15(H)















 指輪は、受け取って貰えなかった。 



 無理やり押しつけたけれど、次の日のニコラスの指はいつも通りにシンプルな指輪が一つ。


 誰から貰ったの?



 誰か、彼に想う人がいるのだろうかと思うと、胃の、もっと下の辺りに鉛のような重い何かが生み出される。重くて、ずしりと。とても嫌な気分だ。

 僕が指にはめていた物とデザインは似ていたが、あまり特徴のないシンプルな指輪だったから……確定ではない。色は銀色だったけど、シルバーなのかホワイトゴールドなのかプラチナなのかなんて僕にはわからないし。

 彼の指に光る指輪を贈ったのが、僕だったら良いなと思う。
 でも僕は、その時の僕を知らない、


 嫉妬。

 しているのがわかる。

 誰に?


 きっと、彼は誰か想う人がいる。それは感じられた。だって、その指輪を見つめた時の表情はとても優しいものだったから。気付いていて、わざと? ちょっとシニカルに口の端だけを持ち上げるようないつもの笑い方じゃなくて、もっと、ふんわりと、解けてしまいそうな柔らかい笑顔で……

 誰だ? 誰なんだ?


 僕だったら、君に触れても良い?



 でも……もし、違ったら。

 彼がもし僕じゃない誰かを好きでいたら……。
 僕の想いのまま君に触れたりしたら、きっと気持ち悪いと思われてしまいそうだから。



 今せっかく、君がここにいてくれているのに……僕の家で、君が笑ってくれているのに……いなくなったら、僕のこの家はきっと僕には広すぎる。



 最近、ニコラスが僕との関係について教えてくれた時に一番初めに言った冗談。

『ハリー、お前はゲイで僕はお前の恋人だ』

 ニコラスは冗談だと言った。僕もその時は冗談だと思った。

 あれが、本当だったら良いのにと……最近よく思うんだ。







 僕は少しでも多くの時間を彼に費やしたくて、最近どこの飲み会にも参加せず、友人ともあまり遊ばずに真っ直ぐに帰る。










「ニコラスはクィディッチが好きなんだよね? 僕の部屋に色々貰ったグッズとかあるよ」

 夕食後、僕はそう言ってニコラスを僕の部屋に誘った。僕の部屋に彼が来ると、部屋が明るくなる気分がするから好きだ。
 どんな事でもいいから、彼と少しでも長い時間一緒に過ごしたかった。



 僕が一人でいる時はぎりぎりに起きて慌ただしく着替えて出て行くけれど、彼は朝食をちゃんと食べられる時間に毎僕を起こしに来てくれる。彼は、着替えを貰うついでだと言っていたが。


 彼は僕の服で過ごす。
 ニコラスは細くて、上品な顔に僕のラフな服は合わないけれど、そんな小さなことでも僕を頼ってくれるのが嬉しい。


 今度服をプレゼントしよう。
 真っ白のシャツと少し光沢のある細身のグレーのスラックスとか似合うのではないだろうか。喜んでくれるといいけれど。指輪は、装飾品だから必要なかったんだ。服はあれば使えるさ、きっと。喜んでくれるといいけど。


 ニコラスは、棚に置いてある優勝杯なんかをしげしげと眺めている。
 彼が僕の部屋にいてくれることが嬉しい。
 僕の近くにいてくれることが嬉しい。



「アルバムあるけど見る?」

 クィディッチのチームメイトの写真とか、最近よく撮る。

 特に、僕が彼を忘れてから。この一ヶ月ぐらいで、写真が増えた。

 こんな風に、大切な人をこんなに簡単を忘れてしまうなら、証拠を残しておかないと、不安なんだ。

 もう二度と、忘れたくない。僕から、彼をなくしたくない。


 学生の時、僕の宝物は両親の写真だったことを思い出したから。




「写真、嫌いじゃなかったか?」

 ニコラスが不思議そうに僕を見ていた。

 クィディッチの選手なんかをやっているけれど、僕は目立つのが本当に苦手だから、写真は嫌いだと公言してある。それはどうやら有名らしく、選手としてはどうやら僕は有能な方だから、ファンも多くいるけれど、あまり写真は撮らないから、僕の写真が載った雑誌は売り上げが良いと聞いたことがある。少し嬉しいけれど、それでもやはり雑誌とかの写真は苦手なんだ。



「新聞とかはね。僕は見せ物じゃないって思うから。でも友達とかと撮るのは思い出を残すから、けっこう好きだよ」

 大切な時間と、その時の想いを保存できるから。特に魔法界の写真は、その時の思いのままでいてくれるから。

 君を、二度と忘れたくない。君が悲しい顔をした。でも、大好きな君を忘れてしまった僕も悲しい。

 思い出の片鱗すらない。きれいに……。
 だって、君を一目見たら忘れられるはずがないよ。


「知らなかったな、それは」
「今度一緒に撮ろうよ」

 本当は、これが言いたかった。
 ニコラスの写真が欲しかった。

 綺麗なニコラス。
 写真があれば君をいつでも見ていられる。

 君を残しておきたくて。会えない時間も君を持ち歩きたくて。

「すまないが、写真は苦手なんだ」


 あっさりと。

「………そう、残念。ニコラスは美人だから、勿体ないな」

 僕だって今まで写真は嫌いだったし、もし僕達が僕の失われた記憶の仲で仲が良かったとしたら写真の一枚くらいあってもおかしくないと思っていたけれど、彼が嫌いであるのならば仕方がないと思った。


「外見について言われるのも苦手なんだ、すまない」

 彼は苦笑混じりにそう付け加えた。

「そうなの?」
「ああ」
「ごめんね、気をつけるよ」

 彼の地雷がよくわからない。
 本当に綺麗なのだから、言われるのも慣れていると思ったけれど。こんなに綺麗な人、そうそういないから。僕が彼を好きだという欲目を引いても、本当に彼は綺麗なんだ。僕が出会った中では一番なんだよ。


 僕は棚からアルバムを引っ張り出して来て、テーブルの上に置いた。僕が座ると、その横にニコラスが腰を下ろした。

 とても、近い距離。
 僕の隣りに、君がいてくれる。

 体温が伝わりそうなほどの近い場所に君がいる。


「あ、こいつは別のチームだけど、ニコラスって名前なんだ」

 僕は心臓の音を気付かれないように、ページをめくる度にニコラスに早口で説明する。

 僕のことを少しでも知って欲しい。

 一番伝えたいのは僕の気持ちだけど。
 写真に写った人達を僕は一人一人説明した。
 ニコラスは、ちゃんと聞いていてくれた。僕のこと、もっと知って欲しい。

 時々肩が触れる。その度に僕は心臓が跳ねるんだ。君に触れるとこうなるんだ。

 また、肩が、触れた。


 すぐに離れるのかと思ったら………彼の体重が僕に預けられた。


「ちょっと、ニコラス?」

 僕肩に、彼の頭。

「ニコラス?」


「……………」


「ニコラス、どうしたの?」


 返事の代わりに、すうすうという、寝息が聞こえた。

 …………。

「寝ちゃったの?」


 寝息が、聞こえて来るばかりで。



 僕のそばにいて、こうやって眠ってくれると言うことは、僕を信頼してくれているのだろうか。


 動いたら起こしてしまうだろうか。



 どうしよう。
 起きてしまったら……。



 少しでも触れていたいんだ。こうやって、彼の体温を、彼の存在を感じていたいんだ。












 しばらく、ソファの上で僕の肩を貸していたが、そのうちに、ずるずると僕にもたれかかってきて、果ては僕の膝の上で彼は気持ち良さそうに寝息を立てていた。

 それが酷く嬉しくてしばらくそのままにしていた。彼は本格的に寝入ってしまったようで、僕が彼の髪に触れても彼は動かなかった。


 彼の髪は驚くほど柔らかく、救うとさらさらと指からこぼれた。
 彼は、気付いていないようで。
 きっと今ならキスしても気付かれないのではないだろうか。





 しばらくそうしていたのだけれど。

 僕は彼を僕のベッドに運んだ。
 本当は彼の部屋に運ぼうかと思ったのだけれど。

 少しでも近くにいたかったから。

 彼の身体は僕が予想していた以上に細く、そして軽く、暖かかった。
 纏う雰囲気は透明度が高く温度を感じさせないけれど、触れればちゃんと暖かい。



 彼の身体を僕のベッドの上に慎重に横たえる。降ろした時に彼が少しだけ身動じろいだ。

 僕はドキリとして思わず息を止めた。
 僕の呼吸すら彼の眠りの妨げになるかと思って……。


 それでも、彼はそのまま動かなかったから……。


 僕は彼の横に腰を下ろす。
 スプリングが軋んだが、熟睡をしているようで、僕は落ち着いて彼を見る事ができた。
 
 綺麗。


 こうやって動かないでいると本当に人形のようだった。整った顔立ち。
 さらさらとした光沢のある銀髪。
 白い肌。
 長い睫毛。
 赤い唇。


 唇。


 ふわりと柔らかそう。

 うっすらと開いた唇からは規則正しく穏やかな寝息が漏れていた。


 ねえ………


 本当の君を教えてよ。

 君は本当は………僕の何なんだ?


 僕が、彼を忘れる前にきっと彼の事が好きだったのは、簡単に予想ができた。
 今だってこんなに好きなんだ。
 僕の中に君がもっといっぱいいたら、どれだけ僕は君の事が好きだったんだろう。
 今までの僕は君の事を手に入れていた?
 今までの僕は君に想いを伝えることができていた?




 ねえ、君は僕をどう思っている?





 僕はそっと触れるだけのキスを彼の唇に落とした。





 僕が覚えているどんなものより彼の唇は柔らかかった。











070612