黒崎の声で……顔で……忘れるなと、一護は言った。
でも、黒崎じゃない。黒崎の声も、顔も一護なのに、でも黒崎じゃない。
あの言葉がどんな意味を持つのかを知りたい。忘れるはずなんて、ない。できない。そんな方法があるなら教えて欲しい。僕がもう忘れることなんてできないのは、刻み付けた一護が一番良く解っていると思うのに……。
あの時の彼の苦しげな顔を思い出す。
僕も苦しくなってしまう。
忘れないから。
忘れられないから。
忘れたいとは、願う。叶うはずがないけれど。
一護の、あの言葉を思い出すと苦しい。だから、この胸の痛みから解放されたい。心臓が握りつぶされるような、そんな気がするんだ。苦しくて泣きたくなる。
黒崎と、同じなのに……。
声も、顔も、指も、全部黒崎なのに………。
会いたいと、思う。
あんなに痛め付けられて、僕のプライドを叩き壊した相手に……僕は、それでも会いたいと思う。
会えば何故か解る気がする。きっと、確信が持てる。
黒崎は、教科書にアンダーラインを引きながら、首を捻っていた。
「どうしたの?」
しきりに黒崎が首を捻るのが気になった。さっきから、黒崎は、首に手を置いて、首を左右に回したりしている。不快なほどではないけれど、肩が凝るようなこともないだろうと思うから、黒崎の行動は少し気になった。
「ああ、昨日オヤジがヘッドロックかけてきたから」
「……へえ」
気になりはしたが、結局どうでもいい情報だった。
「酷いんだぜ、昨日……」
シャーペンを指先で器用にくるくると回しながら、黒崎は話し始める。話題は家族の事から、昨日見たテレビの話しに変わる。僕は見ていなかったし話題も興味をそそられるものではなかったので、適当に相槌を打っていた。
黒崎が勝手に話すから、黒崎の家の事情はだいぶ把握した。聞いているつもりはなくても、勝手に情報は入ってきてしまった。
父親と妹二人の四人家族だという。
家族の事を話す黒崎の表情は、柔らかい。
僕の家と違う。
僕と違う。
全部違う。
恵まれて生きてきたんだ。
黒崎は愛されて生きてきたんだ。だから、無条件に他人に好意を向けることに寛容なんだ。
好意は返ってくると思っているのか?
愛されるのが、当たり前だと思ってるんじゃないか?
彼は……一護は……そんな、事を思っていなかった。その点で、僕は黒崎よりも、彼に共感できる。
そう思う事は、彼に対して勝手にそう思ってしまうことは、僕も黒崎と同じことをしているのかもしれない。他人を否定するのも肯定するのも価値を判断するのは、こちら側からの一方的なものだ。きっと一護はそんなこと僕には望んでいない。
でも、僕は黒崎よりはきっと、一護に近いと思う。そんな事を考えた。
馬鹿らしくて、思わず自嘲的な笑みを溢した。
「お、笑ったな」
目ざとく黒崎が僕の表情を指摘した。
「………」
君の話じゃないよ。そう、言おうと思ったけれど、結局面倒になって表情を戻した。何の話をしていたのだろうか。
まだ、教室はざわついている。
女生徒が、雑誌を囲って黄色い声を上げている。
今度の休みに遊びに行く予定を立てているグループが、黒板のあたり。
他のクラスの生徒が紛れ込んでいる。
掃除当番が、掃除用具入れに箒を戻していた。
日常の光景。
いつもの、教室。
雑多な空気に占拠されていた。
その空気が。
ぴん、と張りつめた。
急に、耳鳴りが聞こえるほど静かになった気がした。
ふと顔を上げれば、クラスメイトは、先程と変わらずに話しに夢中になっている………。
それでも急に空気が凍りついたように……音が遠い。
黒崎を、見る。
痛い。
霊圧が……ぴりぴりと、肌を刺す。
「………ぁ…」
「雨竜、何笑ってんの?」
目の前の、霊圧が……黒崎の物から、彼の物に変質した。
顔を見ると、一護は、笑って居なかった。
不機嫌そうな顔で、いつも不敵に笑っていた彼は、敵意をむき出しにして……僕を睨み付けていた。
瞳の色は、変わっていない。
それでも………一護、だ。
そんな事、解る。
「何で笑ったんだ?」
呼吸が詰まるほどの、霊圧に含まれた怒気を、何故か心地好く感じた。
僕に、一護がどんな物であっても、感情を向けた事が、嬉しかった。今、一護の目には、僕が映っている。一護は僕を見ている。それが、僕は嬉しかった。
それが何故かは、気付き始めていた。
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20110527