18(H)















 今日、僕は君に想いを伝えようと思うんだけど、どう思う?







 ミーティングもすぐに終わり、インタビューも適当に終わらせた。髪型がいつもと違い整っていることでカメラマンはたいそう上機嫌だった。表紙にしてくれるらしいけど……それは勘弁して欲しい。


「ハリー、今日練習のあとみんなで飲み会あるけど」
「ごめん、今日は用があるんだ」
「今日もだろ?」

 最近……ずっと僕はいつも何をしていたんだろう。

 きっとそこに君がいるはずなのに。

「どうせブロンドの彼女だろ? ハリーにしては長いよな。もう二年以上じゃないか?」

「…………」


 僕の記憶は失われてしまった。
 チームメイトに言ったら心配されるだろうから言えないけれど……。

 僕は、二年も?
 もし彼じゃなかったら誰なんだろう。もし僕が好きな人がニコラス以外に別にいて、その人と僕がずっと一緒にいたのだろうか……だとしたらその人のことも忘れてしまったけれど。
 でも、誰が横にいたって、僕は必ず彼を好きになったと思うんだ。
 どんなに深い愛情を注いだ相手がいたとしても、彼に会ったら、僕はその気持ちの全部を彼に向けたと思うんだ。


 ずっと君が好きだった?
 僕はその間、君の隣りにいた?


 思い出せないんだよ。
 悔しくて涙が出そうだ。もっと、君のことを知りたいのに。

「ねえ、僕の恋人の事をどう思う?」

 記憶をなくしただなんて言ったら、心配されてしまうから……。

「なんだ、のろけか? 会わせてくれた事ないだろ。ブロンドの絶世の美女だとしか知らないよ」


 ……きっとニコラスのことだろうか。


 僕は君を本当に手に入れていたのかな。






 今日、彼に気持ちを伝えようと思う。
 君は受け入れてくれるだろうか………。















 夕方、まだ陽の沈む前に僕は家に着いた。


 いつも彼は、ソファでクィディッチの雑誌や難しそうな本に目を通しながら紅茶を飲んでいた。
 僕が帰ると立ち上がって「お帰り」と言ってくれる。

 そのたびに僕がキスを送りたくなっている事に彼は気付いているだろうか。


「ニコラス?」


 今日は部屋の明かりも付いていなかった。

 気配が無い。


 ………いない?


 今までにこんな事はなかったから。

 いつも僕がいない時に何をしているのか、知らない。

 一日中家にいるようでもない。食材の買い物には行くようだけれど……。
 食費として預けたお金にも手を付けていないようだ。

 いつも、彼はどこで何をしているんだ。




 僕の黒く塗りつぶされた記憶は、だいたい二年ほど前から。

 きっとそこに彼はいる。

 それなのに、ずっとこの家に住んでいたわけではないようだ。

 僕が頭を打って君を記憶から失ったその日から。
 部屋だって決まってなかったし、君の私物が何にもなかったじゃないか。

 彼が家にいるようになってから、まだ一か月。
 それだけで彼の本が増えた。雑誌も増えた。ティーセットやケトル、鍋とか……。
 ほとんど何もなく生活感の乏しかった部屋には僕の求めていた生活が溢れ出した。家がようやく動きだしたように。
 そして、僕からのプレゼント。クッションやブランケットや置物や……彼が気に入りそうな物を見つけては僕が買って帰る。

 この調子では、部屋がすぐに溢れてしまいそうだ。

 だから君が僕の家に住むようになったのは本当に最近のことだ、きっと。それは簡単に予想が付いた。


 君は、今までどこにいたの?
 僕は、本当に彼と一緒の時間を過ごしていたのだろうか。

 なんで、教えてくれないのだろう。


 名前だって、呼んでも時々返事をしない。しばらくしてから気がついたように振り返る。本当に君の名前なの?


 僕を信頼してくれているの?


 君は、誰なの?


 本当に僕の塗りつぶされた記憶に君がいたのだろうか……。




 彼のいない僕の家は広かった。


 どんどん、家の中が暗くなって来る。



 いつも僕が帰る時間。日によってまちまちだが、それでもこの時間には彼に会いたくて家に帰る。


 彼は、いない。



 このまま……帰って来ないのではないだろうか。



 そんな不安が脳裏を過ぎる。



 家出したって……それは本当なの?

 君はなんでここにいるの?

 ずっと僕の家にいてくれるという約束はしていない。

 荷物は減っていないけれど、初めて会った…僕が君を忘れた日に着ていた服だけだから……本当に君の持ち物なんかはこの家にはないんだ。
 君が身に着けている指輪くらい。



 君は………。


 早く、早く帰って来てくれよ。


 心配なんだ。


 散歩の途中で事故にあったとか、どこかで倒れてしまったとか……。

 不安なんだ。
 君がいてくれないと。


 どうしよう。


 探しに行った方が良いだろうか。



 今日、君に想いを伝えようと思っていた。

 ずっと考えていたけれど、今日、君が好きだと伝えようと思っていた。別に彼からの気持ちが欲しいわけじゃない。もちろん彼が僕を好きでいてくれるならばこんなにも嬉しいことはないけれど……。別に、僕を好きじゃないならそれでいい。ただ、君が近くにいて欲しい、僕のそばにいてくれて、それだけで僕は本当に幸せなんだ。
 ただ、それを伝えたかっただけ。




 もし、それで彼が僕を重荷に感じたら?


 僕が邪魔になって出て行ってしまったら?

 僕には彼を束縛する権利なんかどこにもない。

 彼が僕の家にいる、その代わりに食事や洗濯などの家事をしてもらっている。頼んだわけではないけれど、住み込みのハウスキーパーみたいだ。別にそんなことしたくないならしなくていい。ただ近くにいてくれればいい。僕だって料理も掃除も洗濯もできるんだ。何もしなくてもいいからただ僕の隣にいて。
 彼が僕を邪魔になれば、彼はきっと出て行ってしまうだろう。彼は……僕の家に住むニコラスは、捕らえどころがなかったから。


 どこで、何をしているんだろう。

 今日は早く帰って来るって言っておいたのに。

 僕が早く帰るからと言って、彼が家にいる必要はない。
 そんな約束なんかしていない。


 すぐに帰って来る、待っていれば。


 別に、僕が彼を束縛する権利はないし、彼をつなぎ止めて置く事もできない。
 もし僕が出て行けと言ったら、そのまま出て行ってしまいそうだ、彼は僕を必要とはしていない。僕はこんなにも君が大切なのに。


 どこに……。


 なんでまだ………。



 なんでいないの?










 少し探しに行こうかと思って扉を開けた。

 家にじっとしていることなんか出来なかった。

 君がいない家は僕の帰る場所じゃない。早く君のそばに帰りたい。


 乱暴に扉を開くと、そこにニコラスがいた。


 今帰って来たという感じではなく、玄関の前で立ち尽くしていたようだった。


 何をしていたの、こんな時間まで。





「お帰り、遅かったね」




 帰って来たら、いつもニコラスは笑顔で迎えてくれていた。
 それだけで疲れなんか吹っ飛ぶんだ。
 僕だってそうしたいんだけど。


 ぎこちない顔しかできなかった。


 君が、帰って来てくれた。
 その安心と……。



 それでも、すごく心配したんだ。
 このまま君がいなくなってしまう気がしたんだ。
 僕に黙って、何をしていたんだ。
 そんな怒りをぶつけそうになる。

 僕には怒る権利なんかない。
 


「………ハリー」

 ニコラスが、ようやく顔を上げたけれど、僕の目を見ることはなかった。


「何してたの?」



 本当は、怒鳴りつけてしまうところだった。僕が怒る必要はない。僕は、彼を束縛する権利なんかない。

 優しく声をかけようと思ったのに。



「…………」

 僕の声は、予想以上に冷たいものになっていたためか、ニコラスは黙り込んで下を向いた。

 僕はあまり怒ることが少ないから、機嫌が悪い時は本当に怖いんだって昔親友に言われたことがある。

 君を怖がらせるつもりなんかは無いよ。
 ただ、僕を好きになって欲しいだけなんだ。


「何してたの?」


 それでも、君が何をしていたのか気になるんだ。

 どこで何をしていたの?


 それとも、誰かと一緒にいたの?

 そう、思ったら………。




 それは、衝動だった。


 そう、思うよりも先に……。


 僕は彼の手を掴んで、力任せに家の中に引き込んだ。

 家の扉を占めた音が大きかった。予想以上の力が出ていた。



 冷たい。
 握った手はとても冷たくなっていた。
 こんなにも冷たくなるまで。
 なんで帰って来ないんだ。
 僕はずっと待っていたんだよ。




 乱暴な、動作。

 玄関の中に僕を引き入れて、ドアを強い音を立てさせて閉めた。





 そのまま……。


 君が、どこかに消えてしまう恐怖。

 何も言わないで、君が僕の前からいなくなってしまうような……。


 欲望でも欲求でもなかった。
 言い知れぬ恐怖。


 いなくなってしまう。



 その前に僕が、どうにかして君を捕まえておかなくては、と。きっとそう思ったのだと思う。

 君を抱き締めようとそう思ったのは、衝動だった。

 




 ニコラスが……。


 僕の腕を払った。



 きっと僕が何をしたかったのか理解した上で、彼は僕を拒絶した。






「……ハリー、済まないな。散歩をしながら今夜のメニューを考えていたら遅くなった」



 嘘。



 そんな嘘、つかないでよ。
 本当は僕に黙って何をしていたの? 僕に言えないこと?




 君は、僕を、拒絶した。





 泣き出してしまいそうだ。
 ここで泣いたら同情してくれる?


「心配してくれたのか?」


 その時に、ようやく彼が僕の顔を見た。







 僕はニコラスの顔を見れなかった。



 君が、好きなんだ。






「………別に」










070615