45(D)











 歓声が聞こえる。


 久しぶりだ、この空気は。
 懐かしい。
 学生の頃、父が何度か連れてきて下さった。クィディッチの試合場。目が見えなくても熱気に溢れた人の量を感じることができる。
 夢中になってはしゃぐと父に行儀が悪いと睨まれたけれど、それでもこの空気は好きだった。冬でも寒くても、熱気と興奮で渦巻いている。
 この空気は心地が良い。とても好きだった。でも、あの頃は好きなチームをこっそりと応援するよりも、僕はホグワーツでの試合の方が好きだった。ハリーの飛ぶ姿を見ることが出来たから。でも、もしかしたら、だから僕はクィディッチが好きなのかもしれない。




 僕は本当は、飛行術の授業は好きだった。
 箒に乗って空を飛ぶことは好きだった。

 ハリーみたいに……自由になれそうな気がするから。追い付くことすらできなかった、学生時代。
 僕は諦めた。
 だから、僕はハリーを見ていた。あの頃から、僕はハリーが空を飛ぶ姿が大好きだった。
 まるで風にでもなったように、ハリーはすごく楽しそうに空を飛んでいた。見ているだけで、良かった。
 あの頃、僕はハリーを嫌っていたけれど、でもハリーが空を飛ぶ姿だけは好きだった。好きだと、そんな言葉で表現したことはないけれど、でもハリーが空を飛んでいると、僕は彼の姿を目で追っていた。






 今は、まだ、全部、大好き。


 忘れるのに、時間がかかるかもしれない。
 一生忘れられないかもしれない。

 ハリーが幸せになればいい。
 僕はハリーの幸せな姿を想い描く事が幸せなんだよ。

 僕が誰でもないただの女だったら、良かった。こんな望みのない恋をしているのは、世界中できっと僕だけだ。
 でも、一度はそれが叶った。僕は一度だけでも、ハリーからの愛を手に入れたんだ!

 僕は幸せなんだよ。世界中に自慢したいくらいだ。
 ハリーの顔を思い出しさえすれば。
 ハリー、お前が幸せになれば。










「紹介します、フリット家の三女の……」
「……ああ」

 ギルバートの声に正気付く。
 最近は、ずっとこんな調子だ。
 ハリーのことばかりで………。もう、季節は一巡りしたのに。





「初めまして、ドラコ様。ヘレンと申します」

 女性の声が横から聞こえた。
 落ち着いた、少し低い声。

 フリット家か……。僕はフリット家の厳つい紋章を思い出した。









 いや、ちょっと待て!


 フリット家と言えば、父に頭を下げていたあの太り気味で脂っぽい禿頭のことか?
 父よりも一回り年上だったぞ。その娘となれば、彼女はいくつだ。
 いや、女性に歳を聞くなどと、そんな礼儀に反した真似はできない。が、いや、だからと言って……本当に行かず後家を僕に押し付ける気なんじゃないだろうか。僕は学生の頃から、この外見だけでも言い寄ってくる女の子が途切れたことはないし、今だってパーティーに行けば可愛らしいお嬢様方に苦労しているというのに……いや、今視力はないから果たして可愛いのかどうかはわからないが、よく黄色い声に囲まれるから。あの面食いのハリーにだって誉められたんだ。僕は自分の容姿にはそれなりの自信を持っている。

 のに!!

 フリット家といえば、勿論昔のマルフォイには及ぶはずはないが、それなりの血統と権力があった家だというのに。
 それは今でも衰えていないはずだ。この社会に身をおいていれば目なんか見えなくても圧力ぐらいは感じる。どこがどうなっているかとか……子供の頃はそればかりが気になっていたから、そういうふうに育てられていたから、上下社会の規律は聡い方だから、今そのフリット家の地位がどれほどのものなのかは僕には理解できている。
 今だ、その権力は健在。
 それで、この声から察するに僕よりも上の年齢で、結婚していないとなると、よほど性格が悪いか、よほど見目が悪いか、何か問題があるのか、離縁した出戻りか……。

 …………………………。




 ああ、まあ、別に、誰だって同じなんだけど。


 どんな可愛らしいお嬢さんが僕の隣にいたって僕は見ることもできないし、見たくもない。
 ハリー以外、要らない、どうせ。


 ハリーではないのだから。
 ハリーじゃないなら、どこの誰だって同じだ。





「初めまして、ミスヘレン」

 何百人の美女のハーレムに囲まれるよりも、僕は一人のハリーの方がいい。

 僕は、いつもの作り物の笑顔を浮かべる。
 そうして、彼女に向かって手を差し出した。

 差し出した手を握る相手の感触は、とてもふくよかで、手の皮の中に豊かな水を蓄えているようだった……ああ、とても大きそうだ。








 その時、歓声が沸き上がった。

 僕は彼女の声から耳を背けるように、フィールドに顔を向けた。その隙に、失礼にならないように出来る限り自然に彼女の握力から逃れることは忘れなかった。


 選手の入場が始まったのか、歓声が大きくなった。

 選手の名前が読み上げられる。選手はファンサービスのためにくるくると場内を旋回しているのだろう。歓声が回ってくるから。

 ここはどこのチームだろう。聞いていなかった。だって、知りたくない。
 最近は定期購読をしている雑誌もない。クィディッチを見ることもやめた。こちらの世界に戻ってきてから、僕は何もなかった。何もしなかった。だってどうせハリーがいない。だから僕は全てを捨てた。

 ハリーから貰った指輪すら捨ててきたのだから、雑誌などを見たら……悲しくなってしまうよ。



 ハリーを追いかけてしまうから。
 ハリーの名前を聞くだけで、辛い。忘れないと……忘れられるはずがない。





 キーパーの名前。
『ジュード・レスク』




 大きなアナウンスが流れる。
 ああ…この名前は知っている。
 このチームは、スピードには長けていて連帯感もあるが、弱い。ハリーのチームのアマチュア版みたいだと思った所だ。士気を上げるための人気がある選手がいない。みんな、そこそこ。嫌いじゃないし、上手いけれどチームに魅力がない。
 ハリーみたいに、一人でも強い選手がいれば、チームの士気も高まり勝利への結束力も強くなるだろうけど……。



 他の選手の名前も読み上げられて……僕は記憶を頼りに、そのチームを思い出す。














『 シーカー




 ハリー・ポッター 』























070829