教室には、もう誰も居なかった。当然だ。最終下校時刻が近い。陽が短い時期でもないけれど、そろそろ東の空は暗い青になってきている。
僕達はあれからもう一度だけ抱き合って、一護は僕の中に熱を出した。それから二人で教室に戻った後、一護は意識を閉ざした。椅子に座って、声をかける間もなく、眠りに戻った……。
こうして、机に伏してただ寝ているだけの能天気そうなオレンジの頭は黒崎なんだろうか、まだ一護なんだろうか……触れたい、とそう思ったけれど、もう一度だけ、一護に触れたいと思ったけれど……前回の経験からすると、そろそろ黒崎の意識が浮上してくる頃合いだろう。
別に、黒崎に触りたいわけじゃない。
荷物を纏めた鞄を、乱暴にわざと音を立てて机に落とすように置くと、その振動で黒崎は、驚いたように身体を起こした。
「っ……!」
黒崎は驚いたように顔を上げて、すぐに焦点を僕に合わせて、それからしばらく僕を見ていた。
「あ……俺、また寝てた?」
「…………そうだね」
冷たく、声に出来るだけ温度を込めずにそう言うと、黒崎は本当にバツの悪そうな顔をした。
「悪い」
君は、本当は何一つ、謝るようなことはしていないんだ。
でも、君はそれを知らなくていい。
黒崎は悪くない。
君には何の関係もない。君は関係しないでくれないか?
「じゃあ、僕は帰るから」
「待てよ」
嫌だよ。
そう思って、僕は先に教室を出たけど、黒崎が廊下を走って、僕に追い付いた。
ついて来なくていいのに。
「なあ石田。もしかして、ずっと待っててくれた?」
隣を歩いて良いなんて、言ってないのに。気安く声なんてかけないでくれよ。
「まさか」
黒崎の何か言いたげな視線は気になったけど、敢えて僕はそれに気付かないふりをした。
もし何か質問を投げられても、僕は何も答える事はできない。答えてあげる義理もない。
黒崎の家は、正門を出て、僕と反対側のはずなのに。
何で着いてくるんだろう。
「寄り道」
……別に、訊いてないのに。
身体がだるい。前ほどじゃないけど、初めての時ほどじゃない。初めての時よりも、僕は一護を受け入れる事に少しは慣れたようだ。でも、身体がだるい。早く帰って寝たい。それでも黒崎だけには、弱味を見せたくない。
黒崎が、嫌いなんだ。
僕のコンプレックスを刺激し、自分が、矮小な存在だと再認識させられる。何の役にも立たないと、価値がないと、そう無意識に思う。それが事実であることは解っている。黒崎は、その目を背けたい事実を僕の眼前に突き付ける。黒崎の正義は正しすぎて痛い。
だから嫌い。
だから僕は黒崎が嫌いなんだ。
何で、着いてくるんだろう。
さっさと帰ればいいんだ。黒崎は自分の場所が在るはずなのに。
道を歩く。なるべく早足で歩く。空が暗くなってきた。街灯がついた。早く帰りたい。僕だけの空間に閉じこもりたい。
「なあ……」
「何?」
「石田はどうやったら笑う?」
不思議な、質問をされた。
別に、感情がないわけじゃないんだ。テレビが面白ければ笑うことだってある。ふだんは仏頂面をしているけれど意外にも感情と表情が直結している黒崎ほどに喜怒哀楽を表面化させる事を、僕はあまり得意としないけれど、別に、面白ければ笑うことだってある。何が、面白いのか訊かれても、それはよくわからないけれど。
「そうだね……君が僕に負けたら笑ってあげるよ」
「……じゃあ俺、負けでいいわ」
この場合、僕はどうすれば良いのだろう。
黒崎は、僕に笑えと?
黒崎に笑えば、満足するのか? 頬の筋肉を少し持ち上げれば良いだけだ。僕は学校ではあまり笑わないかもしれないけれど、そのくらい、いつでもできる。
「馬鹿じゃないか?」
「うん、馬鹿でいいや」
黒崎が、わからない。
何で僕に取り入ろうとするんだろう。なんで、僕に話しかけてきたりするんだろう。近寄らなくて良いのに。
嫌いなら嫌いのままで良いじゃないか。頼むから僕のそばに来ないでくれ。
君の、温もりすら感じるような強い霊圧は、僕の神経まで乱されるような気がして、苦手なんだ。近くに君が居るのが、嫌なんだ。
僕は、君を憎んだままで居たい。
「石田、笑ってくれよ」
「君の頼みなら………断る」
黒崎が喜ぶことはしたくない。
もし黒崎が望む事は僕の幸せだと、そんな偽善的な事を言うなら、僕は望んで不幸になる。
僕は、君が嫌いなんだ……黒崎。
「……そっか」
黒崎が辛そうに笑った。
それを見て、僕は痛みを覚えたのは、何故だか解らなかった。
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20110712