4(H)














 ……高い天井。
 見知った……

 ああ、僕の家だ。

 目が覚めると、僕は居間のソファに横になっていた。

 カーテンは閉められて部屋は薄暗かったが、差し込む光は眩しい。
 もう朝なのだろうか。


 ……?

 何だろう……

 頭がズキズキする。 
 手を動かそうとして、その手が何かに拘束されていることに気付いた。

 ひんやりと………。



 僕の手は、握られていた。


 昨日の夜僕の家にいた銀に近い髪色の彼が僕の手を握り締めて寝息を立てている事に気付いたのもその時だ。

 眠っている。

 僕がソファに横になっていて、彼は床に座り、ソファに顔を伏せるように……。

 瞼が赤い。

 睫毛と頬が濡れていた。

 昨日、彼の瞳を見た。
 淡い色合いで、僕と見えている世界は違うのではないかと思うほどに……。

 昨日の事は覚えている。

 彼が僕の言葉に驚愕していた。
 僕が、忘れたんだ。


 思い出せない時間がある。僕の記憶の中にぽっかりと黒い穴が開いている。
 昨日、僕は自分の記憶に穴があることを知った。

 思い当たるのはやはり昨日の試合中の事故だろうか。
 頭を打ったから……。

 記憶が抜け落ちている。
 そこに、彼がいるのだろうか。

 そっと、彼に握られていない方の手で、彼の髪に触れる。手入れの施された猫の毛に触れるような柔らかさで、それはさらさらとと僕の手から零れ落ちた。光が、こぼれる。

 綺麗な……見つめているだけで心の奥の方から熱い物が込み上げて来る……。

 なくした空白は僕にとってどんなものだったのだろう。
 僕は、彼を失ったのだろうか……。
 きっとそこに君はいるんだね。



 不思議。
 僕は彼を知らない。それなのに、こうやっていることがなんだか安心する。僕はそれなりに人見知りをする方だから……知らない人なのに……それでも。

 彼の髪を梳く。さらさらと指先からこぼれる感触が気持ち良い。







「ハリー………」


 気がつくと、彼は目を開いて僕を見つめていた。
 綺麗な色。

「君、ずっとそばにいてくれたの?」

 優しく、声は穏やかに出ていたと思う。

 それなのに……彼の双眸からは、透明度の高い涙が溢れ出して来ていた。

 ぽろぽろと、頬を伝う。

 綺麗な泣き顔。君は何をしていても綺麗だね。
 でも、笑った顔が見たいよ、初めて君を見た時のように笑って。

 そう思って微笑んだのだけれど……。



 彼は瞳から、ますます涙を溢れさせてゆく。



「僕のこと………」

 そう言って彼は口を噤んでしまった。真一文字に閉じられた口。
 そのまま、信じられないと言うように彼は僅かに首を振った。


 ごめんなさい、君のことがわからないんだ。
 一昨日の夜、君と会ったのか?
 思い出せないんだ。

 泣かないでよ。
 泣かないで。

 泣かせているのは僕なのか?

 僕が君を忘れたから?

 一昨日……僕は……。


 記憶を探るとまたすぐに闇がある。

「っ……」

 その闇は僕の頭に激痛をもたらす。

 痛くて、僕は頭を抱えて膝の間に顔を埋めた。


「ハリー! ハリー、大丈夫か?」


 泣いていた彼は、慌てて僕を抱き締めてくれた。

 ひんやりとした体温があった。

 ああ……ずっと僕を見ていてくれたんだね。

 僕が昨日着ていた上着は僕が着たままで、紺のジャケットが僕の上にかけられていて、君はシャツ一枚だけだから。
 身体が冷えてしまったんだね。ごめんね、ありがとう。
 僕が彼を抱き締めて、暖めてあげたくなって………なんだ? なんでそんな事を思うんだろう。

「ごめん、大丈夫」

「…………そう、か」

 笑顔を見せると彼は安心したように、涙を流しながら、それでも笑ってくれた。

 やっぱり君は、笑顔の方が似合う。
 彼が笑ってくれたことが嬉しくて僕も微笑む。



「他に痛い所はないか? ちゃんと病院に行って見てもらったのか?」

 口調には少し刺があった。心配してくれてはいるのだけれど……彼は僕の試合の様子を知っているのか? 昨日の夜もそんなことを言っていた。



「行ってないけどさ、なんで君が?」

 そう尋ねると、彼は僕にテーブルの上にあるしわくちゃの紙を掴んで僕に叩き付けた。
 何?
 しわしわで、広げるまではそれが何だかわからなかったけど……。
 クィディッチの試合の速報か。よっぽどのファンじゃないとこれを定期購読していないはずだ。

 一面に………。
 見出しを見て、僕は何やら酷く落ち込んだ。
 格好悪い……暴れ玉に激突してそのまま気を失って退場だなんて……僕はもう学生の頃から合わせると十年はクィディッチをやっているんだぞ。そんな初歩的なミスを大見出しで書かれると、凹む。

「何をやっているんだ、本当に、お前は馬鹿か」
「なんで君にそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
「うるさい、ファンをなめるな!」
「………」


 へえ……そう言う繋がりなんですか?

「……スミマセン」

 もし、それが事実なら僕の選手生命に賭けて謝罪しなければならない事態だ。少しお座なりになってしまったが。
 それにしても僕はなんであんなに必死になっていたんだろう。もちろんいつも必死に掴まえようとしているが。
 あの時は今まで以前に気分が昂揚して、暴れ玉にも気付かないほど、スニッチを掴まえないと……が……。

 ……ずきりと……。

 ほんの少し頭に痛みがある。僕は考えることをやめた。



「今日、練習があるのか? あるならちゃんと休んで病院に行って来い。今は朝の六時だ。今からなら連絡を入れれば間に合うだろう? 昨日キッチンをのぞかせてもらったが、ベーグルとベーコンはあったから簡単に朝食を作ってやる」

 彼は二の句が告げないほどに早口でまくしたてると、さっさと立上がり、キッチンの方に消えた。

 なんだ?

 ひどく儚い存在に思えたのだけれど……僕が守ってあげなくてはならない存在のように、そう思ったのに……。
 彼は一人で立ち上がる。

 呆気にとられた僕は一人リビングに残された。





















070518