6



















 夕食が終わった後、教授に呼び出され、寮に戻るために歩いていた。
 この前ホグズミードに行ったばかりだから、同室の友人達は無邪気にも新しく仕入れたお菓子や玩具で無邪気にも笑っているのだろうと思うと帰る気にもならず、深夜の学校をふらついていた。
 彼らの無邪気さは時に安堵をもたらし、時に鬱陶しく思う。

 月明りが眩しい日なので、窓がある場所では照明の魔法を使わずに校内を歩くことができた。

 僕はこれから、どうなるのだろう。






 忘れろと彼は命令した。

 僕は忘れているふりをする努力をしている。忘れられるわけないじゃないか。
 ……思い出してしまったんだ。


 抱き締めた時の彼の儚さを覚えている。抱き上げた時の軽さや香り、白い体。
 泣きながら僕の首に絡み付いた腕の細さや、その暖かさ。彼が僕の指で気持ち良くなってくれたことなど、何の手段を用いれば忘れることができるのだろう。


 あれから、一ヶ月が経った。
 僕達は今まで通り。今まで通りになるべく目を合わせないようにして、今まで通りに嫌悪感を表面に押し出す努力をして、今まで通りに他人だ。

 あんなことが……僕たちの間には何も存在していないかのように。


 君は忘れたのか?
 君が、もしあの事を忘れているなら、それでいい。その方がいいんだ、本当は。


 僕だけが覚えているならそれでいい。君は、こんな感情知らなくていい。



















 一つの教室から、微かだが話し声が漏れて来ている。

 こんな時間に誰かいるのだろうか。
 就寝時間前なのだから、見つかっても大したことはないが、あまりこんな場所で顔を会わせたいものでもないから、僕はなるべく足音を殺して早足で声のする教室の前を通り過ぎようとした。今来た道を引き返すほどのこともない。


 話し声が漏れている教室の中を少しだけ見た。

 ただ、少しの隙間が開いていたから。拳一つ分くらいだけれど。開いていると言うことを確認したくらい。








 月明りに照らされてきらきらと髪が光っていた。








 彼が、いた。



 月明りに照らされて、彼自身が発光しているかのように、その存在は際立っていた。




 僕は、立ち止まった。
 彼が、いたから。


 彼は僕には気付いていないようで、光を浴びて恍惚とした表情を浮かべる。柔らかく笑顔を湛えていた。



 滅多に見ることのない、純正の笑顔。
 彼が心底から笑顔を作ることなどないから。







「もう、君は要らない」





 柔らかい声が耳をくすぐる。
 透明度のある声。
 穏やかに優しく、それでも彼の言葉は残酷だった。

 容赦の無い切り捨て。




 僕に言われたのかとも思ったが、彼はまだ僕の存在には気付いていないはずだ。

 その時に初めて僕は彼の足下に蹲る影の存在に気がついた。誰だかはわからない。ただ彼よりもいくぶん大きなことがわかるくらいだ。


 話し声がしたのだから、誰かがいて当然だったのだ。
 誰か、わからない。目深にローブを被っていて、ただ黒の塊のようだった。

 彼の前に膝をつき、頭を垂れている。



「目障りだ」


 彼はもう一度優しく言い放つ。



 黒い影が動いた。

 床に手をついて、彼の靴に顔を近付けて、そして、キスをしていた。
 絶対的な服従。




 彼の信望というよりも盲信しているというくらいに。
 盲目的に彼を絶対者とし、その前に膝を折る。






 彼の主義に賛同する者は多い。
 純潔主義は魔力を保つためには合理的な考え方だ。僕のような例外も多くあるけれど、それでもマグルの魔法使いと比べ純血の魔法使いの方が魔力が圧倒的に強い。彼も例外ではない。彼の魔力はこのホグワーツでも屈指のレベルであることは間違いない。

 その強さに惹かれ、そしてこの美貌に陥落する。


 僕は歯ぎしりをしたい気持ちを押さえた。
 僕は、彼の目の前に傅く男に嫉妬した。彼の前に忠誠を以て跪く見返りに彼に近付くことが許される。近付いてその気持ちを伝えることが許されるのだから。

 僕は、それすらも許されない。

 彼は僕の気持ちを理解しているからこそ、僕を一番遠い場所に置いた。僕の立場を理解した上で、君は僕を一番手の届かない出来ない場所に置いた。


 彼の傍に行けるなら彼に膝を折っても構わないのに。君に触れることが出来るのならば、僕はどんな立場でも構わない。
 だから僕はあの男に嫉妬をしている。





「聞こえなかったのか?」

 彼は本当に優しい声をして、男に問い掛ける。





「君は要らない」



 もう一度彼は同じ言葉を繰り返した。

 柔らかく耳をくすぐるような残酷な声は、圧倒的な強制力を発揮して、彼の前に跪く弱者を打ちのめす。


 彼の前に蹲る影は、低くうめいた。
 腹の底を潰されたような低い声だった。



「離れろ」


 その、言葉とほぼ同時に足下の黒い塊は彼の足にしがみつくように、足を抱き締める。

 咄嗟のことだったため、少しバランスを崩したようだった。

 彼はしばらく、離れようともせずに彼の足を抱き締める男の様子を見ていたが、やがて一つ大きな溜息を吐いた。




「……何が望みだ? 最後に一つだけ願いを叶えてやる」

 最後。

 最後だからって、そんなになんで優しいのだろう。

 優しくしないでよ、僕以外の奴に。


「それ以後、二度と僕に近付くことを許さない」


 これは、決定だ。
 残酷なようでいて、それはひどく寛大な処置だよ。君は我侭でいいんだ。君の望む事は全て叶えられる必要があるんだ。君は、そういう存在なんだよ。






「貴方が………欲しい」





 その声を聞いたことがあると思った。どこかで……記憶に少し引っかかる程度の。



「………」


 彼はつまらなそうに、少しだけ眉根を寄せた。
 もう一度、溜息。




「……わかった」


 その言葉で彼は男に許可を与えた。細い指先がその男に触れた事でその確認をさせる。


 するりと、繊細な指が男の頬を撫でたのが見えた。




 ………僕じゃないのに。
 肌が粟だった気がした。

 男はゆっくりと立ち上がると、彼の身体を包み込むようにその、腕の中に抱いた。
 男は彼よりも頭一つ分高いから……男が彼を抱き込むと、まるで彼が闇に包まれてしまう気がした。


 男は彼の肩に触れ、彼のローブを床に落とす。バサリと音を立てて彼の着ていたローブは床に落ちる。

 男の手が彼の頬に添えられて、彼の顔を上に向かせた。そうして、彼の頬に唇を落とす。
 そっと触れるだけ。
 その、唇にも……。

 二、三度触れるだけの軽い口付けをしていたが、四回目に唇に降れた時は、噛み付くような飲み込むような深いキスだった。

 無表情に冷たく開かれていた彼の瞼も、その行為の荒々しさに目を閉じて、眉をひそめていた。
 男の舌が彼の口腔内を蹂躙していた。ここからでもそれがわかる。




「……んっ」

 高い、曇った声。


 見てはならない。


 立ち去らなくてはならない。
 前の時と違い、今回は彼が許可したことだ。僕に止める権利はない。







 今、すぐに駆け寄って男を殴り殺しそうだ。




 立ち去らなくては………。
 僕と君とは何のかかわりもない、他人だ。

 見られていて気持のいいものではないはずだ。







 目が、離せない。




 僕が見ている事も気付かずに二人はキスを続けた。
 そのまま男の手が彼のネクタイにかかり、するりとほどく。男の手が、震えていた。そして、シャツのボタンをおぼつかない手つきのまま、一つずつ外す。



 唾液が溢れて彼の頬を伝う。






 僕が見ているのに。

 ここで、君を見ているんだ。

 やめてよ。

 触らせないでよ、誰にも。



 僕が触れられないのなら、君は誰にもその身体を触れさせないで。
 僕だけに………。











 彼の肩からシャツが落とされる。
 腕に絡み付いて、落ちずに止まる。



 白い、白い肌。
 月の光を浴びて輝いた。





 あの時の彼の首についた赤い痕。
 誰かに付けられた、赤い……



 白い肌に映えた。


 僕がつけたわけではない………君は僕の所有ではない、それを思い出して。



 ここに、僕がいるんだ。


 真っ白な肌。溜息が出るほど。均整の取れた細い肢体。

 男が、その首筋に、溜め息と口付けを……。


 …………………………。








 それが、僕の限界だった。


 もう、それ以上耐えられなかった。




 立ち去る事なんかできない、君がここにいるのに。


 君が誰かに触れられているのに、我慢なんかできない。



 がらりと。



 扉を開いた。

























誤字
彼がいたから。 → 彼が板から。
普通に一時間ぐらい気付かないでアップしてた。やっぱり読み返さないと怖いね。
070412