近距離走1
夢の中では僕と君とが親友だなんて事もしばしば。 読みたい本があったから。 陽も柔らかいし。 中庭で、大きな木の木陰。葉からこぼれる陽射しはきらきらと宝石のようで。 明日提出の課題も昨日のうちに終わっているし、なんだか少し贅沢をしている気分だ。 樹の幹にもたれ、目を閉じる。暖かな風が頬を撫でて通り過ぎる。 緩やかな時間。 中庭には、授業が終った生徒たちが疎らにいたけれど、あまり人目につかないような樹の裏側で、僕は本を閉じた。 別に見られてどうこう、ということではないが、話しかけられても鬱陶しいし、何もしていないのに見られるのも好きじゃない。 本の続きは気になるが、ただこのまま目を閉じているのも気持ちが良い。本の中にはベットの中からでも飛べるが、この時間は今しかないと思うと、瞼の重さに逆らうのも惜しい気がして。 ゆっくりと……。 夢がやってきた。 夢のなかでは僕と君とが親友だなんて事もしばしばで。 他愛ないお喋りとか、図書室で一緒に課題に頭を抱えたり。 夢の中では僕は素直に気持ちを伝える事ができて、敵意のない僕の言葉に君は笑顔を返してくれる。 そんな夢のような関係。 (………夢だし) 友達になれると思ったんだ。 僕のファミリーネームは強い影響力を持っていて、心を開こうにもその前に下心と言う厚い壁を作られるから、僕は言葉の刺で身を守る。 君とは、マルフォイを抜きに僕と君という関係になれたと思ったんだ。 君は良く笑って、君の回りも良く笑って、とでも楽しそうだから、僕は憧れていて、羨ましくて、でもとても手に入らないことがわかったから、それを侮蔑の視線を投げる事で誤魔化す。 あの中には入れないから夢を見る事で、自分を騙す。 今日も僕と君は仲が良く、木陰で二人で座って、膝に本を置いて、暖かな風を受けて笑っていた。 言葉を交わさなくても、信頼できる関係は確かにあって、雲の流れを観察していた。 (ねえ、ドラコ) 夢なんだから、僕と君とは親友だから、ファーストネームで呼び合う事はずっと前からの事だ。 少し厚かましいとも思っていたが、夢なんだし、別に誰にも迷惑をかけていないし。 誰も知らないし。 夢なんだから。 (気持ちいいね) 微笑む君がなんだかとっても嬉しくて僕はただ微笑んだ。 ぽかぽかしていて、なんの拘束もなく、空気に漂うような浮ついた夢。 ちゃんと知っているから、大丈夫。自分が誰であり、相手が誰であり、僕と君の距離や立ち位置、昨日の嫌味の応酬でさえ、夢を見ていてもちゃんと知っている。 ちゃんと忘れてないから大丈夫。 ただちょっとこの居心地の良い夢の中に少しの時間で良いから、実を浸していたいだけ。現実を忘れる気もないし、放棄する気もない。 ああ、気持ちがいい。 暖かい陽射し。 夢の中で夢に誘われる。 (なんだか、眠くなってきたよ) うとうととまどろむと、君は肩を貸してくれた。 暖かい。 君にもたれて、目を閉じて。 暖かい。 はずなのに、僕はくしゃみをした。 なんだかそういえば、少し寒くなってきている。 (風邪ひくよ、ドラコ) 君は自分のローブを僕にそっとかけてくれた。 その上から、ぽんぽんて優しく二回あやすように叩いてくれた。 母上にもやってもらった記憶は遥か昔だ。覚えてもいないくらい遠い昔だ。でもそれがとても嬉しかったことを覚えてもいる。 この夢の中が泣きたいくらい嬉しくて、暖かくて、僕は笑顔になる。 (ありがとう、ハリー) 嬉しいんだ。 こんな都合が良いことは夢の中でないと叶わない夢だ。 夢だよ。 君に出会う前から憧れていたんだ。 本当はこんなふうに友達になりたかったんだ。でもできないことが、確実だから。 だから、せめて君の中で無意味な存在でないように、いてもいなくても気にも止めない大多数でないように、僕は最悪な手段で君の中の宿敵という地位を確立した。 激しい敵愾心を燃やすことで君に僕を印象づけた。 君に僕を認識させるためだけだ。それに関しても、僕は手段を選ばない。 嫌な性格は自覚がある。別にどうしようとも思わない。文句があるなら言えば良い。でも最後に笑うのは僕だ。 「へきしっ」 僕はもう一度くしゃみをした。 今度は現実だ。 寝覚めのあまり宜しくない僕は、しばらく分けがわからずにぼんやりと空間を見つめていたが、ひどく寒いことに気がついた。 西が朱に色付いている。しらないうちにだいぶ寝てしまったらしい。今日のこの時間を作るために、昨夜はだいぶ遅くまで起きていたから、今日一日けっこう眠かったし、あんなに暖かかったし、まあ、仕方がない。 だいぶ寝てしまったようだ。さっきまで暖かかった空気は角を作りチクチクと刺すような寒さを表現している。 そろそろ夕食の時間だ。 僕は立ち上がった。 「あれ?」 すると、ローブが一枚僕から剥がれ落ちた。 僕のかと思ったが、僕はちゃんと着ていた。 とすると、誰かのだ。 (誰のだろう…) 僕はそのローブを拾いあげてみる。なんの変哲もない普通のものだ。どこかに名前でもと思ったが、特になく、ホグワーツ指定のなんでもないもの。指摘できる個性なんか何にもない。しかも夕焼けで紅く染まった世界は、何かを読み取れる色彩ではなく、ローブはただの黒い塊だった。寮が、グリフィンドールだと、何とかわかるだけだ。 なんで僕の上なんかにローブがあるのだろうとすごく不思議に感じた。 偶然運良くうまい具合に僕の上にローブを落とすわけがない。 もちろん誰かが僕の上にローブを置いて行ったのだろう。 僕は他人の行為はまずは悪意を疑うように教育を受けている。下心に気付かず取り入られて出し抜かれることなんかはあってはいけないから。 敵意でぶつかって来る相手よりもまずは好意を疑うように形成された人格では、誰かが僕が風邪をひかないようにかけてくれたローブではなく、なぜか僕の上にあった誰かのローブなのだ。 (風邪ひくよ、ドラコ) 不意に夢の中の宿敵の声が耳に甦った。 夢の中の優しく暖かく、でも決して僕に向けられることのない彼の声。 なんか、泣きたくなった。色々全部に対して。 決して泣いたりなんかはしないけど。 僕はなんて恥ずかしい奴なのだろうとか、そんな恥ずかしい夢をまたみて、しかも嬉しく思ったことに、また自分を恥じて、でもそんな夢の中でしか笑い会えない彼との距離とか。 なんかごちゃまぜになって、ぐちゃぐちゃ。 拾いあげたローブを握り締めた。 (風邪ひくよ、ドラコ) 夢の中では、彼はそう言った。 僕に優しく、ローブをかけてくれた。 なんかそんな心遣いが嬉しくて、誰か、きっと僕のことを知らない誰かが、夢の中のハリーみたいに、風邪をひかないようにかけてくれたのだ。僕のことを知っていたら僕に優しくするわけがないから。僕のことを知っていたら、僕がちゃんと起きている時に僕にわかりやすく、白々しく僕に優しさを振る舞うはずだから。 もちろん、こんなところで寝てしまい誰かからローブをかけてもらうなど、無意識でも知らない誰かに借りを作る隙があった僕はいけないのかもしれないが。 誰かのローブをぎゅっと抱き締めた。 ぎゅって抱きしめて、そのローブに顔を埋めた。 ハリーの臭いがした。 もちろん、彼の臭いなんて知るはずがないので、ただの妄想。 でも、きっと彼の臭いはこんなちょっと埃っぽい太陽の臭いに似ていると、きっとそう思っている。 「ありがとう」 この言葉はここに来てから……、いや生まれてから僕は何回口にしたことがあるのだろうか。きっと数える事ができる程度しかない。それほど僕には縁遠い言葉だったけれど、すんなりと僕の口を突いた。 とても幸福でなぜか切なかった。 |