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 相変わらず、彼は僕を見て笑っている。
 注目されることが苦手だと言ったことを彼は律義にも覚えていて、彼は周囲を引き連れて僕に悪意のある視線を浴びせる。


 いつも恒例の儀式。そう、見せておいて、彼だけはその輪から外れていた。彼は最初の鶴の一言だけで周囲に僕を攻撃するように仕向けて、それからはもう飽きてしまったかのように、こちらを見ようともせずに本を読んでいた。



 この前のことは彼の中で封印されたようだ。もし彼がそれを望むのであれば、僕も気持ちを封じ込めよう。

 僕が彼を受け入れなかったことで彼に決心が付いたようだ。ここ最近は故意に視線が合わない事が多くなった。

 ここのところほぼ毎日だった彼からの嫌味は、最近では静かになってきている。それは僕の親友達にも伝わってしまっているようだ。僕は聞きたくないから、その会話をいつもすぐに終わらせる。僕が不機嫌そうな態度を示せば、親友たちは僕の気持ちを察してくれる。聞きたくないほど彼が嫌いなのだと、そう勘違いしてくれていればいい。

 僕達の間に、冷たい空気が流れている。誰もそれには近寄らないようになっている。

 今となってはむしろ逆効果だということをお互い理解し始めているから、関わらない方が良いんだ。接触は最低限、なくていい。


 憎しみ合わなくても、せめて他人に……。
 今の距離じゃまだ近すぎる。また、近づいてしまったんだ。



 だから僕も、外には決して出さないように。彼しか知らない僕は、決して表面に出て来ることはない。
 本当の僕は彼にだけ見せた。彼が僕を一番遠い場所にと望むのであれば、僕はもう二度と僕の内部を表層に出すことはないだろう。






 僕達の関係は、歪だった。
 君の望むことは僕は全部叶えてあげる。ただ、僕は僕の復讐が優先事項だから、そのために僕はここにいて息をしているのだから。


 だから僕と彼とは決して交わらない。
 それでも彼を求める気持ちは変わらない。


 どんなに彼が欲しくても決して手に入らないのに。だからなのだろうか、僕は彼を手に入れたくてどうしようもない。
 無理矢理手に入れたら、彼は僕を許さないだろう。僕は彼の命令は聞き入れる事になっているから、それはできない。それでも、僕が押し通して彼を僕の所に置いたら、きっと壊れてしまうのだろうね。君は自分の血液によって生かされているから。





 僕を英雄だと罵る魔法界の連中は僕が腹の中でこんなどろどろと重い気持ちを抱えているなんて思いも寄らないだろう。


 この僕を知っているのは彼だけだから。
 彼の純粋さを知るのが僕だけなのと同じように。






 彼の周りの奴等が僕を見て笑っている。決して良い意味ではない笑顔。

 つまらない。
 そんなもの、なんの足しにもならない。僕の感情を荒げる効果はない。

 誰の視線でも駄目だ、彼が僕を見ていると言うだけで身体中が熱くなってくる。




 気持ちは膨れて破裂してしまう。
 どうしようもないんだ。
 気持ちを押さえられていたのはほんの一時。
 無理なんだよ。
 そう言ったじゃないか。



 君だって………













「ハリー、寝癖がすごいってさ」

 親友の言葉に、僕は失いかけた理性を取り戻した。泣いてしまうところだった。

 もしここで僕が壊れて涙腺を壊してしまったら、彼はどんな反応をしたのだろう。どういう目で僕を見たのだろうか。心配してくれただろうか、それとも呆れて見放しただろうか。それなら、それがいい。





「ああ、そう」

 僕はつまらなそうに返事をした。
 実際なんでも良いんだし、彼の身嗜みが常に糺されている事は今に始まった事でもないし、僕が櫛を入れないのもいつもの事だ。僕の機嫌を損ねることさえ出来れば理由なんかどうだっていい。



 僕が彼を鬱陶しいと思うことができれば、彼は成功したということで、僕も安心だ。
 彼の望みを叶えれば、僕は失望されずにすむのだ。





 嫌いになろうとしたんだ。視界に入れたくない存在になろうとしたんだ。

 君はそれを心から望んでいた。
 僕も君の望みはすべて叶えたかった。





 もう、限界なんだよ。




 君だってわかっているじゃないか。
 無理なんだ。
















 僕は……君に命すら捧げても良いと思った。
 僕の命は、君のためなら惜しくないと思った。











 僕は僕の復讐を諦める気は無いけれど、僕が死ぬつもりなど微塵も無い。死なないと思うから怖くは無い。もちろん死んでしまう可能性だってあるけれど、それを別に考えない。そのことで僕は恐怖に怯えたりはしない。

 けれど、君が死ぬのならば僕はそれを命を賭して守ろうと思う。それは彼のためではなく、他でもない僕のためだけれど。君がいない世界には僕は用はないから。君がいなくなってしまうことが、君を失うことが、僕は何よりも怖いんだ。





 君は僕が近くにいると辛いんだ。
 君は、僕がいなくなる事、僕が君を忘れる事、君を失った僕が絶望する事が恐いんだ。











 彼はその血統のため上に立つ者だった。支配する側に生まれついている少数の血族、その中核であり、その血液が持つカリスマ性を彼は年を追うごとに発揮している。
 彼に追従する者はこのホグワーツ内にも複数いる。あの時以来、周りを見たが、その存在を確証できた。
 彼を崇拝し彼の望みを叶えるための都合の良い存在。
 彼の望みを叶える事で与えられるのは彼が存在すること、彼が満足する事。
 それだけでいい。見返りは想いを捧げる事だけ。


 僕も、それで良いのに。近くに行けるならそれで良いのに。僕はやっぱり君のそばに居たかったんだ。




 彼を信望している人間と僕とで、どちらの方が彼に強く惹かれて居るかなどわからないけれど、それでも僕も彼を崇拝に近い気持ちで見つめている。もう、むしろこの気持は崇拝と同じ物だと思う。心から、無条件に、君が……




 それでも彼は僕を対等な立場に置いた。

 僕に対する嫌味か。
 一番彼に触れることができない距離が、彼に一番近いなんて。


 敵と言う立場なら、僕と君とは同じ高さにいることになるから。
 ライバルなら同じ目線を持つことができる。

 それは僕だけの特権。彼の僕に対しての甘えだったのかもしれない。

 彼は誰も嫌いではない。
 嫌いだと言う感情を向ける必要がないからだ。彼はただ一人高い所にいて、嫌ならば見ないことも可能だ。僕の親友のことでさえ、親の代からの知り合いとか、成績が彼の上だという事で一目置いているようだが、彼が僕の親友を見る瞳にほとんど嫌悪や憎悪が浮かんではいない。


 僕だけなんだ。

 彼は、僕だけには甘える事が出来るんだ。同じ高さにいることができるから。それは、誰でも駄目なんだ。僕だけに与えられた特権。
 僕の人格とか、僕自身を見てくれているわけではない。僕と君との立ち位置が、君には重要なんだ。この僕の人格が君に特別視されているわけではない。そんな事はわかっている。











 あのまま彼を嫌うことができたら良かった。

 あんな事故さえなければ僕と君は交わることはなかったのに。
 だれか僕以外が彼に触れた。

 君の涙を見た。


 彼の涙。


 それは、僕だけのもの。


 彼は自分に対してそれほどに執着はない。きっと、彼は誰に殺されても憎悪を抱かずに死んでいく事が出来るだろう。そのくらい彼の中は空っぽだった。

 彼自身にはなにもないが、自分を取り囲む様々な事象が彼を存立させている。彼にはそれだけしかない。
 内部の魂は純粋で、何の色にも染まっていない、ただの光のようなもの。
 周囲に溶け込む手段として善人面を提げている僕とは、まったく正反対。





 ねえ、あの時の君の涙は、僕に見られたから?






 あの時、僕はやはり見ないふりをして、彼に気付かれる前に部屋に戻るべきだったんだ。
 それは、僕も君もわかっている。

 僕達は交わってはいけない。
 僕達は、憎しみあわないといけない。











 彼が僕を遠ざけたあの日から僕は彼に対する気持ちを閉じ込めた。彼もそうした。

 閉じ込めることができている間に僕達はお互いに二度と触れ合わないようにと決意をした。できれば憎しみ合う事を望んだ。










 二度と触れ合わないように。

 離れても大丈夫なように。

 どちらかが欠けても平気なように。







 ――例え殺し合うことがあったとしても……。











「ちょっとマルフォイに言って来るよ、僕」
「別に気にしてないからいいよ」




 他人のことで怒ることのできる親友は優しいと思う。
 僕は自分の中の復讐だけで成立していると言うのに。
 誰が死ぬよりも、僕は自分のこの復讐を遂げられないことの方が怖い。







 彼はその外見の通りに決して優しくはなかった。冷たい美貌を放ち、陰のある高慢さを他者に印象として押し付けその存在感を樹立させている彼のその見た目通りに、決して誰にも優しくはなかった。
 彼はできる限りの冷たい態度を作らなければならないから。誰に対しても平等に無関心でなくてはならないから。

 僕と一緒に居る時だけ、彼は重荷を下ろした。
 甘ったるい喋り方で、誰も見たことのない蕩けそうな笑顔を僕に向けた。
 僕に対して、我侭を言って僕に甘えた。
 よく笑ったけれど、あまり会話はしなかった。
 僕も彼と居る時だけ、腹の底に溜めたどろどろと重いモノを忘れることができた。
 彼といる時だけ、僕は全てから許されたような気がした。
 君の側は、嫌な事を忘れる事ができる。
 君に許されれば、僕が浄化される気がした。死後の魂が天国に行くことの可能性すらあるのではと思えるほどに。






「でもさ、ハリー」
「ほっときなって」




 僕が彼に一瞥を投げる。







 ふと、彼の視線が上げられた。











 その瞳とぶつかる。


















 いつかくる絶望を感じて君はよく泣いていた。

























070421