Full Moon 03








 昔、先祖の誰かが吸血鬼だったらしい。



 そんな荒唐無稽な話をしたのは、父親だった。

 いくら酒を飲んでいたからとは言え、中学生相手に冗談を言えるような人だったか甚だ疑問に思ったが、僕にとってどんなに権限の在る人の意見だったとしても、吸血鬼だなんてさすがに僕は理解の範疇を超えていた。
 自分が滅却師としての血統を汲んでいる事すら常識的でないのに、その上に吸血鬼だと真顔で言った父親の真意を計る気も無かった。先祖の誰かが吸血鬼だったらしくて、満月になると、血が欲しくなるのだそうだ。いちいちそんな馬鹿げた話に付き合いたくもない。

 

『へえ。血が欲しくなるって、血を飲まないと飢えて死んだりするの?』

 夜中にやたらと喉が乾いて水を飲もうとリビングに行った時に、いつの間に帰って来ていたのか、ソファーでアルコールを飲んでいた父親に会った。

 まともに顔を合わせるのも二週間ぶりぐらいだと言うのに、そんな話題を持ち出した父親に、僕は呆れと、酔っ払いへの投げ遣りな同情を向けただけだった。それ以上何を思う必要がある?


『いや、ただ欲しくなるだけだ。生物としてはヒトなのだから、特に何もない。ただ我慢すればいいだけだ』


 あからさまに、馬鹿にした質問に対して、真面目に返された時は、酷い脱力感を覚えた。僕がちゃんと聞いているとでも思ったのだろうか。



『……そう』


 理解などできなかった。できるはずもない、そんな馬鹿げた話があってたまるものか。父の目の前のウイスキーの瓶は半分が空だった。僕は見たことがないから、今日買ってきたのだろう。その他にも缶のビールが何本か転がっていた。どれだけ飲んだのだろうか。

 疲労が溜まっていた所にアルコールを入れたのだろう。父親はもう半分以上夢の中に在るのだと思い、早く会話を終わらせて布団に戻りたかった。


『解らないままであれば……きっとその方がいいのだろうが』


 その時に、珍しく父親の笑みを見た。本当に珍しいものだった。年単位で久しぶりだ。
 それは自嘲的なものではあったが。



 その時は、早く布団に戻りたかった。
 喉が渇いていたけれど、水を飲んだら少し落ち着いた。

 その時は、確か、父は部屋の明かりをつけていなかったのを覚えている。やけに大きな満月が眩しかったことも……。









 満月は血が欲しくなる。
 そんな馬鹿な話など忘れていた。ずっと思い出すつもりもなかった。




 それを理解したのは、本当に最近。

 あの話が本当だとすれば、我慢すればそれでいいらしい。
 遠い昔の先祖の誰かが吸血鬼だったとしても、それは遠い昔の何代も前の話だから、もう人間としての血液が濃いから、そのまま我慢すればいい話だって。その時の欲求が少し残っているらしい。
 別に血を飲まなくても生きていけるし、ニンニクも食べれるし十字架も持てるし、寿命だって少し長生きする事があってもギネスに載る程でもなく、確かに父親は少し若作りじゃないかと思っていたけど、そのくらいで……ほとんど人間なんだけど……




 ただ、満月には、血が欲しくなるって………





 吸血鬼だなんて、御伽話にしても趣味が悪いと思っていたけど。


 実感せざるを得なくなった。


 乾く。
 乾いてこのままカラカラに干からびてしまう ような気がする。


 甘い、匂い。

 我慢すればいいらしい……どうやって、我慢すればいいのかなんて、僕は聞かなかった。今更、聞けるはずもない。あの時父が話しただけだ。それ以外は何も知らない。知りたくもない。




 この匂いは、黒崎の血の匂いだ。


 霊体の抜けた黒崎の身体。
 服の間から、皮膚が覗く、黒崎の首が見える……もっと近づいて匂いを確かめたくて……僕は顔を近付けて……


 もっと近くでこの香りをかいでみたくて……









 ぱちりと



 黒崎の目が開いた。














20111007