「黒崎……」
黒崎の首筋に鼻先を埋めた。
今日は体育の授業があったせいか、少し黒崎から汗の匂いがした。それでも、汗の匂いも気にならない、その匂い以上の甘い、血の匂いがする。
「黒崎、シャツ、脱いで」
強い匂いが……僕を恍惚へと誘う。
「……ああ」
黒崎がシャツを脱ぎ捨てた。
まるめて投げ捨てたシャツは、床でシワを作っているだろうけど、気にならない。
黒崎がシャツを脱ぐと、僕より男らしい、均整の取れた身体と、僕より陽に焼けて、太陽の匂いのしそうな皮膚が現れる。
零れた血がシャツについたら、血はなかなか落ちないから、脱いでもらう事にしている。初めの時に汚してしまったシャツは、僕が責任をもって染み抜きしたけど、綺麗な白に戻らなかった。
それに、シャツに吸わせるくらいなら、僕が貰うよ。勿体無い。
黒崎の血の匂いが濃い。
鍛えられた黒崎の身体。この中に、美味しい血液が流れてる。
そう、思うだけで、興奮する。これからそれを僕は口にする事ができる。
「じゃあ、黒崎……少し貰うよ」
「ああ」
本当は要らないんだけど。
なくても、飢えて死ぬわけじゃない。
我慢出来るなら我慢すればいいんだ。
我慢、できるならしたいんだ。
僕は人間なんだから、血が飲めなくても飢えて死ぬわけじゃない。ただ、血を食料にしていた祖先の遺伝子が、血を美味しいと教えてくれただけ。我慢すれば、満月が過ぎれば、この乾きも癒える。
我慢、すればいいだけなんだ。
でも……黒崎の匂い、
僕は、我慢できない。
あまり、人に見られたい現場じゃないから、満月の日にはこうして黒崎が僕の家に勉強って名目で遊びに来る。
優等生として振る舞っている僕と、いかにもガラが悪い黒崎が仲良くなったってみんな不思議に思ったようだけど、仲良くなったったんだって言って誤魔化した。
僕の苦痛に黒崎の偽善が重なっているだけで、実際は、特に仲良くなったわけではないけれど。
この日、こうやって黒崎に血を貰うためなら、僕はいくらでも黒崎と仲良く振る舞うことができる。
だから、仲良くなって、その振りをして、黒崎は時々、僕の家に遊びに来る。
だいたい月に一度のペースを保って……満月の、日。
僕はもう何回も黒崎に血を貰っている。
僕に同情したのか、黒崎は僕に血をくれることを厭わない。
黒崎の押し付けがましい偽善的な部分が働いた同情でも憐れみでもかまわないと思えるくらい、僕は黒崎の血が欲しかった。
満月でなくても ……僕は乾く苦しさを覚えているから、黒崎に血を貰うために、黒崎の機嫌を取ることすらあるけれど……だから、妙な関係を維持したまま、誰にも真意などは知られていないけれど、僕達はどうやら仲良くなってしまったようだ。
「いい?」
それでも、罪悪感が無いわけじゃない。
僕に、無償で血をくれるなんて、何かあるのだろうかと勘ぐらないわけではない。
「どうせ一種の献血だろ」
「僕に対してしか有効じゃない慈善事業だよ」
そう、慈善事業でしかない。僕の役にしか立ってない。君の得にはならない。
それでいいの?
「石田……本当に俺の血なんか美味いの?」
黒崎がわざと話を逸らしたのは解った。会話の流れが変だよ。誤魔化すの下手だな。
つまり、答えたく無いって事だってくらいは僕にだって解る。
今、その事について掘り下げるのは得策ではない。
目の前にご馳走があるのに、面倒な事になってオアズケを食らうなんて勘弁してもらいたい。
「うん。すごく美味しいよ」
この味を理解して貰えないのが残念なくらい、美味しい。
黒崎の血を口にすると、僕が人間として感じている自己満足的な罪悪感なんか軽く吹き飛ぶくらい。全て、その為だと思えるくらい。この味を知ることができて、遠い先祖を恨むどころか、感謝してしまうくらい、そのくらい美味しい。
「口ん中切ってうっかり飲んじまうと気持ち悪いのに」
僕も、そんな経験はある。
戦闘の最中に口の中を切って広がる自分の血の味……不快なだけだ。吐き気しか感じないのに……。
黒崎の血は、特別なんだ。
「すごく美味しそう……甘くて……黒崎の血の匂い」
期待に鼓動が弾んでいる事を僕は自覚していた。
僕は、これから噛み付く場所に、そっと舌を這わせた。
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20111010