10 「……ポッター」 月明りを浴びて、君は輝くように儚かった。いつもの圧倒的な存在感は薄く、小さくなっていた。 でも、すごく綺麗。それはいつもと変わらなかった。 僕にいつ気がついたのだろう。来た時から僕の存在に気がついていたのかもしれないけれど、彼は微動だにしていなかったので、わからない。 彼が何を思ってここにいるのか、それしかわからない。 ただ……。 僕は彼の声を聞いてはいけないのだろう。 こんな場所に来るなんてどうかしている。 ――僕も……君も。 だから僕は彼に返事を返さなかった。せいぜい独り言を呟けばいい。 「もう……いやだ」 声は静かなものだった。自嘲混じりで。 「駄目だよ」 泣き言なんか言わせない。君は孤独を選んだんだ。 僕じゃなくて、孤独と孤高と家と名誉と血統を選んだんだ。 「君が選んだんじゃないか」 泣き言なんか聞いてやらない。僕にはその義務がある。君に嫌われるようにしていれば、君に失望されずに済むのだ。 君が僕を嫌う事ができれば、それで君が救われるなら……。 「ポッター……」 彼の呼び掛けが切ない。 そんな声で僕を呼んだら駄目だよ。 「僕は……もう壊れそうだ」 君が選んだんだ。 君が家を選んだんだ。 だけど、君が方の重荷を全部棄てたら君でなくなってしまうことぐらいは僕が一番よくわかっている。 君が君であるための構成要因があるから、僕は君に惹かれることを君は理解している。 君は感情を荒げずに、浮ついた口調で顔には笑みを浮かべている。 そんな顔しか出来ない君がひどく痛かった。弱音を吐いている君なんか見たくない。見たら、僕が引きずられてしまう。君を抱き締めて、キスをして、閉じ込めて誰の手も届かない場所に、誰の目にも触れない場所に君をしまい込んでしまうかもしれない。 だから、僕に甘えたら駄目だよ。 「裏切る気になったの?」 もし、君が僕の所に来てくれるなら、僕は君を何よりも優しくしようと思う。どんな不自由もさせない。必ず守ってあげる。 でも君はそんな僕を重荷に感じるだろうし、君が裏切ることの出来ないものの大きさを僕は理解している。裏切る時は、それは彼のその存在自体が違う物となるだろう。 僕が予想した通りに彼は弱々しく頭を振った。 彼は僕の元に来ない。わかってるんだ。そんなこと知っているよ。 一番初めの間違いは、僕が彼の存在の高さに気がついてしまったことだ。 「……ハリー」 彼が僕の名前を呼んだ。彼にこうやってファーストネームで呼ばれるのはどのくらいぶりだろう。 ただ呼ばれただけだと言うのに、肌が粟立つ。 僕の名前をもっと呼んで。 君が僕を呼んでくれる限りは僕は僕を見失わずに済む。 彼は僕に視線を向けた。 その顔は卑怯だよ。 そんな表情を僕に向けるのは卑怯だ。 引き込まれる。 「もう一度、今日のことを忘れてくれないか?」 「駄目だよ」 君がそんなに弱くてどうするんだ。 君のその態度は僕を決壊させるには十分だ。ぎりぎりのところで保っているんだから、これ以上僕に触らないで。 君が決めた事なんだ。 君が僕にそれを強要したんだ。 「次に君に触れる時は、もう二度と離さない」 彼が優雅な動作で立ち上がって、僕の前に来た。 目の前に彼がいる。 このまま抱き締めることができる距離。 それでも、僕は君に触れることができない。 「……ハリー」 熱い、彼の吐息が漏れたのかと思った。 ぞくりと、背筋に熱いものが伝わる。 ここで彼を抱き締めてしまったら、僕は二度と彼を離せなくなることはわかっていた。 彼がどんな命令をしても、僕はもう離せない。 僕は、本当は、なんでも良いんだ。 ただ僕は、君が欲しいことと復讐をしたい私怨とでなりたっているだけだ。ただそれが二律背反している。 君を手に入れるためなら、僕は君の下にいてもいい。彼はその血統故の絶対的な支配力を持っているから、彼に命令されることは心地よい。 それでも僕は僕の復讐を完結させる使命がある。それは世界の流れでもそうなっているし、僕が今生きているということは、神が復讐をしろと言っているのと同義だと信じている。 抱き締めることができる距離。 手を伸ばせば届くのに。 「ハリー……僕は…」 「それ以上言ったら駄目だよ」 戻れなくなってしまう。 せっかく決めたことなのに……。 「全部要らないのに……」 彼は、僕の制止を無視して続けた。 僕の所に来てくれるなら、全てを捨てても僕が欲しいと思ってくれるなら……。 「でも、僕は裏切ることができない」 決別。 わかっているよ。 わかっているから。 せめて僕だけは君と同じ位置にいてあげる。 触れることができなくても、僕が壊れてしまうまで、君を僕が見ていてあげる。 そっと、彼が僕の手に触れた。 指先で触れるだけ。爪先が、掠めた程度の接触。 ひんやりとした指先。 一瞬だけ。 彼に触れられたそこが、いつまでも熱かった。 070416 → |