19(H)














 突き放された。
 腕を払われた。

 その時から……。
 君が、好きなのに、拒絶されると思うと、動かなくなる、身体が。思うように喋れなくなる。

 ひどく、緊張するんだ。


 嫌われたくないから。

 嫌われたら。もう一度拒絶されたら、僕が耐えられなくなりそうなんだ。

 今だって抱き締めたくて仕方がない。抑えきれない衝動を押し込めるために、僕はがんじがらめになってしまう。
 口数が減る。

 うっかりすると、口から君への想いが零れてしまいそうだった。
 拒絶されたら……。

 僕は何をするかわからない。君に何をしてしまうかわからない。

 こんなに、好きなんだ。









 柔らかく穏やかだった二人の居間は、ぎこちない空間に変わった。空気に質量を感じるようになってしまった。

 あんなに笑う事ができたのに。
 君に、嫌われたくないから。それだけなのに、それがこんなにも、怖い。

 君が誰よりも愛しくて、君が誰よりも怖いんだ。


 朝、僕を起こしに来ることもなくなった。その前に僕が起きてしまう。君からの好意は、嬉しくて、そして切ないんだ。

「お早う」

 朝、僕がダイニングに下りていくと、彼はいつもソファに座っていた。

「お早う、ハリー……」



 そして、会話が終わる。

 彼が作ってくれた朝食を、食べる。彼は僕を、見ていた。それでも、何も言ってくれないんだ。







 それでも、受け入れてもらえなくてもいいと、そう思った。
 君に伝える事ができればそれが幸せだと思っていたけれど。


 伝える事が、怖い。


 君に伝えて………。






 せめて、伝えなければこのままでいることができる。君が僕の家にいてくれて、毎日君を見ることができる。君の存在を確認することが出来る。

 それで……いい。





 そう、思った。


















 僕が帰ると、ニコラスはソファに横になり寝息を立てていた。


 めずらしく、僕の服を着ていない。
 白いブラウスに細身の黒のパンツ。

 やっぱりこういう服の方が彼にはよく似合う。買って来たのだろうか、前に着ていた服……僕が頭を打って、帰ってきたときも彼はここで寝息を立てていたけれど、その時に着ていた服とは違うようだったから。


 どうせ、今は僕達に会話などないのに、それでも彼は僕が帰って来るまでこうやって遅くまでリビングで待っていてくれる。

 僕の気持ちを伝えても良い?
 君は拒絶しないでくれる?
 それだけでいいんだ。
 あとは、ずっとこのままでいいんだ。


 僕は祈るような気持ちでソファの前の床に膝をつく。


 さらりと、髪に触れる。


 前髪が流れる。


 綺麗だ。


 このままキスをしても、彼は起きないだろうか。
 僕の気持ちを君に捧げたい。

 彼が寝ている時にキスをした。前は気付かれなかった。
 今度も大丈夫だよね。

 あの時触れた唇は、柔らかかった。思い出すだけで身体中に熱いものが回る。


 君が、欲しいんだ。


 白い肌。


 シャツのボタンが上の二つまで外れていて、首が広くのぞく。白い肌。陶器のように……肌理のない……











 ………!







 見間違いであれば良いと思った。








 見間違いだと信じたかった。


 僕の見間違いだよ、きっと。





 ねえ、その首の赤い痕は何?







 頭の中が赤くなる。




 それは………。


 ニコラスの首に赤い鬱血した痕。
 これは……。


 虫に刺されたわけでも自分で引っ掻いたようなものでもない。

 ………誰が……。




 誰?






 それは、誰に?





 目の前が赤い。


 君しか見えない。

 君だけが見える。





 僕は………。






 君の唇に口付けていた。

 そんな優しいものではなかった。

 彼を食べてしまうくらいの勢いで、僕は彼の唇に噛み付いていた。

 何か、考えることができない。目の前が真っ赤。





 さっきまで僕は君に想いが伝わればそれでいいだなんて考えていなかったか。

 僕は偽善者か慈善家か?

 僕の気持ちを彼に伝えることが出来れば、君の気持ちがどこへ向いていてもいいだなんて、そんなふうに考えていたのか?

 反吐が出る。

 君が、ここにいる事実と、君の心が僕にない真実。




 その、痕は誰の?
 誰が君の肌に触れたんだ?

 許せないと、思った。


 何を?
 誰を?


 この町に君が住んでいるのは、僕がいるからではなく、その誰かのためなのではないか?

 本当は僕は君のことを知らなくて、このリビングで君が寝ていたあの時に初めて君と会ったのではないか?


 僕の記憶の黒い部分に、本当に君はいるの?


 僕は、キスをしていた。


 気がついたら彼の唇を貪るように、キスをしていた。


 起こさないようにだなんて……そんな甘く優しいものではなかった。彼に向かう気持ちは、そんなに優しいものではないと、自覚した。

 好きなんだ、君が好きなんだ。


 僕を見て。
 その目に僕を映して。


「……んっ」

 彼の瞳が開いていたのが分かった。長いまつげが動いて僕の頬に触れたから。


 キス。


 僕はこうやって、この欲望を剥き出しにして彼に触れたかった、ずっと。優しい感情ではなかった。好きなんだ。優しくしてあげたいって……僕の事好きになって欲しいから、それはただの下心に過ぎないんだ。


 長いキスを終えると、彼は呆然とした、それでも赤く潤んだ瞳で僕の瞳を凝視した。僕の瞳には君が映っているのが見える?




「……ハ、リー」




 彼の指先が僕に触れた。

 そっと触る。


 ねえ、君が好きなんだよ。だから君も僕を好きになって。そんな我が儘は通用するはずがないことはわかってるけど、どうしようもないんだよ。気持ちが君に向かって流れていくのが止まらない。


「ハリー、どうしたんだ?」

 どうしたんだろうね。

「君のこれは何?」


 彼の白い首についた赤い鬱血した痣。

 生々しい。

 僕のものではない証拠。

 彼の首についたその場所を指で押す。千切り取ってしまいたいくらいなんだよ。

 彼の顔が青褪めていくのがわかった。

 心当たりがあるんだね。嘘でもついてくれたらよかったのに。ついてくれたら、少しは僕に対する気遣いを僕は感じてあげられたのだろうけど。

 でも、結局同じか。どうせ、もう止まらないよ。


 君が、好きなんだ。













 僕は、そのまま彼をソファの上で犯した。


 彼は、泣いていた。

 泣いていたけれど、抵抗らしいものはなかった。

 どこを触れても反応をして、僕が彼の奥まで入っても彼は僕を受け入れて、その腰を自ら動かした。
 僕が中で動くと、彼も感じて勃起させていた。




 きっと初めてじゃないのが、わかった。



 その開かれた身体は、誰のためのものなのだろう。






 彼の中に吐き出して……身体を繋げたまま、僕は泣いた。


 ニコラスは何も言わずに、ぼんやりと天井を見ていた。



























070622
誤字:僕のものではない証拠→僕のもので花井昌子   ……誰だっ!?
この頃、暗黙を連載していたので……暗くてすいません。こんな予定ではなかったんです!!