42(H) 僕はここを知っていた。 ドラコ・マルフォイには似つかわしくないような、狭い家だった。彼は屋敷に住んでいるようなイメージがあったけれど、狭くて物が溢れていた。何か、とても不思議な気がしたけれど、それでもここは彼の匂いがした。 ここが彼の家だとわかる。 僕はここを知っていた。 初めて見るけれど、それでも僕はこの家を知っていた。 知らないけれど、覚えていた。 ロンはすぐに僕に彼の住まいを教えてくれた。僕のとんでもない我が儘を受け入れてくれた。 本当に僕の家からさほど離れていない場所だった。ロンが帰った後も僕は一人で彼を探し回ったけれど、でも見付けることができなかった。 この家は、少し外れた場所にあったから。人通りの多い場所から少し外れた所……森の近くに。 鍵はかかっていたけれど……勝手に入った。扉をノックしても誰も出てこなかったから。 入って、ここが彼の家だとすぐにわかった。 ドラコの匂いがする。 部屋は、物で溢れ返っていた。僕の家のドラコの部屋に似ていた。 ドラコが読んでいた本。同じような本が壁を覆う。 部屋は全部で三つあって、一部屋は薬品や色々な器具が置いてあって、一部屋はダイニングキッチン、一部屋は寝室。 食器は全部二つづつあった。 彼の匂いがするんだ。 寝室には……、クローゼットを開く。 白いシャツ。 彼がよく着ていた。 細身の黒いパンツも。 最近見ていなかった僕のトレーナーとデニムも……。 彼がここに住んでいたことは間違いない。 僕はここを知っていた。 でも、彼だけがここにいない。 人の気配がない。 彼の香りがする。それなのにきみがいない。 ベッドに腰をかける。 まだ……暖かい。 さっきまで………もしかして、さっきまで……? ドラコがここにいた。彼はここにいたんだ、さっきまで……、 いない。 僕が、ここにいるのに。 何故、僕は差し出された手を受け入れなかった? 何故僕はあの時彼を抱き締めることができなかった? 嫌われたと思ったから。 すごく悲しかった。 でも、嫌われていても、それでも僕は君の隣にいたい。 僕の大切なものは、掴んだと思っても僕の指からサラサラと零れ落ちて行く。幸せは、砂みたいだ。 待っていたら帰ってきてくれる? 僕はいつまでも待つよ。 胸が………つまる。 息ができなくて、苦しいよ……ドラコ。 涙が……… 胸が痛い。 何で僕は彼を忘れたりなんかしたのだろう。 何で僕は思い出せないんだ。何で、一番大切なことを忘れたりなんか………英雄だとか祭り上げられて、結局僕は一番欲しいものは何も手に入れられない。誰よりも強い魔力があったって幸せになれなければそんなものなくていい、ない方がいい。 思い出して…… 彼は、最後にそう言ったんだ。 ………ドラコ。 ふと視界の端に、きらりと光るものを見た。涙で視界がぼやけているけれど。 枕元に………指輪。 細い。指をしていた、彼は。 彼の中指にいつも光っていた。 僕はその指輪に嫉妬していた。 僕の薬指に嵌められていた指輪と同じデザイン。とてもシンプルで、同じかどうかなんてわからなかった。見せてくれなかったし。 僕のはめていた指輪に似ていた。すぐに外してしまったけれど。 僕の指輪には『for D』と……… ああ、そう。 だって、君の名前を知らなかったんだ。ニコラスだって……ドラコ、これは僕が君に送ったんだね。 枕元に置かれた指輪の内側を見て、僕は確信したよ。 『H to D』 苦しい。 苦しいんだ。 息ができないよ。 これは、僕が彼に贈ったんだ。 君は僕が贈ったものを、ずっと身につけてくれていたんだ。 外れないって言ったくせに、嘘つき。 君は、ずっと嘘をついていたんだね。 僕が贈ったものをずっと身につけていてくれた。 頭痛がする。 僕の頭の中の黒い染みの部分から。 じわじわと痛みが広がる。 僕が、彼に指環を贈ったんだ。同じものを身につけていたかったんだ。少し離れているのも嫌で、そんなもので束縛したかった。繋がっていたかった。 『………少し大きい』 箱から出した指環をドラコは薬指にはめて、サイズが合わなくて、少し複雑そうな顔をしたんだ。 『ああ、やっぱりか。僕より小さいサイズにしたんだけど』 だって僕は自分の指のサイズだって知らないよ。だから僕より一回り細いものにしたんだけど。ドラコだって成人男性であるわけだし……。 『あ、中指にちょうどだ』 僕が、ドラコの繊細な指先を見つめた。 きれいな指。 汚したくない。 何もしなくてもいいよ。君が僕のそばで笑ってさえいてくれるなら他には何も望まない。 だから、ずっとここにいてよ。 『……………まあ、中指でもいいや』 婚約指環のつもりだったんだけど。結婚ができるわけでもないから。 同じものを身につけていてくれたら、本当にそれだけで嬉しいから。束縛したい、そんなつもりだったんだ。僕のほかに誰も選ばないでねって、そういう約束のつもりだったんだ。 『ハリー』 『なあに、ドラコ?』 『ありがとう』 僕はどきりとしたんだ。 ドラコは学生の頃みたいに傲慢な態度なわけではないけれど、それでもよっぽどのことがないと、ありがとうだなんて言わない。 時々は言うけど。 本当に喜んでくれた時にしか言わないから。それがシンプルでいい。僕がニコラスだって名乗っていた時にはよく言っていたけど。 あの時のドラコは、優しかったけど、でも本当のドラコを隠していたから、すぐにそれがわかったんだ。 僕は本当のドラコを手に入れたんだ。 今のドラコが一番好きだと自信を持って言える。 喜んで貰えたことが嬉しくて。 じっとドラコは指環をはめた自分の指先を見つめていたけれど、じわりと……その瞳が滲んだ。 『ドラコっ、ちょっと、泣かないでよ』 僕は何よりもドラコの涙に弱い。 泣かれると、どうしていいのかわからなくなってしまうんだ。ドラコの涙は強敵なんだ。僕は勝てない。 『泣いてないっ! ハリーは馬鹿だと思って呆れただけだ』 憎まれ口は、いつものこと。だけど素直じゃなくて、僕だって怒るときだってあるんだ。 指環を渡すのに、すごく勇気が必要だったんだ。 要らないって言われたらとか、受け取ってもつけてもらえなかったらとか、デザインが気に入らなかったらとか……すごく勇気が必要だったんだ。 『じゃあ返してよ』 『嫌だね。もう貰ったんだ』 ドラコは自分の中指にばかり視線を送って、ちっとも僕を見てくれない。 『じゃあつけなくていいよ』 でも、笑顔は、すごく嬉しくて。 『………しまった、外れない』 『え?』 『中指にはちょっときつかったから外れない』 嘘つき。 ちゃんと外れるじゃないか。 頭痛がする。 ひどい痛みだ。 何で僕はドラコを忘れていたりなんかしたんだ。 頭の中の黒い点。 光が………。 痛みなんか知らないよ。 きみがいない その苦痛に比べたらこんなもの。 頭が痛い。 『思い出して……』 ドラコ! 硝子が、砕けるような音が頭の中に響いた。 黒点も頭痛ももうなかった。 それと同時に流れ込んでくる記憶。 僕の頭を撫でてくれるドラコの繊細な指先。 抱き締めてくれるドラコの細い腕。 僕にキスをくれる柔らかな唇。 ドラコの笑顔。 眩しくて。 ああ………ドラコ。 思い出したよ。 思い出したから、早く帰ってきてよ。 今すぐに抱き締めたいんだ。 何で離れたりしたの。 大好きだよ。 思い出したよ、ドラコ、大好き。 思い出したのに……。 きみがいない 070822 → |