36(H) 彼はロンに襟首を掴まれて、それでも相手を煽るような不敵な笑みを浮かべていた。 僕は彼のこんな表情を見たことがないはずなのに。 僕が嫌いだったあいつのいつもの笑い方。僕は覚えている。その時の不快感を覚えている。 それでも、知っていると思った。見た、事があった気がした、とても彼の顔に馴染んでいたんだ。僕の嫌いな表情なのに。今とても嫌な気分だ。 「……ドラコ?」 不思議。 その名前は僕に心地がいい。 それなのに、頭痛がノイズになって僕の邪魔をする。その理由が黒く塗り潰されている。 何で? でも、つまり僕は知っているということ? わからない、だって、覚えていないんだ。 「お前は確か目が見えなかったはずじゃないのか? そういう罰を受けたんだろう? なんで目が見えているんだ?」 ロンが、そう言って彼を責めていた。何、それは? 君は目が見えなかったの? 僕は声を出すことを忘れて、彼に問いかける。目が見えないって? どういうこと? 僕は、今全てから置き去りにされている。何にもわからない。どういうこと? 「…………」 「答えろよ!」 ロンが頭一つ分小さな彼の身体を、掴んだ襟元で揺さぶっていた。体型も違うから、彼は揺さぶられるままになっていた。抵抗をする気はないようだったし。さっきから、僕の嫌いな酷薄そうな笑顔は消えていなかった。 ねえ、やめてよ、ロン。僕の大切な人なんだよ。 彼は、抗議の声すらあげなかった。上げられなかったのか……声を出す感覚を思い出せない。 「まさか、お前がハリーの記憶を消して、恋の妙薬でも飲ませて、目が見えなくなる呪いを解いてもらったとか……」 恋の妙薬、そんなものは飲んでいないよ。 だって一目惚れなんだよ。初めて見た時から僕は彼が好きなんだよ。そんなものは必要ないんだ。 もし、そんなもので彼が好きだというのなら、嫌だ。そんなもので彼を好きになりたくない。なんとかしてその効力を消して、それでも僕は彼に恋をするよ。必要ないよ。君が存在するだけで、僕は君に恋をするんだ。 どっちだって同じだよ。 僕は彼が好きなんだ。 ねえ、目が見えなかったの? そんなことは知らない。 僕は君の事を何も知らない。 君がもし呪いで目が見えなかったとしたら……それを治したのは僕じゃない。 誰が? もし彼が闇に与していたとしたら、本当はアズカバンにいたはずで、それでもそれを免れたのだとすると、与えられた罰は簡単な呪いではなかったはずだ。闇に与していた事実だけでも、重い罰を与えられるはずなのだから。 解呪を専門にしている魔法使いか、よほど魔力の強い魔法使いでないと、魔法省のかけた呪いは解けないはずだ。 魔力の強い魔法使い……例えば僕。 僕は現存する魔法使いの中で一番魔力が強い、それは自負している。繊細な解呪の魔法は得意ではないが、それを凌駕する魔力がある。 僕が? 僕が君のために何かをしたの? 君はそれで喜んでくれたの? 君のためになるなら、なんだってしてあげたいんだよ。 君が望むことはなんでも叶えてあげる。君の笑顔を見るためならなんだってできる。 闇は、僕の両親の敵で、僕の敵で、世界の敵なんだ。 僕が嫌いだったスリザリンのあいつも闇だったんだ。いまさら…… 「マルフォイ、お前のことだ、家がなくなったのもお前がこうやって罰を受けているのもハリーのせいだとか思っているんだろう?」 僕のことを……… 否定してよ。 君に嫌われたらどうしていいかわからないよ。 君に嫌われたら僕は生きていけない。 否定して。 「ああ……そう。それがいい」 彼が、自嘲気味に呟く。 それでいいって? 何で、否定してくれないの? 君が、僕に君の事を話したことはほとんどなくて……名前だって、本当の名前なんか教えてくれなくて……。 僕が信じていた君の話をしてくれていた時もこんな風に投げ遣りだったけれど。 それでいいって……一体どういう意味だよ! 君だったら、何でもいい。 君の事はすべて知りたい。 何で、君は何も教えてくれなかったの? 君の何が本当なの? 君の何を信じればいい? 「ドラコ………」 僕が、彼の名前を呼ぶ。 これが君の本当の名前なんだね? 「………ハリー」 「君は………僕を騙していたの?」 怖くて。訊くのすら、怖くて……訊かないことも怖くて、答えはもっと怖かった。 騙されていた。 僕は彼に騙されていた。 彼がついていた嘘を真実としてのみこんでいた。 だって、ロンは嘘をつかないから。だから、僕の親友なんだ。 ロンが嘘をついている? そんなことは、ないはずだ。だって今までに一度もなかった。 「……ハリー、僕は」 「何で、嘘なんか……」 「………」 彼は、僕から顔を背けた。 少し苦しそうに、一瞬だけその綺麗な顔が歪められた。 そして、すっと、笑顔になる。 笑っているのに………それでいて無表情。何を考えているのか少しも読み取れない。 「ポッター、お前は本当に簡単に騙されるんだな」 喉の奥の方を鳴らして、彼は笑い出した。 ………ドラコ? 何で? 「まったく、簡単に騙されて、いい気分だった」 「……君は」 「滑稽だな」 ああ……。 君は、僕の好きな人なんだ。 君は僕が一番大切にしたい人なんだよ。 今までの君のどこが嘘なんだ? 僕の隣で笑っていてくれた君のどこが偽りなんだ? だって君は本当に綺麗に笑ってくれていたじゃないか。 僕を裏切ったの? 君が闇だったから、その復讐のために? 「ハリー、こいつはこう言う奴なんだ! わかっただろう」 ロンが乱暴に彼を突き放して、彼はそのままソファーにぶつかって、床に力なく座り込んだ。彼は、それでもまだ笑っていた。 こう言う奴……。 本当に綺麗な笑顔だったんだ。 世界から祝福を受けたような、優しい顔だったんだよ。 その笑顔で……。 酷い。 なんて酷いこと。 だって僕は本当に君が! 「僕はなんで………君なんかと友達だったんだ?」 記憶をなくす前、本当に君が僕のそばにいてくれたの? 僕は、それでも君を好きだった? わからない。 「お偉いな、英雄殿は」 ふんと、鼻を鳴らして。 ああ、僕は覚えている。 僕はちゃんと覚えている。 ………ドラコ・マルフォイだ。 あいつはこうやって、よく僕を馬鹿にしていた。大嫌いだった。 僕が初めて君を見た時の涙も偽物なの? 試合で勝った時、喜んでくれたのは嘘なんだ? 君は僕に最近の家に帰ってからの僕の記憶を封じ込めて、それから僕に恋の魔法をかけて、僕に復讐するためにここにいたの? それは、違う。 そんなはず……。 「一つだけ訂正するが……お前が僕を忘れる以前は、ハリー、お前と僕は決して友人なんかではなかった」 ………。 僕は……騙されていた。 こんなに、酷い。 僕は本当に君が好きだった。 「そうだろうね」 ドラコ・マルフォイの本性を知っていれば、過去の彼を思い出すことができていれば、僕は彼を愛しく思えたかわからない。 でも、それでも。 「ポッター、お別れだな」 彼は済ました動作で立ち上がり、僕に優雅に手を差し出した。 僕は、その手を払いのけた。 0708 あーあ。 → |