7(D)
















 ハリーがいない間、僕はどうして良いのか分からずに、ただソファの上でぼんやりと……。
 自分の家に帰ろうかとも思ったが……いつハリーが帰って来るのかわからないから、待つしかないし。
 なにもする事がないから、考えてしまって良くない。何かすることでもあれば……せめて他の楽しい事でも考えないと……それでも、何を考えても無駄なんだ。僕の中心はいつだってハリーなんだから。






 ハリーが僕を忘れてしまった。






 僕を忘れてしまった。

 どうして?

 ハリーは、ハリーのままだった。何も変わっていないのに、笑顔も、その温度も。
 ただ僕を覚えてない。それだけの違い。

 あんなに僕を好きだと言ってくれていたのに……。

 もし、僕を思い出してくれなかったら……。
 もし、このまま僕を知らない人だという認識のままでいたら……。

 僕は怖くなった。怖くなって、泣きたくなった。

 また、涙があふれて来る。
 そんなのは嫌だ。
 ハリーに、好きだと言って欲しい。
 頭を撫でて欲しい。
 抱き締めて欲しい。
 キスして、欲しい。

 僕の名前を呼んで。

 僕は、我が儘なんだ。


 これ以上泣いたら、目が腫れてしまう。ハリーは僕の顔が好きだと言ってくれるから。
 失いたくないんだ。僕がハリーの隣りにいたいんだ。



 神様……僕からハリーを奪わないでください。














 ハリーは半日もせずに戻って来た。 
 色々と見て貰った結果、特になにもなく、ぶつけた頭を氷嚢で冷やされただけらしい。随分昔からの掛かり付けの医師らしく、信頼できるのなら……本当にそれだけなら安心なのだけれど。
 なんでもなくて良かった。ハリーが苦しむ姿を見たくない。


 忘れたことも言ったらしいが、治せるものではないらしい。何かをきっかけに思い出すのでは、と言われたそうだ。頭を打ったショックで記憶が混乱していると。


 なにも問題はないらしい。僕のことを忘れたままだというのに。



 ハリーはグシャグシャと頭を掻いて、僕に謝った。ハリーだって、記憶がないのは嫌だろうから。

 ハリーは僕を見て何度も謝った。


 そんなに僕の顔がぼろぼろだったのだろうか。ハリーが帰って来る前にずっと目蓋を冷やしていたのだけれど。



 僕を見て頭をぐしゃぐしゃにする。ハリーの癖。どうしようもない時に、こうやって自分の髪の毛をぐしゃぐしゃと掻く。
 忘れられた僕も切ないけど、忘れてしまったハリーだって辛いのかもしれない。
 きっと、辛い。
 記憶がないのは、きっととても不安だ。僕だって昨日のことが思い出せなかったら、とても怖いと思う。






「散歩にでも行くか?」

 ハリーの気分が少しでも紛れれば良いと思った。

「うん。何か思い出せればいいんだけど」

 夕方の買い物もしたかったし。














 こうやってハリーと並んでこの辺りを歩くのは本当に久しぶりだ。僕は随分前からこの町に住んでいるけれど、ハリーはまだ何年も経っているわけではないし、ハリーの顔を知らない人なんかいないから……あまり一緒に出歩いた事がなかった。何度かは、あるけれど……それでも出来る限り僕は一緒に歩かないようにしていた。

 僕と、ハリーは不釣合いだから。

 みんなが僕をマルフォイだと認識しているわけではないけれど……それでも昔はこの辺はマルフォイの領内だったし、マルフォイに関しては年配者は未だに強い畏敬の念をこめているから……僕がマルフォイであったとしても、それなりに暮らすことが出来る。

 それでも……僕を受け入れることが出来ない人達は大勢いるんだ。僕は、闇に与したマルフォイだったのだから……それは、仕方がないことなんだ。



 僕が目が見えない時は、ハリーはよく公園に来ていたけど……一緒に公園のベンチで話をしていたりしたけれど、ハリーに声を掛けて来た人はいなかった……変装でもしていたのだろうか。

 でも今は……。




 道行くごとにハリーには声がかかり、ハリーは苦笑しながら片手を上げ挨拶をしていた。
 みんな知ってるハリー。こんな風にみんなに覚えられてしまうのも有名税だ。みんなはハリーがここに住んでいることを知っているのだろう、有名な英雄に会えた喜びではなく、知り合いに会うような気軽さだ。

「有名人は大変だな」
「でもこの辺りはよく来るし、けっこう顔馴染みの人が多いんだ」

 何で、とは訊けなかった。
 この道は僕の家までの道順だから。
 見ていると……ハリーは忘れた事を思い出そうとすると頭が痛くなるみたいだし。苦しそうな様子は見たくない。僕は、なるべく思い出させないようにした。僕のことを早く思い出して欲しいけれど……ハリーが辛いなら、僕はそれを見たくない。

「僕達ってどんな風に見えるんだろう」
 一緒に歩いた事なんかないから。ハリーが、そんなことを言った。
「……見たまんまじゃないか?」

 見たまま、僕達は普通に友人だ。きっと本当はそんな関係が理想なんだろう。知り合い。
 話をする程度の。
 きっと、それが僕たちの関係では一番いい。

 ハリーは、優しいから、こんな僕にでも同情で話しかけている。
 そう、きっと思われるだろう。それがいいんじゃないか?




 本当は僕はハリーが大好きで、ハリーも僕を好きだと言ってくれていた。そんな事をハリーに言ったら……きっと混乱させてしまう。
 男の僕にいきなり気持ちを伝えられても、きっとハリーは困るだろうから……早くハリーが思い出してくれればいいのに……。
 僕の事を訊かれる前に、僕はハリーに色々な事を質問した。どうやらハリーには僕は家出してきてハリーの家に居候しているクィディッチファンと認識されているようだから。もしかしたら、そう思われていないかもしれないが、居候で友人だと思われているのは確かだろう。
 ハリーの事について、チームメイトの事について、試合の事について、僕は色々なことを聞いた。ハリーから聞いてすでに知っている事も訊いた。
 もし、僕がマルフォイだったと言ったら、もっと混乱させてしまうのではないだろうか。
 だから、言わない。
 言いたくない。

 僕が、ハリーに嫌われる可能性は、少しでもないほうがいい。




 ハリーと喋りながら歩くのは楽しかった。




 ふと、道を歩いていて、小さな女の子が近寄って来た。ようやく歩きだしたような、まだ本当に小さな子が、ペンと紙を持ってハリーに向かって、うまく重心の取れない足取りで歩いて来ている。
 その姿があまりにも愛らしくて、僕はつい微笑んでしまう。
 母親が少し離れた場所から様子を見守っていたから、僕も女の子とハリーの様子を見守る。


 ハリーは優しい笑顔で渡された紙にサインをし、頭を撫で、そして彼女を抱き締めた。いつもはここまでのファンサービスをするわけではないだろうけれど、ただ本当に可愛い女の子だったから……僕の顔も綻んだままだ。





「今の子、可愛かったな。ハリーは子供が好きなのか?」
 ハリーが子供が好きなのは知っている。子供というよりも、家族に対して強い憧れを持っている事は知っている。

「うん、大好き。いいなー。僕も早く子供欲しいなー、可愛かったなー」


 でれでれと締まりのない顔つきで。
 ハリーの楽しそうな様子を見て僕はここで一緒に笑おうと思った。

 ハリーが、今すごく幸せそうに笑っているから。いつもなら僕はハリーのその表情に釣られて笑ってしまうのだけれど。

 本当は笑わなければならない所なのだけれど。

「……………」

「去年さ、僕が学生の頃からの親友達がいるんだけど、結婚して子供が生まれたんだよ。目がクリクリしてて、ふわふわの赤毛で、もう、なんていうか、天使なんだよ、本当に。背中に羽が生えててもきっと僕は驚かないよ」


「…………」

 本当は、相槌ぐらいはうちたかったんだ。ハリーと一緒に笑って……。




 僕が、黙り込んでしまったから。





「もちろんまずそれには、可愛い奥さんを見つけないといけないんだけどね、まだ、僕結婚する予定なんかないし、相手もいないし、だからまだ先の話だし、君はまだ僕の家にいていいよ。部屋は空いてるし」

 僕を見たハリーは慌てて余計なフォローをいれてくれた。
 僕は、喋れなかった。少しでも声を出せば、それは震えてしまいそうだった。


 どうにも出来ない。



 ハリーは、子供が欲しいんだ。
 僕だって、こんなことになる前は……憧れていた。言ったことはないけれど、僕はウィーズリーの家みたいに、本当はもっとお互いの距離が近い家族に憧れていたんだ。僕も結婚することになったら、そういう家にしようって……思っていたんだ。




「君も美人だから、君の子供もきっと、可愛いのだろうね」





 ああ……僕は罪人だから………。






 僕は、子供ができないんだ。そういう罰で。

 マルフォイは断絶された家だから。だから……。





 ハリーは、子供が欲しいんだ。

 知っている。
 そんなこと、ハリーと再会する前から知っていた。ずっと憧れていたんだ、君に。

 可愛い奥さんと、たくさんの子供で、幸せな家族が欲しいって、知っている。
 ハリーの記事はハリーが選手として活躍し始めた頃からほとんど全部読んでいるんだ。随分昔の記事だけど、そう書いてあった、覚えている。
 ハリーの生立ちを考えればそれは当然だと思った。

 ハリーの願う未来。
 家族、家庭。
 それは、僕にはそれを叶えてあげられない。

 それをハリーに与える事はできないんだ、僕には。
 僕にはハリーが一番望む未来を叶えてあげる事ができない。







 ハリーは、僕と一緒にいたら、駄目なんだ。






 今初めて思ったわけではない。
 前にも考えた。ずっと前から。考えていた。



 僕はハリーに家族を与える事ができない。僕自身が僕の遺伝子を残す事はできない事は、始めから気にしていない。本当はここにいることもなかったのだから。マルフォイが残らないのは僕にとっては瑣末事だ。




 きっとハリーの子供は可愛いのだろう。


 ハリーは子供が好きだし、自分の家族を望んでいるのだから、きっと親馬鹿になるのだろう。



 ハリーに可愛い奥さんがいて、可愛い子供がいて……。
 僕はそんな幸福な未来を想像した。きっとそれは本当に幸せな家族像。
 ウィーズリーの家のように、全員が絆で結ばれていて、きっと僕が経験をした事のないような暖かな家庭を、きっとハリーなら持つ事ができる。僕だってそんな家に憧れていたんだ。










 僕はハリーの幸せを願っています。






 だけど、僕以外の誰かに優しくするハリーを僕はきっと見る事ができない。思うだけで嫉妬で焦げてしまいそうなんだ。






 一緒にいたいんだ。
 そばにいるだけで良いんだ。
 ハリー、お前は幸せにならなきゃいけないんだ。
 僕は誰よりもお前の幸せを願っている。
 ハリーが、好きです。
 僕に優しくして。
 僕だけに優しくして。
 僕以外には触らないで。
 ハリーが幸せになることが僕の幸せなんだよ。
 ハリーに再会する前から、ずっと。

 ハリーは、僕のものだ。


 僕を、好きだってハリーも………










 僕は、このジレンマを解消できない。














「ハリー、きっとお前の子供は可愛いだろうな」



 ようやく言えたその言葉は、ハリーに届いたのだろうか。


 僕は、どうやってハリーの家に戻ったのかよく覚えていない。











070524