近距離走2
少し風邪をひいたらしい。 誰かの親切も空しく、少し喉がイガイガする。病弱ほどでもないが、丈夫な方でもない自分をもう少し自覚すべきだったけれど、でも気分が良くて、体調の悪さにかまけて八つ当たりしたいわけでもない。 まあ自業自得そのものだし、親切な誰かのおかげでこのくらいで済んだのだろうし、なかなか良い夢を見て、気分も良いし。 どこのだれか判らないローブはそのまま近くのベンチに置いておいた。雨が降ったら申し訳ないけれど、昨日降らなかったし、朝見て見たらもうなくなっていたから大丈夫だろう。 本当はちゃんと会ってお礼を言いたいけれど、誰のだかわからないし僕が僕である限りそれを言えるはずがない。 だから、不躾と思いつつそのローブは置いてきた。 暖かかったですと、もしわかったら伝えたい、恥ずかしくて言えないと思うけど。 けれども、実際体調は悪くなり、それほど食欲もなく、神経質なくらいソーセージを細切れにして少しずつ口に運んでいた。 無理にでもたべておかないと、一度体調を崩すと僕は戻すのに時間がかかる。誰かのせいでとかならば、同情を引く手段にも使えるけれど、今回はどこまでも自分のせいだ。 無理につめこむ食事はとても美味しくなくて、ただ苦痛な時間にすぎない。 ポッターはどうなんだろう。 彼を見れば、食事そっちのけで隣りの赤毛とおしゃべりに夢中になっていた。 いつも楽しそうで。 食事がもし美味しく感じられなくても、彼ならきっとこの時間を苦痛に感じる事はないような気がした。 もちろん僕の思い込み。 細の目状になったソーセージはどうにも美味しくなさそうで、少しづつだけど、仕方なく食べる。 彼は、もう食べ終わっているのだろうか。こんなことごときだけれど、少しでも負けたくないから。 (ちょっとだけ見るくらいなら、気付かれないよな) じろじろ見たりしたら変に思われるだろうから。 少しだけ、ほんの一瞬だけと思って顔を上げた。 (あ……) びっくりした。 こっちを見ていたから。 すごく強い視線で、視線に質量があったらそのまま僕は射殺されてしまいそうなほど、するどい睨み方だった。 僕は何かしただろうか……。 僕は思い当たる節を頭の中で思い返して指折り数えてみる。 (………心当たりがありすぎる) ポッターは僕を睨みつけていた。 朝から敵意を向けられるのはそれほど嬉しいわけではないが、彼の関心を引けたと言う事に関しては朝一から上出来だ。 それでも、隣りにいるウィーズリーとはあんなにはしゃいでいたのに、そう思うとすごく切なくなる。 あっちが見ているとは言え、あまり見つめるのもどうかと思い、なんだか未練が残るが、視線を落とした。 ……目下の課題である細切れソーセージだけが残った。 授業中もちくちくと後ろから視線を感じた。 振り返るわけにもいかないし、誰だかはわかっている。わからないのは、どうしていいのかということだけだ。 あの視線を浴びている中で振り返り嫌味で言い返す勇気なんかもあんまりない。 きっと何かで本気で怒らせたのだろう。 まあ、無視すれば良いのだろうけれども、ここは受けて立つべきなのだろうか。 一番僕が彼のライバルとして相応しい形で答えたい。 嫌われるのも嬉しくないけれど、友達になれないのなら、それでいい。 そう思って、彼が僕を見てくれているから、僕はしばらく何もしなかった。 嫌われているけれど、気にされているから。 だから、そのまま。 大広間での夕食も、その次の朝食も、同じ授業も、その次の日も次の日も次………… (いつまで続くんだ!) あれから一週間。 さすがに僕といえども疲弊してきた。 嫌われてなんぼの気位いの高いマルフォイ家の一人息子である僕は他人からの悪意には強い方だけれど。 はっきり言って怖い! さすがはあの方を退けたことのある英雄だ、なんて感心している余裕なんかはない。 本気で怒らせたのだろう。 もう、謝るからやめてくれと、弱音を吐きそうになるくらいだ。 そんなことは僕の絶壁のプライドが許しはしないが。 本気で怖いのだ。 奴は杖からではなく、目から魔法を飛ばせるのではないだろうか。 ひいた風邪もなかなか良くならなくて、悪化の一途を辿る。今日は熱も出してしまった。 彼の呪いではないだろうかと疑いたくもなる。 そんなに僕のことが嫌ならはっきり言えばいいだろう? 謝らせたいならちゃんと文句を言って来い! 過ぎた事でいちいち根に持つなんて男らしくもお前らしくもないんだからな! なんて、心の中では饒舌に叫ぶが、言えるはずもなく、あの視線を浴びたら萎縮しないように気を張るのが精一杯だ。 そりゃ、怒らせるようなことを言う僕が悪いんだろうけどさ。 僕は溜め息をついた。 それにしても具合が悪い。今日はさすがにおとなしく寝ておけば良かった。 まあどうしたかを先生に訊かれても理由なんかは恥ずかしくて言えそうもない。夕方外で寝てましたなんて。 ゴイルもクラッブも、僕が具合が悪くて苛々しているのを知っているから……八つ当たりは風邪だけの理由じゃないけど……寝ているように言っていたけど、授業に遅れるのもいやだし、僕が決めたら梃子でも動かないことを知っている二人は、本当に駄目になる前にすぐに言うことを前提に今日だけは僕が授業を受けることを許した。 忌々しいことに食べることしか考えていないようで、時々こういう時に限って僕に命令口調だ。 まあ、本気でやばくなったら何とかしてくれるだろうという信頼はあるけれど。 ふらふらする足下を叱咤しつつ僕はゴイルとクラッブと一緒に廊下を歩いていると、いつもの三人組が前から歩いて来る。 顔を会わせれば常に臨戦態勢だけれども、何かを話したくて……悪口ばかりだけれど……立ち止まるはずだが、今は彼からの視線を受けて立つ気力もない。 (まだ、睨んでる) いつものように二人を引き連れる陣形で歩いているけど、今日は本気で後ろに行きたかった。後ろにいれば、彼の視線を遮ることができそうだから。 (……どうしよう) はっきり言って、爆発寸前の顔つきだ。 僕を見つければ嫌そうな顔つきになるのはいつものことだし、そうさせているのはほかならぬ僕だけど。 逃げ出したい。 発熱も手伝って目の前がくらくらする。 何かをいわなくちゃ。 それとも彼の視線を受けて盛大に無視をしてやろうか。 (それがいい) こんな時に何か辛い言葉を投げられたら、泣いてしまいそうだ。 ポッターが、ふと視線をそらすと瞬間に顔つきが変わった。 隣りにいるグレンジャーとウィーズリーにはあんなに楽しそうに、優しい表情をするのに。 悔しい。 そう思うのは、やはりおかしいだろうか。 また、こっちを見た。 (怖い……) 怒らせた自分が悪いのはわかっている。 自業自得なのはわかっている。 まっすぐに、すごくきついまなざしが、向けられて。 足が竦んで、 動かなくなって、 気がついたら、僕はクラッブとゴイルを突き飛ばすようにして、踵を返して走り出していた。 「マルフォイ!」 二人が慌てて僕を読んだ。 「ついて来るな!」 僕は走り出した。 頭ががんがんする。 もう嫌だ。 僕は逃げ出していた。 逃げるなんて。 逃げ出すなんて。 ポッターに負けたとか、今後どうするかとか、どう思われるとか、馬鹿にされるだろうとか、それよりも、本当に怖かったんだ。 嫌われているのは、知っているけれど。 しばらく走った。 少しの事で息が上がる。 角を曲がって、またしばらく走った。 限界が来て、僕は壁にぶつかるようにして止まる。 壁に手をついたまま、ずるずると座り込む。 足がもう使い物にならない。体重すら支えられない。 もう、いやだ。 嫌われてるけど。 そんなことは知っているけど。 耐えられなかった。 あんな、怖い顔をされて睨まれたら。 座り込んだまま、僕は震えてしまった。 寒さのせいもあるけれど、それ以上に、怖かった。 彼の視線も、彼から向けられた意識も、嫌われたということも、きっと変に思われただろうということも、逃げ出してしまってどうしようとか…… 本当に嫌われてしまったんだ。 もちろん、知っている。 僕がそう仕向けた。 それで、せめてそれで満足していた。 でも、逃げ出してしまった。 嫌われているだけなら、まだよかったんだ。 逃げ出した、ということはつまり敗北を意味する。 敗北ということは、相手の立場より下位になることだから。 嫌われていても、僕は君と対等の立場に立っていたかったから。 きっと、もうだめだ。 目から、涙が溢れてきた。 恥ずかしい。 こんなところを、決して誰にも見られたくなかった。 見られるよりも、こんなことで泣き出してしまう自分が悔しくて、恥ずかしかった。 これくらいのことだ。 なんてことはない。 ただ、嫌われただけ。 涙が止まらない。 どうしていいのかわからない。 「どうしよう……」 どうしよう。 途方にくれてしまった。 目の前はぐらぐらするし、気持ちも悪いし、クラッブもゴイルも置いてきてしまった。 幸いここから保健室は近い、マダム・ポンフリーのところに行って風邪薬をもらいに行かなくては。僕の常備薬はもう終わってしまったし。 ただ、こんな顔じゃ、人前には出られない。 もう、いやだ。 このままここにいたい。 もう、誰にも会いたくない。 気持ち悪い。 もういやだ。 貧血を起こしたのか、世界がどんどん暗くなっていく。 縦と横が解らなくて、もう一つ時間軸を合わせたような不思議な空間に迷い込んだような、ぐるぐるする。 世界が回る。 ああ、倒れる。 ぼんやりと、そんなことを思った、その時、 僕の体が止まった。 僕の腕が、重力に対抗するように掴まれている。 あ…… そこには、真剣な顔をした今、一番会いたくない人物の顔が近くにあった。 ポッター…… |