チャイムが鳴って、終礼が終わった。一挙に教室内の空気は活気付き、部活に行く生徒も、帰宅する生徒も、鞄を持って立ち上がり、散り散りに教室を出ていく。
いつも通りの放課後の風景。
今日の日直が、授業でそのままになった黒板を拭いていた。
今日は、洗濯物をしたいから部活に出ずに帰ろうと思う。幸い晴れている。風も少し強めで、昼間の日差しは強かった。夜に洗濯物を外に出しているのはあまりいい気分ではないが、ここ数日やる気が起こらずにすぐに布団に入るから溜まってしまった。今日であれば朝には乾くだろう。部屋干も限度があるし、浴室乾燥機を使うと電気代も馬鹿にならないし、妙な匂いがする。
ようやく、現状に慣れてきた。状況に戸惑い、どうしていいのか解らなく、僕が立ち止まっているからと言っても、何も考えていなくても生活をしていれば洗濯物は毎日たまってしまう。
今日は買い物もない。最近、食欲があまり出ないから、買出しに行かなくてもまだ間に合うだろう。無くなってからでいい。ついでに空にしてしまい、冷蔵庫の掃除でもしてしまおうかと考える。数日、何もできなかったけれど、何もしないと色々と考えてしまい、よくない。家の掃除でもしよう。
さっきまで皆居たのに、教室にはもう半数の生徒しか居ない。数分も経っていないはずだ。僕も、早く帰ろう。荷物を纏めて立ち上がりかけた。
その時、黒崎が僕を呼び止めた。
「石田、さっきの数学、設問5教えてくれ」
「嫌だよ」
戻ってきたのは感じていた。
本当に数分前だ。少し遠い場所で虚が出たのが、六限目始まってすぐ。たいした霊圧じゃなかった。黒崎が到着して虚を倒したのも十分とかからなかっただろう。その事に驚きはしなかったが、魂葬に手間取っていたのか、戻ってきたのはついさっき。
本当は、黒崎が戻ってくるまでに、帰りたかったんだけれど。
嫌だと、そう、言ったはずだ。聞こえなかったとも思えないが、黒崎は僕の肩を押して、再び椅子に座らせて、前の椅子を反転させて座り、数学の教科書を広げた。
五限の授業中に虚が出て、黒崎が出て行った事には気付いていた。ちょうど、設問5のあたり。それから設問8まで黒崎は居なかった。戻ってきたのも本当についさっき。
「頼む! 明日の昼飯奢るから」
「……要らない」
「じゃあ、飲み物もつける!」
「いいよ、別に」
「このAとBがイコールだろ?」
いいよ、って肯定の意味ではなく、要らないって意味だってことぐらい、文脈上からは判断できたはずだ。
人の話、聞けよ。そう、言おうと思ったけど、そんな事で言い合うのも面倒だ。それに、設問5はそんなに難しい部分でもない。黒崎ならすぐに理解するはずだ。
僕は、鞄の中からさっきの授業のノートを取り出す。
「はい。ノート貸してあげるよ。次の授業までに返してくれればいい」
さっさと帰ろうと、立ち上がりかけた。
「なあ、使う公式って、これでいいの?」
「それじゃない、こっちだよ」
「あ、そっか。じゃあさ……」
……気が付いたら、結局教える羽目になっていた。
黒崎は強引だから、他人の気持ちを考慮せずに、自分が正しいって思ってることをそのまま行動に移す性格だって知っているけど。
嫌いだって言ったのに。
僕は、君が嫌いだって、ちゃんと言ったんだ。
それなのに黒崎は、最近急に、接触を持ってきた。
僕が、一日休んでから、次の日から。
大した話じゃないのに、話しかけてきて、どうでもいい話をする。休憩時間は本を読む時間なのに、黒崎が話しかけてきて、なかなか進まない。
お昼も、弁当を一緒に食べようと誘われる。断っても、僕に用がないと解ると、腕を引っ張って屋上に連れて行かれる。誰かと一緒に食事をするのは慣れていないから。
困る。
黒崎の押し付けがましい好意は、すごく困る。
黒崎は、設問7の図形を自分のノートに書き取りながら、首を捻る。
「黒崎……」
何で、黒崎は僕なんかを好きになりたいだなんて言うんだろう。苦手の克服だって?
無理しないでよ。苦手なものは苦手でいいじゃないか? 嫌いな食べ物があったとしても、食べなくても生きていける。君と僕は仲良くならなくても、程よい距離感……接点のないクラスメイト程度の関係であれば、うまく付き合えると思う。卒業後は、きっと二度と会わないくらいの関係がちょうどいいと、僕は思っている。
「黒崎……解ってると思うけど……」
「ああ、俺が嫌いなんだろ?」
黒崎は、ノートから目を離さずに僕の言葉の続きを言った。
解ってるなら……何で、黒崎は僕に話しかけるんだろう。井上さんにでも教えて貰えばいいんだ。茶渡君も教え方が上手いか下手かは想像もつかないけど、テストの順位はいいはずだ。
「君も努力しなくていいよ」
無理に、僕を好きになろうとしなくたって、良いんだ。
互いに嫌い合って居ても、何も困らない。滅却師としての力を喪失した僕には、君と接点なんか、どこにもない。僕はもう、一緒に戦う事すらできない。霊圧だけは異常に強く、でも僕は虚を滅却できない。それは、引け目でも負い目でもなく、ただの黒崎への僕の妬みだ。
「それは俺の勝手だろ?」
迷惑なのに。
君のその僕に対して無理矢理作る好意には、反吐が出る。
君を、嫌いなんだよ。僕は、君が嫌いだ。
思い出してしまう。
どうしたって思い出してしまって、心臓がキリキリと痛む。
嫌だ。
黒崎が笑う度に不快になる。
黒崎の笑顔は、裏がない。心をそのまま表情に投影したような笑顔を作る。
この笑顔は、黒崎にしかできない。それが嫌いだ。
それに、黒崎が近くに居ると、どうしても思い出すんだ。
彼を………一護を。
二週間、経った。
記憶は少しも磨耗しない。
まだ、退色せず鮮明に覚えている。
『お前だけは俺を忘れないで』
僕は、一護に会いたいと……思う。
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20110520