37(D) 「ウィーズリー……」 僕の声がどこか遠くから聞こえてきた。 何が、起こっているのかわからない。 ここにウィーズリーがいて……。 久しぶりに見たのに相変わらずの赤毛でひょろりと背が高く、前にハリーに見せてもらった写真と同じだった。 何も変わっていない。 ただ少し、落ち着きが増したか? 学生の頃は、浮ついた雰囲気の抜け切らなく、いつも慌しい奴だった。うるさい奴だとしか感じたことがなかったが。 年をとった。あれからだいぶ経ったんだ、年もとるさ、僕も。 相変わらずだ。 相変わらず、僕達の間には大きな溝がある。 相容れることのない大きな溝だ。 なんだ。 怒っているのか? そんなことは当たり前だ。 ウィーズリーは親友と言う名のハリーの一番の信望者なんだ。魔法界でもそんな扱いだ。怒るなんて当たり前だ。 僕がウィーズリーだったら、こんなもんじゃ済まない。僕だって、ハリーの相手は僕じゃ駄目だと思っているくらいなんだ。 「なに? 二人とも知り合い?」 ああ……声が遠くに聞こえる。ハリーの声なのに。 なんて嫌な気分だ。 血液の中に漆黒のインクを注がれて、それが身体中にじわじわと巡っていくように。 気持ち悪い。 僕が黒くなる。 暗い。 目の見えなかった時よりももっと暗い、僕がマルフォイの家にいた時みたいに、暗くて冷たくて、荒涼と誰もいない。何もない。僕が必要とされていない感じ。だから僕は温度を下げる。暖かい温度が得られないから、自己保持のために僕の温度をさげる。 愛されると暖かいんだ。愛されると、温度を高くしていても、供給されるけれど、愛されないと、必要とされないと生きていくのに必要な温度が得られないから。だから、冷たくしないと僕が活動できなくなってしまう。 だから……。 「知り合いって……何を言ってるんだ、ハリー。こいつはマルフォイじゃないか! なんでお前がここにいるんだよっ!」 ウィーズリーが僕の襟を掴んで揺さぶっているのが、苦しい。 それでも僕は他人事のようにそれを見ていた。 どうしようなんて、もう考えられない。だってどうしようもないじゃないか。僕にはどうすることもできない。 ウィーズリーは正しい。 僕はマルフォイだ。例え家が断絶され、僕がその名を名乗れなかったとしても、良くも悪くもなくそれはただの事実で変えられない。僕が僕を終わらせない限りは、僕はマルフォイなんだ。僕がいる限りその家の名前は続く。 「ニコラス?」 ハリーの声がする。ハリーの声すら遠い。違う、僕はニコラスじゃない。僕がそう名乗ったけれど、僕はニコラスじゃない、ドラコなんだ。 僕がここにいて、それでいて僕の中から追い出されてしまったよう。遠くから……傍観すらできない疎外感。 ここにいるのは僕なのに、誰か違う僕が僕をとって変わろうとしている。 僕を追い出さないで。 まだ僕はハリーのそばにいたいんだ。 冷たく、指先が冷えていく。 ハリーが僕にくれたあの光に溢れていた世界が、氷のように冷えて固まる。光ったままで凍って固まる。僕が触れることすら叶わない。 「ドラコ・マルフォイだ」 そう。 僕はニコラスなんかじゃない。 ハリーにずっと呼んでほしかった僕の本当の名前。僕は教えなかった。 嫌われたくなかったから。 ハリーに嫌われるくらいなら、名前なんて要らない。なんて呼ばれても構わない。呼ばれなくてもいい、近くにいることさえできれば。 ハリーに嫌われたくないんだ! ああ、でも僕は嫌になるくらいにマルフォイなんだ。 どんどんと冷えていく。 指先が冷たくなっていく、背筋を冷や汗が伝った。 感情が凍る。 「マルフォイ、お前、ハリーに取り入って何を企んでいるんだ」 何にも企んでいない。 ただハリーと一緒にいたいだけなんだ。ハリーのそばにいたい。ハリーの隣を誰にも譲りたくない、ただそれだけなんだ。 そんなこと言っても、一体誰が信じる? 僕はマルフォイで、闇で、罪人で、ハリーは英雄で。 誰が僕を信じる? 「さあな」 最後の僕との思い出は、綺麗なものが良かった。ハリーが幸せになることを願っています。こんな言葉は別れには似合わない。誰が信じるんだ、僕がハリーを好きだなんて? 「お前、まさかマルフォイが潰されたのはハリーのせいだとか思い込んで、ハリーを陥れる算段でもしていたんじゃないのか? ハリーはお前のライバルだったし、それ以上にお前は僕達魔法界全体の敵なんだから」 馬鹿じゃないのかと思った。だって、僕はずっとハリーを見ていたんだ。ずっとはりーが好きだったんだ……。 ああ、そう。 でも、きっと誰もがそう思う。 ハリーだって、僕に恨まれていると思っていたからなかなか名乗ってくれなかったんだし。僕は信頼されない、信用にすら値しない。 学生の頃の僕を覚えているのであれば、当然だ。 あのころの僕は、僕である自覚よりも、マルフォイであるプライドしかなかった。それが無くなったことに、僕が復讐したいと考えるのは当然のことだ。 「ウィーズリーのくせに勘がいいな」 僕は、こうやって喋っていた。冷たい。身体の中が凍るようなんだ。それでも笑顔を作ることができる。笑顔なんて、顔の筋肉をひきつらせればそれでいいんだ。 「ドラコ……」 ハリーが、僕の名前を呼んだ。 ハリーの声で僕を認識するための発音が聞こえた。僕が求めていた。 呼んで、ほしかったそうやって。僕の名前を呼んで、僕だと認めてほしかった、僕を好きになってほしかった僕はハリーしか要らないんだ。 本当なら、涙が溢れるのだろうけれど……僕は凍ってしまったんだ。何もできない。喜怒哀楽の感情表現は苦手だった。その場に相応しい表情を顔に張り付けることが得意だった。 ずっとハリーに憧れていた。 学生の頃は立場もありプライドもあり、その事実にさえ気付けなかったけれど……僕はずっと。 笑ったり、怒ったり。重たい使命を背負わされているのに、とても自由で。 僕はずっとハリーが好きだった。 ハリーに、僕を見てほしい。 僕の名前を呼んで、僕を認めて。 ハリーの僕を呼ぶ声が、僕を喜びに震わせる。陶酔してしまいそうだ。 そう、僕はドラコ・マルフォイだ。 070806 → |