2(D)


















 身支度をして、トーストとスクランブルエッグの簡単な朝食を用意した頃にハリーが着替えを済ませ起きてきた。
 昔と同じ。昔からハリーはこうだ、特に朝は。
 着崩すのがカッコいいと勘違いしていきがっているわけではなく、ただ単純に身嗜みに気を使わないだけのようだ。髪だって今日もぼさぼさ。
 髪型も放って置くとどんどん伸びて、ある日突然鬱陶しくなったと短くする。
 せっかく格好良いのに。もう少し気を使ってもいいんじゃないか?


「ハリー、ヒゲが伸びてるぞ」
「あー、ワイルド?」
「カビみたいだ」

 そう言うとようやく洗面所に向かう。放って置いたらもしかしてハリーは顔すら洗わないつもりじゃないだろうか……。
 体質か遺伝か両方か、朝は洗顔だけなので無精なハリーは僕を羨ましそうにしているが、別に僕だって髭が生えればちゃんと剃るぞ、きっと。
 テーブルに付いて待っていると、すぐにハリーがやってくる。早くないか? ちゃんと顔を洗ったのか? 今度顔の洗い方を教えるべきだろうか。

「ねえ、今日勝ったら僕の家に一緒に住んでくれるって本当?」
「ああ、そろそろ本の置き場所が手狭になってきたし」
「なんだよ、それ」

 あながち嘘でもないように聞こえてくれればいい。
 本は好きだからつい増えてしまう。目が見えない時も本を手放すことができなかった。読めるわけではないが、文字を音にして聞いていた。僕の知らない何かを頭に入れることが好きだ。それはもはや中毒の部類に入ると思う。実際、本当にもう本を置く場所がなくなくなってきている。

 物が多いことも好きだから、捨てることもできない。
 必要かと訊かれたら、別にそうでもないのだけれど。
 僕は広い空間が苦手なんだ。
 ハリーの家は広いから、一人でいる時にきっと寂しい気持ちにならないだろうかと……。
 ずっと広い家で育った。ホグワーツほどではないが、それでも家はあの頃は名高い旧家だったから。
 広い家。
 誰もいない家。
 手を伸ばしても、どこにも届かない。何も掴むことができないから。
 僕は広い空間が嫌いだ。
 僕がいるだけのスペースがあればいい。
 だからハリーの家は好きではない。

 そう、言ったら、きっとがっかりするだろうし。
 僕の家でいいって言われると思うから……僕だって、ハリーと一緒に住みたいんだ。同じ家にいる、それは僕だって憧れなんだ。


 昔家には誰もいなかった。だから、特にそう思うのかもしれないけれど。
 本当に誰もいないわけではなく、召使や父の執事や、家には誰かいたのだけれどそれでも、その気配はしなかった。待っていても誰も来ない。食事の時間になると、呼びに来るけれど、それでも呼ばれるだけで会話は無い。食事も、広い部屋で一人きりで……常に誰か部屋の隅に控えていたけれど……置物ぐらいにしか思えなかった。
 父も母もいるのか、出かけているのか、解らなかった。待っていても帰ってきても会えない。会えるのかわからないのに待っている苦痛。
 光も届かないような暗い家。
 僕は、ずっとあの家が嫌いだった。
 広い家は嫌いだ。

 だから僕がいる場所は、物でスペースを埋める。空間は少ない方が落ち着く。
 だけど。
 一緒に住みたいのは僕も同じだ。僕だってハリーと暮らしたいと思っているんだ。今とそれほど変わらないだろうが、それでも、同じ家に住むのは家族になるような気がするから……。
 僕の荷物を運ぶのは骨が折れる作業だろうが、それでもできる限りの時間は一緒に居たいと思っているのはハリーだけじゃないんだ。
 ハリーが帰って来るのなら待っていられそうだと思ったから。
 ハリーなら、ちゃんと僕の所に帰って来てくれるような気がしたから。信頼しているんだ。

 だから。


「じゃあ、今日は試合が終わったらすぐに帰るから、僕のうちにいてよ。明日から数日連休だしさ。それにドラコの部屋を決めなきゃならない」
「僕はお前が今日試合に勝ったらって言ったはずだが」
「心配しないでも大丈夫、僕が負けるわけないじゃん」
「………」

 まあ、最近のハリーが調子良いのは事実だし、あそこのチームにハリーのチームは最近連勝しているし。負ける要素はほとんど無いことぐらいはわかっている。僕だって、本当にハリーと一緒に住もうと決意したのだし……負けてもらっても困るんだけどな。

 引っ越しか。
 僕だってハリーがいる所に一緒にいたい……。
 けれど、どうせすぐには引っ越しなんか出来ないんだ。
 魔法省に申請しないと。
 僕はまだ罪人扱いだから、きちんとした申請をしないとこの町から出ることもできない。月に一度魔法省の職員が訪問しているし。住む場所を変えるのであれば、それなりの手続きとか必要になってくるんだろう。申請の間どのくらい待てばいいのだろうか。
 それをどうやってハリーに伝えよう。
 まあ、試合前にハリーの気分を重くさせることもない。僕がまだ罪人として扱われているという事実を、僕は隠しているから。少しでもハリーに良く思われたいんだ。変なところだけ、僕のプライドは残っていたから。それに、その事を知ったハリーが悲しむ顔を見たくない。

 帰ってきてからでもいくらでも時間はあるのだから。


「大丈夫、心配しないでよ、ドラコ」

 大丈夫……ハリーのこの言葉は大好きだ。本当に、大丈夫だって思う。何にも心配しなくていいよって、そう、言われている気がする。一番僕が安心する言葉。


 僕は、いつものようにハリーを笑顔とキスで送り出した。
 おはようと行ってらっしゃいのキスは僕から。
 いつもと同じ朝。
























 ハリーの家に来たのはこれで三度めだ。仕事も終わり、暗くなる前にハリーの家に向かった。

 もう一年近く……僕がまだハリーをニコラスとして認識していた頃から合わせると二年ぐらいの間、ずっと一緒にいるけれど、僕はあまりハリーの家に来たことがない。鍵は随分前に渡されていたけれど、使ったことはこれが初めてだ。馴れない場所は落ち着かない。

 試合はどうなったのだろう。
 そろそろ速報が届く頃だ。ハリーのチームの試合結果は速報で届くようにしてある。

 何もすることがない。手持ち無沙汰なので、早く速報でも届かないものだろうかとソファの上でぼんやりと天井を眺める。

 手を翳す。
 中指に、リング。
 シンプルなデザインのもの。中には「H to D」と。
 指の根元より関節の方が太いから抜けなくなってしまった。そう言ってあることに疑いを持っていないようだ。外すつもりなんかないから、それでいいんだ。できれば一生このままつけているつもりだ。ハリーが僕の隣りにいてくれる限り。


 高い天井。
 空が見えない広い空間は嫌いだ。出来るだけ、部屋を狭く感じたくて、扉は全部きっちり閉める。
 ハリーは本当にクィディッチにしか興味を持っていないようで、ハリーの家には何もない。優勝した時のトロフィーとかはあるけれど、そのくらいで寝室に服と……ほとんど僕の家で寝食をしているから、日用品すらあまりない。ハリーは物欲がほとんどないから。
 何もない。
 ここに住むのか。
 一番狭い部屋を貰おう。僕の荷物を運び込めば、少しは……遠慮してると思われるだろうか。
 居間が広いのも気に入らない。ローテーブルと大きなソファが二つ。それだけ。

 それにしても暇だ。本でも持ってくれば良かった。そろそろ試合も終わる頃だ。早く速報でも届かないものだろうか……。届いてすぐにいつもハリーが帰って来る。ハリーに直接試合の結果を聞くのか、速報が届いてハリーの前に知る事が出来るのか、僕はいつもどちらが先か自分の中で賭けをしている。速報でわかった場合は、勝ったら夕食にもう一品作る。帰ってきたら一番最初におめでとうって、言う。

 それにしても、まだ帰ってこないのだろうか。いつもだったら、そろそろ帰ってくる時間だ。
 いつも打ち上げで飲みに行ったりもしないで、試合が終わると真っ直ぐに僕の所に来るのに。延長でもしているのだろうか……それともチームの会議とかが入っていたのだろうか?
 まあ、何かがあれば遅くなるのはいつものことだけれど……。さすがにまだ帰ってこないと思うけれど……。
 慣れない空間だから落ち着かないんだ。

 クィディッチの試合があると、その速報が僕に届くようになっている。
 ハリーのことも気になるけれど、どちらかというとクィディッチのファンとしても結果は重要だ。
 もし僕とハリーに何の繋がりがなかったとしても、一度も会ったことがなかったとしても、僕は純粋にハリーが空を飛んでいる姿が大好きなんだ。ハリーが僕のことを知らなくても、僕はクィディッチの選手であるハリーのファンだっただろう。きっと目が見えなかったとしても。
 ハリーが空を飛んでいる姿は、僕の憧れた自由なんだ。


 コン、と窓ガラスが鳴る。
 フクロウが窓ガラスを嘴で叩いているのが見えた。
 試合の結果がわかる。


 僕は窓を開き、フクロウから速報を受け取る。忙しいようで、僕に渡すや否やすぐに飛び立った。
 僕は窓を閉めるよりもまず、速報を開く。
 勝ったのだろうか。勝ったのなら嬉しい。一緒に喜べるのが、もっと嬉しい。
 負けても、それでも構わないけれど、ハリーががっかりしていたら慰めてやらないと。ああ見えて負けず嫌いなんだ、負けたらきっとひどく落ち込んでいる。
 僕は速報を開いた。








【ハリー・ポッター、クィディッチ界の英雄 怪我で退場】























070515