10(D)


















 大丈夫、そう言い聞かせる。






 大丈夫、ハリーはいつもの通りなんだ。ハリーがいなくなったわけじゃないんだし。笑ってくれるし、僕に優しい。

 ハリーがいない時は僕は呪文のようにそう繰り返す。

 時々、抱き締めてしまいそうになる、キスしたくなる。
 でも、ハリーがいなくなったわけではない。ハリーは幸せにならないと、だめだから。僕の気持ちを溢れさせてはいけない。ハリーだって、きっと迷惑だ。


 不自然でないように、気をつけて振る舞う。

 嫌われないように。でも、君の隣りにいるのは……いつか僕じゃなくなることを、僕は覚悟していた。

 覚悟はしているんだ、ハリーの子供はきっとかわいいから。


 でも
 まだ、僕はハリーの隣りにいたいんだ。








 君が好きです。













 僕はハリーを送り出した後、朝食の後片付けと掃除と洗濯物を済ませて自分の家に戻る。
 僕が何をしているのかを伝えていないし、ハリーはまだ僕を家出人だと思っているようだ。僕にとってもハリーにとってもそっちの方が都合がいい。




 自分の家に帰ると定期購読している雑誌や手紙が何通か来ていた。昨日はハリーが休みだったから、僕は家に帰っていない。

 一通は魔法省からのもので、来週あたりに定期訪問に来るらしい。僕は目が見えなくとも文字くらい読めるけど、この役人は丁寧に吠えメールでくれた、音は静かなものだったが。封を切ると、静かな男の声で内容を読み上げられた。

 ああ、その日は家にいないと……そして目にも呪いをかけておかないと、見えないふりはとても難しいから。

 ハリーに僕の世界を取り戻して貰った。ハリーが僕の呪いを解いてくれた。僕はハリーを見る事ができるようになった。ハリーの笑顔を確認できる。
 本当は僕を解放してくれただけで十分だったのに。

 ハリー、君は僕の英雄なんだよ。

 手紙は簡単な事項を読み上げるとさらさらと空気中に解けた。


 もう一通は封をされた押された蝋の形で、読まないでも分かった。
 いつもの手紙だから、僕はそのまま破って捨てた。







 僕が育てている青い薔薇の花は、最近少し元気がない。魔法薬を使って無理に通年咲かせているから、今は咲く時期ではないから仕方がないのかもしれないけれど。


 僕の日常は、あまり変わっていない。
 寝る場所と起きる場所が変わって、ハリーと抱き合って眠る事がなくなっただけで、あとは同じだ。

 何も変わらない。大丈夫。
 数日前、ハリーが指輪に気がついた。今まではめていた事すら気付かなかったみたいで、次の日にはその指から外れていた。
 確かにハリーが指輪だなんて、婚約もしていないのに、似合わないと思うけど。



 ハリーは、本当に僕を忘れてしまったんだ。








「ねえ、やっぱりその指輪さ、外してあげようか」

 今日は魚のホイル蒸しとパスタ。
 ハリーはいつも通りに美味しいって言って全部食べてくれた。始めからハリーには多く入れているのに、僕が食べ終わるよりも早くハリーは食事を済ませる。口にいっぱいに詰め込んで、時々そのまま喋ろうとして自分で慌てている。そんな食べ方も学生の頃から変わっていない。
 学生の頃から、僕は君の事が好きだった、きっと。こんなに覚えているんだ、僕達が啀み合っていた頃からずっと僕はハリーが好きだった。僕の中ではハリーが溢れているんだ。


 ただ、ハリーの中に僕だけがいない。

 僕は無理やり自分の皿に乗っている物を口の中に押し込んだ。食べないと、具合が悪いのかと心配されてしまう。


「ねえ、その指輪ニコラスが買ったの?」


 僕の指輪が気になるのか、ハリーは二日続けてその話題を持ち出した。

「いや、貰い物だ。外れなくなってしまったし」

 外れないのではなく外したくないんだ。これはハリーが僕にくれたものだから。
 指輪に気がついた日と、昨日と今日、ハリーは僕の指輪を外そうとした。

 駄目だよ、これはハリーに貰ったんだ。

 そんなことは言えないんだけど。

「ねえニコラス、手を出して」


 ハリーは着ている服のポケットを漁って、僕に差し出した。


 僕の手にリングが落ちる。僕の指のリングとぶつかってかちりと軽い音を立てた。


 デザインは、シンプルだけど、細かい装飾の施されたきれいな指輪。キラリと光る、石が埋め込まれているようだ。これはホワイトゴールドだろうか。 


「ハリー、これは?」


「今日見つけたんだ。君に似合いそうな指輪だと思って」

「………」

 少し、ハリーは赤くなっていたけれど。

 今僕がはめているリングよりも……前にハリーに貰った物より高価なことは分かる、けど。

「付けて見てよ」

 ハリーの笑顔は僕の大好きな顔。









 だけど、僕はこの指輪がいいんだ。
 ハリーは今は付けていないけど……ハリーに貰ったんだ。







『ねえ、ちゃんとしたサイズの買って来ようか? 中指のは外してあげるから』
 あの時のハリーも僕からこの指輪を外そうとした。
『薬指につけるのか? まるで婚約指輪みたいじゃないか』
 ペアリングだなんて、僕は恥ずかしくて、でも同じ物を身に着けていることが嬉しくて。今までハリーからのたくさんの贈り物やお土産はあったけど、でもお揃いの物は初めてだったから。
『僕は薬指にしてるし、そのつもりだったんだけど』
『………』
 僕達は男同士だし、僕はハリーと違って罪人なんだ。僕達を繋ぐものなんて何もない。誰にも公表できないし、秘密にしなくてはいけない仲なのだし。婚約なんかできないのは当然だけど。

 指輪なんかで僕達が本当に繋がっていられるなんか思っていなかったけれど、それでも僕がハリーと一緒にいていいって、そう言われている気がしたから。
 外すつもりはない。








「ハリー、指輪は女性に送る物だ」


 僕は指輪を彼に戻した。

 きっとこのサイズは中指用の物だから。僕はこの指輪を外すつもりはないんだ、僕がハリーを好きな限りは。

「………ニコラスのために買ったんだ、君が持っていてよ」


 ハリーの顔が少しだけ、不機嫌そうに歪み、彼は疲れているからと言ってすぐに部屋に行ってしまった。





 僕は、ハリーのいないこんな広い部屋に残された。指輪は僕の手の中に残されたまま。

















070604