31(H)














「………………」

 ロンは、硬直してしまったままだ。


「言わなかったけどね」

「………………」

「ロン?」

 口から吹き出した紅茶はだらしなくまだロンの口元を濡らして、僕は硬直しているロンに代わってテーブルを拭いた。

「ああ、そう」

 ようやく出した声は溜め息と一緒に吐き出された。今日ここに来てロンは何回溜め息をついているのだろう。それを出させているのは僕なのだけれど。

 想像通りの反応。


「ハリーがそれで良いなら良いんじゃないか?」

「なんか投げやりじゃない?」

 ナプキンで、ようやく口元を拭うことができたロンが、僕から視線を外した。呆れられたのはわかるけど、ちょっとショックだな。

「まあ、僕にはそういう性癖がないから、なんとも言えないけどさ……」
「僕だってないよ。相変わらず女の子が好きだよ」
「え、だって男なんでしょ」
「ニコラスは特別」

 特別なんだ。あんなに綺麗な人なんていない。きっと心も綺麗なんだ、僕は無条件にそう信じている。別にそうじゃなくてもかまわないけど。僕はニコラスならなんでもいいんだ。
 彼を手に入れることさえできるのならば、きっと僕はなんだってする。

「よっぽど女みたいな外見なんだ?」
「いや……さすがに見た目は男だよ。女の人の格好も似合うと思うけど」

 きっと女性の服装をさせても彼ならば似合うと思うけれど、別に女の人として彼に恋をしたわけではないのだから、勿体無い。今のままが一番綺麗だ。

「まあ……ハリーが幸せになるんだったら、この際男でも僕は祝福するよ……」

 口ではそう言っているけれど、ロンは顔に出るから、すごく複雑な表情でそう言われても、僕は何度目かの苦笑をせざるを得ない。本当に想像通りの反応が嬉しくもあり、やっぱり少し寂しいような……ロンの方もそう思っているのだろうけれど。

「僕が好きなだけで、彼は僕を友達だと思ってるんだよ」
 僕を、好きだなんて言ってもらったことはないし。

「片想いなんだ。まあ、告白なんかできないよな」
「いや、もうしたよ」
「…………」

 もう、十回は越しただろうか、ロンの溜息は。
 つい、勢いあまって襲ってしまいましたなどと言ったら、ロンはもう口もきいてくれないんじゃないだろうか。

「いいよ、僕はもうなにも言わない」
「冷たいなあ」
「どうせ僕が何言ったって無駄だろ。今までだって僕の言うことを聞いたことないじゃん」

 それに関しては返す言葉もございません。僕は好きな人ができると、その人しか見えなくなるし。盲目的なんだ。ロンの言ったことはいつでも正しくて、後からいつも助言を聞き入れるべきだったと後悔するんだ。

 でも、今もしロンに反対されたって、僕はニコラスを諦める気なんて全然ないよ。

「会った事はないけど、僕は前にハリーが付き合っていた人の方がいいなあ」

「誰?」
「名前も教えてくれなかったじゃん。手紙で時々書いてあっただけだし。ハリーがちゃんとお付き合いをしている感じだったから、その人だったら僕は応援したよ」

 誰のことだろう?

「……いつ頃?」
「最近までじゃないか? 前に会った時だってそのうち紹介してくれるって言ってたし」
「………」

 ロンとはずっと会っていないけれど、ロン達に子供ができてからの話で、その前までは僕は休日が合えばそこそこ頻繁に会っていた。
 子供は今一歳。

 最後にロンに会ったのはだいたい一年前。

 僕の彼に関する記憶が無いのはどのくらい前から?
 僕は、ロンに送った手紙の内容まで覚えていない。

 それは、彼なのだろうか……。僕が思い出せない空白の部分は、一年前にもつながると思う。チームメイトも、僕がもう2年もお付き合いをしているってことになっているのだし……。

「僕はその人と付き合ってたんだ?」
「それも忘れたの?」



 僕は彼と付き合っていたのだろうか。

 彼の気持ちが僕にあったのだろうか……だったら、何でニコラスは僕に返事をくれない?
 それともニコラス以外に僕は他にも誰かを忘れている?

 それはない気がした。

 記憶が無いことには、確定ではないけれど、でも僕が僕の外見のまま他の人間に変わってしまわない限り、どんなに好きな恋人がいたとしても、彼に会えばその恋は終わることを確信している。そして彼に恋をする。

 どんな人でも駄目だ、僕はニコラスじゃないと。

 僕の恋人はニコラスだったのだろうか。

 ニコラスは僕のことを好きでいてくれたのだろうか。


 僕が忘れたから、怒っていて、だから僕の気持ちを受け入れてくれないのだろうか。


 だったら、いいのに。





 僕の希望。もし、本当はニコラスが僕の事が好きであれば、僕は嬉しくておかしくなってしまうよ。



「そのニコラスってどんな人?」
「とにかく美人」
「それ以外でさ。そんなに綺麗な人なら心の準備でもしておこうかと思ってさ。毎回けっこうハリーの恋人に会う時はドキドキするんだよ、本当に美人が多いから」
 それは、初耳だ。まあ、確かに僕の恋人になる人は何よりもその外見が重視されていたかもしれない……今思い出すと……。

「えっと……性格は少し我が儘な所もあるかな」
「へえ」
「身長は僕より少し低いくらいかな。凄く華奢な体型でさ。育ちは良いみたいで、見た目は貴族って感じ」


 僕はずっと誰かに彼を自慢したかったようで、困ったことに止まらないよ。家に帰るまで永遠とのろけてしまいそうだ。だって、喋ってもいいって言ったのは君の方だよ、ロン。ああ、でもきっと途中で嫌そうな顔をされるのだろうな。


「僕って髪とかあんまり梳かさないけど、そのまま外に出ようとすると、だらしないとかみっともないとか言って、時々は僕の髪をとかしてくれたりするし……最近は、白いシャツに黒の細身のズボンで、いつも身嗜みはちゃんとしているな。時々香水もつけてるよ。髪の毛はさらさらで銀に近いプラチナプロンドで、瞳の色はアイスグレー」

 僕は、彼のことを頭に思い浮かべる。
 笑った顔とか、怒った顔とか、拗ねた時の顔とか……。ああ、写真なんか撮らなくても、ちゃんと僕の頭に残っているよ。
 思い浮かべようと思わなくたって、いつでも彼が頭の中にいるんだ。


「あ、なんか嫌な奴の事思い出した」

「え?」


「ほら、スリザリンのさ」
「………?」

 いきなり、僕の話の腰を折る。もっと喋りたいのに、嫌なこと? 

「ハリーの天敵だよ。我が儘なお坊っちゃん。ハリーの好きな人と比べるわけじゃないけど、あいつもいつも香水つけてたし、プラチナブロンドで光彩の色がブルーグレーだったじゃん。よくハリーの頭がボサボサだって突っかかってきたよな……」
「ああ」

 そういえば……そんなこともあった気がする。とりわけ思い出したい思い出でもない。何でもないことに……スリザリンの僕の天敵は確かに身なりはきちんとしていたから、僕の身嗜みは虫唾が走るのだろうけど……いちいち喧嘩を売ってきて。頭がぼさぼさで笑われた事は数知れない。
 どんな、奴だったけ?

「あいつも外見だけは綺麗だったよな。凍りそうな感じがしたよ」
 顔は、思い出せない。
 記憶力はそれほど悪い方じゃないと思うのだけれど……。隣にいた巨漢二人ののっぺりした顔とかは思い出せるのに。

「そうだっけ」
「そうだよ、ハリーもいつも顔以外は全部ろくでもないとか言ってたじゃん。マルフォイのお坊っちゃん」
「顔?」

 顔を覚えていない。別に思い出そうとまでしないけど……でも、確かにそんなことも言っていたような気がする。どんな顔だったのだろうか……。さして興味を覚える話題でもないけれど……ニコラスのことと一緒に、そのスリザリンの嫌味なお坊ちゃんのことまで僕は忘れてしまったようだ。
 でも、あいつが言ってきた嫌味とか、けっこうすんなりと思い出せるのに、顔だけが思い出せない。

「顔は、綺麗だったよ。覚えてない? ほら、ドラコ・マルフォイ」

 聞いたことがある、と、思った。
 名前まで忘れてしまっていたようだ。
 できれば忘れたいと思っていたし……でも、こんな風にすっきりと忘れられるようなものなのだなとか、思っているけれど……本当にニコラスのことと一緒に、そのスリザリンの僕の天敵だった奴のことも忘れているのならば……もしかしたら他にも誰か忘れている人がいるんじゃないか?


「……ドラコ……」

 僕は、その名前を舌に乗せてみる。
 ドラコ、僕は、その名前に馴染みがあったように思えた。なんだろう……。なんで、ニコラスの顔が浮かぶのだろう。
 とても、僕の口に馴染んだ名前のような気がしたんだけれど……だって、僕の天敵の名前だろう?




「そう言えば今僕がいる部署で、アズカバン未満の罪人の管理をやってるんだけど、トップシークレットだから内密にお願いしますなんだけど、あいつ今ハリーの家の近くにいるんだよね。この前住所見ちゃってさ。うっかり会ったりしたら嫌だなあ」

 ドラコ・マルフォイ……。
 そんな、名前だったのだろうか、僕が覚えていない僕の学生時代のライバルだった嫌味な奴は。僕はあいつを本当に嫌いだったはずだ。憎しみすら覚えていたはずだったのに……こんなふうに綺麗に忘れられるものなのだろうか……。

「……」
「覚えてないの? ドラコ・マルフォイだよ」

 その名前は、僕の舌によく馴染んだ。

「あいつの事も忘れたの? まああんな奴のこと覚えていてもどうしようもないけどな」




 まあ……忘れていたって、大したことじゃない。















070723