38(D)
















 そう、僕はマルフォイなのだから、こんなことは、何でもない、感じない。
 取り乱すなと、父からいつも強く教えられていた。

 指先の震えが止まらない。




「お前は確か目が見えなかったはずじゃないのか? そういう罰を受けたんだろう? なんで目が見えているんだ?」


 僕は目が見えなかった。そういう罰を受けた。
 僕はそれでも嬉しかった。

 解放されたんだ、僕だって自由になれたんだ。ハリーが僕を自由にしてくれた。目が見えないことは僕には不自由ではなかった。マルフォイではなくドラコとして、僕の個を認めることができるようになったんだ。
 罰なんかではない。僕にとっては解放だ。

 ハリーが僕を見つけて、僕に光を与えてくれた。

「…………」

 ハリーに治してもらったんだ。

「答えろよ!」


 荒々しい口調で、ウィーズリーが僕の身体を揺らす。抵抗する気力はない、身体は重くて動かない。好きにしてくれていい。殴られないのが不思議だ。


「まさか、お前がハリーの記憶を消して、恋の妙薬でも飲ませて、目が見えなくなる呪いを解いてもらったとか……」

 恋の……?
 何を言っているんだ、ウィーズリーは。

 ああ、ハリーから聞いたのか? 馬鹿だな、僕なんかが好きだなんてお前の価値が落ちてしまう。お前は世界で一番価値があるんだ。誰もがお前の幸福を願っているんだ。そんなこと言ったら駄目じゃないか。




 記憶を消したのは僕じゃない。
 それでも、僕だ。僕のせいなんだ。ハリーのそばにいたいと思ったから、だから。
 ハリーに好きになってもらう資格はない。

 ウィーズリーは正しい。

 さすがはハリーの親友だ。

 薬なんかは使っていないけれど、僕がマルフォイでさえなければ、ハリーは僕を好きになってくれると、僕はそう思っていたから。実際、ハリーは僕を好きだと言ってくれた。

 全部、僕の我が儘だ。


 離れなきゃ駄目だと、思っていたんだ。
 ハリーのそばにいる資格が僕にないことくらい、僕だって知っているんだ。


 だって目が見えない頃から、僕がハリーをハリーだと知らない時からハリーは僕を好きだと言ってくれたんだ。

 僕のハリーなんだ。

 誰にも渡さない!




「マルフォイ、お前のことだ、家がなくなったのもお前がこうやって罰を受けているのもハリーのせいだとか思っているんだろう?」

 ウィーズリーは、正しい。

 全部僕の我が儘で、我が儘なこの性格は昔からだった。今更直せないよ。

 僕が一番、誰よりもハリーが幸せになることを望んでいるんだ! ウィーズリー、お前よりも僕の方がハリーを強く想っている、きっと。


「ああ……そう。それがいい」


 だから……僕は僕を出してはいけない。
 本当の事を伝えてはいけない。
 ハリーが好きだって、ハリーが僕を好きでいてくれたって、それを伝えてはいけない。


 昔から、家の都合で感情を外に出さないようにするのは得意なんだよ。


「ドラコ………」


 ハリーの声が僕を呼ぶ。

 苦しい声で僕の名前を呼ばないで。






 ハリーは、僕の名前を呼ぶことが好きだった。
 何でもないのに、よく僕の名前を呼んだ。
 朝起きる時だったり、夕飯を食べている時だったり、何もしないでくつろいでいる時だったり……。
 僕は一緒にいるなにもしない時間も好きだったのだけど、ハリーはそんな時によく僕の名前を呼んだ。

『ドラコ』
『ん?』
『………』
『何だ、ハリー』
『………特に用はないんだけどね』
 いつもそう言った後にハリーは満面の笑顔を僕に向けてくれていた。おもわずこっちまで微笑んでしまいそうな笑顔だった。
 だけど、僕は用がないと言われてしまったのだし、ハリーのその笑顔を見つめるのも恥ずかしいからそんな時は決まって横を向いてしまっていた。
『………そうか』
『え、それだけ?』
『だって用はないのだろう?』
『僕に注意を寄せてほしいって言うか、僕がここにいるよーっていうか、ドラコ好きだよーって言うかさ……』
『……結局何が言いたい?』
『うん、抱き締めてもいい?』









 僕の名前を呼ぶ時に、そんなに悲しい顔をしないでくれ。

 ハリー、お前にそんな顔は相応しくない、ハリーは幸せにならないといけないんだ。




「………ハリー」

 悲しい想いをさせてしまってごめんなさい。

「君は………僕を騙していたの?」


 騙して………。

 そんな……。
 そんな風に思われたくない、ハリーに嫌われたくない。僕を好きでいてほしい、ハリーが好きなんだ。


「……ハリー、僕は」

 僕は……騙していた。
 だってハリーが僕を忘れてしまったから。

 でも、それは僕のせい。




「何で、嘘なんか……」

 嘘を、ついた。
 ハリーに嫌われたくないから。
 僕がかつてのお前の敵だと知られたくなかった。僕が罪人だと知られたくなかった。僕がドラコ・マルフォイだと、知られたくなかった。


「………」


 僕は、もう、ハリーの顔が見れなかった。
 苦しくて、想いが溢れてしまいそうなんだよ。
 ハリーが愛しい想いが溢れ出しそうなんだ。


 泣き出してしまいそうだ。




 駄目だ。



 ハリーの隣に僕がいたら駄目だ。


 泣いたら……ハリーは僕の想いに気付いてしまう。









 僕は、笑顔を作る。
 他人を見下すことで自らの優位を維持していられると思っていた頃の僕の笑顔。
 心が凍るよう。


「ポッター、お前は本当に簡単に騙されるんだな」


 口から、出てきた言葉はすらすらと淀みない。
 心の中にある気持ちと全く正反対の言葉は、僕の口から吐き出される。

「まったく、簡単に騙されて、いい気分だった」


「……君は」


「滑稽だな」




 終わればいい。終わってしまえばいい、全部。


 ハリーのそばにいるから苦しいんだ。
 ずっと僕は一人でいたじゃないか。孤独なんか感じなかった。寂しいと思わなかった。

 ハリーがいるからなんだ、ハリーが僕を不安にさせて寂しくさせて悲しくさせるんだ。

 ハリーに会って、僕は最高に幸せでした。












 幸福は、不幸になるための下準備なのだろうか。









「ハリー、こいつはこう言う奴なんだ! わかっただろう」

 ウィーズリーが僕を突き飛ばした。後ろにソファーがあったから、それにぶつかった。
 力がぬける。
 このまま泣き崩れてしまいたい。
 僕が泣いたらハリーはいつも僕が泣き止むまで抱きしめてくれていた。

 ハリーに抱きしめてもらいたい。
 ハリーの声で、大丈夫、何も心配はいらないよって言って。



「僕はなんで………君なんかと友達だったんだ?」


 ハリーが、僕に問いかける。

 信頼は、もう僕達の間にないんだ。



「お偉いな、英雄殿は」

 このまま嫌われれば……ハリーは僕を忘れるだろう。
 僕を恨んで、でもすぐに忘れて幸せになるはずだ。
 隣にいるのが僕でさえなければいい。



「一つだけ訂正するが……お前が僕を忘れる以前は、ハリー、お前と僕は決して友人なんかではなかった」


 友達じゃ、なかった。
 そんな関係じゃなかった。

 僕達は愛し合っていた。

 互いがほかには何も要らなくなるくらい、僕達は愛し合っていた。ハリーの愛情を僕は確かに感じていた、僕もハリーを何よりも大切にしていた。


 友達なんかじゃない、もっと深いんだ。もっと離れがたい。




「お別れだな」




 お別れだ。

 それがいい。


 僕が一番ハリーに似合わない。


 一番僕が相応しくない。




 僕はハリーに手を差し出した。


 交わるはずのない僕達だったけれど……ハリーが僕を見付けてくれた。
 ハリーが僕に光をくれた。



 幸せだった。
 こんな僕を幸せにしてくれた。




 ハリー、ありがとう、大好き。









 乾いた音。


 差し出した僕の右手を、ハリーが振り払った。













 僕の手をハリーが拒んだ一度目は怒りしか覚えなかった。
 僕は僕の価値を高い場所に置いていたから、振り払われたことに怒りを覚えた。あの時から僕はハリーに固執した。今思えばあの執着は怒り以外の感情も含まれていたのだけど、でも僕はそれを怒りだと感じていた。あの頃僕は自分を観察するような冷静さは持って居なかった。


 次は、僕が目が見えずにハリーをニコラスだと思っていた時。
 ハリー以外に興味はなかったけれど、ニコラスだと偽っていたハリーは、ハリーによく似ていたから。彼の額に手を伸ばした時に……。あの時は驚いた。
 ニコラスは僕をすべて受け入れてくれるような気がしていたから。
 ハリーだって自分を隠していたじゃないか。おあいこだ。
 僕達は僕達でない方がいい。
 ハリーだってそう思っていたから。
 同じだった。
 きっと僕とハリーは同じ温度で愛し合っていた。それが嬉しい。





 今、僕はハリーに振り払われた手を見つめた。



 強く払われたわけではなかったから。

 手が、痛いわけではない。



 心が。




 心臓が……握りつぶされたよう。




 そう、僕は、ハリーの敵だった。



 今感じているのは、ただの絶望だ。


 色々な人が僕の横を過ぎていった。両親もいなくなり、学生の頃に仲が良かった奴らもいなくなった。
 今、ハリーがいなくなる。


 不思議だな。
 今が一番悲しいです。






 ハリー。





 何で、僕の事を忘れてしまったの?



 僕のせいなんだけど、僕がハリーの隣にいたからだと理解しているけれど!


 それでも。

 ちっともハリーのせいなんかじゃない、ハリーは何も悪くない、ただの被害者だ。


 それでも。

 何故僕を忘れてしまったんだ。
 忘れなければ、まだ、もう少し、ハリーが僕に飽きてしまうまで、僕はハリーと一緒にいることができたのに。それまで、僕がハリーを独占できていたんだ。

 なんで、僕を忘れてしまったの?



 ハリーの瞳が、切ない。




 僕は、ハリーの頬にそっと手を伸ばす。


 大好きなハリー。


 


 大好き。





 僕を…………






「………思い出して……」




 僕は、ハリーの唇に口付けた。






 キスを…………最後のキスをしたかったんだ。















070809