ込んだんだけど。
 座ってからだいぶ経つけど一向に呼吸が治まらない。こんなに走ったのはどのくらいぶりだろう。



 なんか、本当に……疲れた。へとへとだ。


 僕は……なんでこんな奴助けたんだろう……。
 あのまま帰ってもらった方が絶対有り難かったのに。絶対ありがたかった。きっとあのまま帰ってくれた方がこいつのことを好きになったよ、きっと。ああ、なんか実は家の事情でいつも偉そうにしているけど、あんまり自由がなくて可哀想な奴なのかもしれないとか、同情したかもしれないよ。
 自由はないけど、でもそれでもマルフォイは僕が持っていなくて、僕が欲しいものは全部持っているのに。

 何だって、手に入れて。
 マルフォイだってそりゃ色々大変かもしれないけどさ。
 でも、無いことに対する苦痛なんて知らないで育ったんだ。だからこんな傲慢不遜な態度でいられる。


 あのままマルフォイが帰ってくれた方が僕は有難かったよ、きっと。夕方になるまで、僕は一日だけの自由を満喫できたんだし。

 あー。僕の顔だって見られてしまったかもしれないし。きっと、僕が誰なのかわかってしまったんじゃないだろうか。
 僕の顔をあの大きな男が知らなくても、きっとすぐに調べられるだろうし。

 僕はマルフォイなんかと仲良しじゃないんだからね。とか、今思い切り否定したって、きっと後の祭りだ。まずいことしちゃったかなあ。




 あー、本当、なんてことをしてしまったんだろう。冷静になって考えると後悔ばかりだ。でもあの時は……ああするしかなかった。




 だって、考えて動いたわけじゃなかったし……。
 気がついたら……。

 あの時の僕の気持ちを、今は良く思い出せない。


 だって、ああするしか他に手段が無いと思ったんだ。







「みっともない所を見せて、済まなかった」

 マルフォイのいつも凛とした声が、かすれていた。

「いいよ、別に」

 僕の声もみっともなく擦れて、ほとんど呼吸だった。
 いいよ、別に。

 だって、僕が悪かったんだから。あんなこと僕がしなければ、君だって僕だってきっとなんの後悔もなかったはずなんだ。そりゃ、君がもっと早く帰ってくれていたらとか、思ったりもしたけど、結局僕がこうやって引き止めちゃったんだから、僕の責任なわけだし。


「……悪かった」

 ああ、もう。

「それ以上謝ったら、怒るよ」


 僕のせいじゃん。
 君に謝られたくないよ。
 マルフォイが謝ったら、なんか僕がもっと後悔する気がした。

 だって、君は本当はこんな所でこんなことしている場合じゃないんだろう? 
 大人しくあの大きな男と一緒に帰らなかったから、きっと怒られるんじゃないの?

 とか。心配してやってるわけじゃないけど、それでもなんか気になったことは事実だし。
 でも心配してるだなんてこと絶対に言ってやらない。そんな事で付け上がられても困るしね。だって、僕はマルフォイなんか好きじゃないんだ! って、ちゃんと理解してもらわなきゃ。
 って、思ってるんだけど、どうやって説明しよう。
 マルフォイの笑顔の前に、僕の頭脳では全ての弁論は無意味になるような気がした。というか、あの笑顔を見ると喋る気をなくす。

 実際、マルフォイの後ろに大輪の花が咲くような幻覚を何度見たことか……。
 純真無垢って、きっとこういうことを言うんだろうって。それはきっと僕のただの嫉妬なんだろうけど。他人の悪意にさらされた事がない人だけが出来る笑顔なんだろう、きっと。
 それを、僕は守ってあげたいだなんてちっとも思わないし、できれば僕に泣いて謝って欲しいと思ってるけどね。
 そうしたって僕は許してなんかあげない。

 きっと、そうなれば少しは僕の気晴れるんだろうけどさ。




「誰なの、さっきの人」

 なんか、喉が痛いのと同じくらい僕の腹が立ってきたから、僕にとってどうでもいいことに話題を逸らす。

「父上の執事の一人だ。父上と母上が留守にしている間の僕のお目付け役兼家庭教師のようなものだ」
 さらりと。

「ふうん」


 マルフォイに興味なんかないけど。
 本当にお坊ちゃんなんだな、やっぱり。
 なんだか僕にはよくわからない世界だ。


 きっと、マルフォイには無いものなんて何一つ無いんだろう。あるとすれば対等な友人とか、自由とかそういう、僕が唯一持ってるものなんだろうけど、それはマルフォイの心がけ次第でいつでも手に入るんだし。
 だから結局、マルフォイは僕が欲しいものは全部持っていて……。お金持ちって、やっぱりずるいよな。










「……ポッターのお節介」

 ぼそりと、マルフォイが。



「………なんだよ、それ」
 なんて言い方なんだ……。僕は君のためだと思って帰るのを止めてあげたってのに、その言い方は心外だ。
 まるで僕が悪いみたいじゃないか。

 そりゃ、僕が悪かったよ。マルフォイに対して申し訳ない気持ちよりも僕がやってしまったって気持ちの方がもっと上だけどね! 後悔してもしきれないよ。今だってあのままマルフォイが帰れば良かったんだって、そう思ってるよ!



 ああ、そうだね、君はあの時帰れば良かったんだ、マグルなんかにいたら純血様が汚れてしまいますからね。
 来なければ良かったんだ、君なんて。
 僕が好きだとか、そんな言い草。絶対嘘だよ。

 そりゃ、僕のお節介だけど。出すぎた好意でしたよ。
 でも、マルフォイが帰りたくなさそうにしてたから……そんな言い方されたら、僕じゃなくたって頭に来るよ。

 世間を知らないお坊ちゃまはこれだから困る。
 そうやって、自分が思ったことを口に出せばそれが正義で? それが許されて? それで満足なんだ?



 あまりにも頭に来たから帰ろうかと真剣に悩んだんだけど。

 数秒経って、目の前が真っ赤になるくらい僕は頭にきて。


 本当に帰ろうと思って立ち上がりかけた時に……マルフォイに先を越された。









「すごく嬉しかった」






 って。


 僕は、何のことかわからずに、マルフォイの顔を見た。




 マルフォイの頬が、赤くて。
 それでも、笑ってた。



 また、幻覚?
 えっと…………マルフォイの周囲がお花畑だった。


 頬が赤くて、それでも笑っていて。

 僕の方は見ていなかったけれど、それでも見ている先には、そこはどこでもない場所だったけど、それでもそこにきっと僕がいるんだろうって、なんとなく確信できるような眼差しで。




「…………ああ、そう」


 言葉なんか、僕には見つからなかったし。
 真っ白だったし。


 僕が今怒っていた事は、マルフォイの笑顔を見た瞬間に、全部吹っ飛んだ。



「おとぎ話に出てくる王子様とかって、こんな感じ何だろうなって、そう思った」






「…………」

 王子様って……英雄とか、大それた代名詞をつけられたことは何度かあるけど。
 よりにもよってこの僕に王子様って……。





「カッコ良かった」






 …………………………。




 何を言っているんだ、こいつは。



 マルフォイが、僕を見た。
 青い、目。
 アイスグレーの瞳。
 冷たい色だって思っていた。





 顔を赤くさせて、上目遣いに微笑まれたって…………。
 くらくらする。







 ああ、もうっ!
 わかった、わかりました! これ以上見せつけてくれなくても結構です!


 可愛いと、認めますよ。

 もう、仕方がない、男でこれは反則だと思うけど、可愛いのは、生まれ持ったものなのだから仕方がないだろう。これは遺伝子のせいであって、マルフォイのせいじゃない。可哀想に、男のくせに可愛いだなんて。そりゃ顔が良いか悪いかで言ったら良い方が良いに決まってるけど、女の子にモテるのは、可愛い男じゃなくてかっこよくて男らしい男なんだからその辺を勘違いしない方が良いよとか、僕からしっかり忠告してあげた方がいいんだろうか。

 だって。
 僕は女の子が大好きです。


 が、だって、可愛いんだ。目だって大きいし。
 相対的に見て可愛いか美人かの括りで言ったら、作り物のように整ったその顔は綺麗な分類分けされるマルフォイだけど。
 大きな目で、羽ばたきそうな睫毛で、真っ白い肌で、赤い唇とか……。


 いつも、皮肉的な笑顔か、毅然としたクールな表情ばかりで、冷たい印象だけど。だからこそなのか。
 笑うと、空気がくしゃって綻ぶ。





 しかも、なんか、惚れられてるし……。

 これが女の子だったら僕は今ごろ有頂天になっているのだろう、きっと、多分。


 そうか、マルフォイは僕のことが好きなのか………。
 とか、余韻に浸ってしまった。
 こんな綺麗な子に好きだなんて言われることは、たぶん今後ないような気がした。
 というよりも、僕はやっぱりマルフォイよりも綺麗な顔をした人物に会ったことが無い。

 ずっと、気付かなかったし、気付きたくもなかったけど……。


 僕は。

 マルフォイに見惚れていた。
























「なあ、ポッター。これからどうすればいいと思う?」


 ふと。マルフォイの顔はいつもの顔に戻った。
 今の今で。言ったことが恥ずかしくなって、いつもを装うとかそんな感じじゃなくて、普通に。今までは今までで、今は今。マルフォイの中では当たり前の如く連続しているようだったけど。僕はまだ切り替えが出来てなくて焦った。

 今のは何の瞬間芸なんだろうか。

 今言った台詞を吐き出したとたんにすっかりと消化してしまったかのようなすっきりした顔つきでマルフォイが僕に明るい声で言った。まだ僕は、マルフォイが吐き出した、カッコ良かった、とかクサい台詞に心拍数が早いままなのですけれども……。





「えっと、何か食べてから買い物でも行く? あんまり時間ないんでしょ?」

 走りすぎた以上にマルフォイからの言葉の打撃で僕の心臓は、全力で稼動していたけれど、僕は無理矢理それに気がつかないふりをする。マルフォイになんて気付かせることは出来ない。

 実際、時間はあんまりなさそうだ。
 さっきの大きな男との話を聞いていると、タイムリミットは夕方ぐらいか。


「まあ、日が沈む前までには帰らないと、さすがに。ここ数日の課題は終わっているけれど、終わっているのがバレたらまた増やされるし、明後日は遠縁の結婚披露パーティがあるから、それの用意だってあるし……」
 マルフォイは恥ずかしそうに、口の中で何か言っていたけれど。
 どれだけ予定詰め込んでんだよ。せっかくの夏休みなんだから、遊ぶことはしないのだろうか。
 そりゃ僕だって忙しいけどさ。毎日毎日家の小間使いでさ。僕だって毎日苦労してるけど、マルフォイの話を聞いていたら、ますます気が滅入ってきた。僕だって自由なんかないけど、マルフォイだって同じなのかもしれないと思ったら、少しだけ親近感がわいてきた。



「……もしかして明日とか僕が日にち指定してきたらどうするつもりだったの」
 なんか、そういえば……。
 本当はいつだって同じだけど。もし僕が意地悪をして、日にちを指定してきたらどうするつもりだったんだろう。
 パーティとかじゃ抜けられないだろうし。

「それはなんとかなるさ。体調不良を理由に病欠って手があるからな」

 にこやかに、さらりとそんな事を言ったりした。
 ……時々面倒な授業の時にマルフォイが休みだったりしたことがあるけど……ロンと都合の良い日に具合が悪くなって良いなと陰口叩いたことがあるけど、実際にただのサボリだったかもしれない……とか、思ったりする。訊いて見たいとか、思ったけど。





「じゃあ、ご飯を食べて買い物をしよう」


 マルフォイは僕の手を取って立ち上がった。

















20080109
加筆修正前:1700文字
加筆修正後:4600文字
でも別に内容は別に進んでない。