また、彼が……間違えるはずなんてない。霊圧も、人ではない、その闇色の瞳も……一護だ。
「雨竜、俺の事忘れちゃった?」
「……それは僕の記憶力を馬鹿にした発言か?」
そう言うと彼は笑った。
声を震わせないように、極力大きな声で話した。
虚勢は、これで精一杯だ。指先が、震える事すら、僕には止められない。
彼が、僕を地面に叩きつけた。這い上がる気力すら起こせない力で叩きつけた。起き上がる気力も出ないくらい、僕は惨めにもまだそこに在る。
そんな僕を見て、彼は楽しそうに笑っていた。楽しそう、だった。僕がこうして立っているのもただの虚勢で、本当は今にでも逃げ出したいぐらいに怖くて、それすらも出来ないくらい足が震えている。もし逃げる事が出来たとしても、僕はどこへ逃げていいのか解らない。
一護は、笑って、僕に、手を伸ばす。
「いい趣味してんな」
「何が?」
一護が、僕の身体に触れた。
胸に、触れた。シャツの上から。
さっき、黒崎が触ったような、そんな手付き……わざと、そうしているんだ。それは解った。
「……ぁ……」
「自分から触らせるだなんて、いい趣味してんな」
彼の指先は、シャツの上から、執拗に、僕の胸を擽る。指先で、円を描くようにして……。
「黒崎が、あまりにも馬鹿だったからね」
冗談のつもりだったんだ。
誰が、男の胸を触りたいだなんて思うんだ? 黒崎は、何がしたかったのだろう。未だに僕には理解できない。まさか、本当に僕を女だと思っていたわけでもないだろうに。
黒崎は、強引で猪突猛進で自分の中の正義には忠実な奴だけど、思考回路は単純な奴だと思っていた。それでも、黒崎が何をしたかったかはわからない。
ただ、それほど興味もない。本当は、どうでもいい。
今は、それよりも……逃げ出したくて。
また……あんな目に合ったら? そう思うと、怖かった。一護は、性欲じゃなくて、僕を虐げるための手段に使っているだけなんだ。そんな事ぐらいは、嫌でも解っている。それ以上の感情なんか、微塵もない。
僕が惨めに這いずる姿が楽しいのだろう。
僕は、何よりも僕のその姿を見たくない。僕が僕として認識している僕を壊されたくない。
「俺は黒崎一護だぜ?」
一護は、笑っていた。
さっきまでは、確かに黒崎だったんだ。嫌でもわかる。
あの謙虚さの欠片もない傲慢で大きな霊圧は、黒崎以外に居るはずがない。
一護の霊圧は……同じなのに……違う。
同じ成分なのに、色が違うような……空気が、針になったような……それでも、とても白いと、そう思った。
「君は、黒崎じゃない」
黒崎なんかじゃない。黒崎であるはずがない。
その断定に対して、一護は、ただ笑っただけだった。
「今はそう言うサービス無いの?」
震える。冗談のように言っているその言葉に、思い出す。
「君は以前、確認、しただろう?」
あの時、僕の身体は確認してあるだろう? 触っただろう、僕に触れただろ?
自分の言葉に墓穴を掘る。
自分で思い出した。
あの時の、感覚が蘇る。
身体が、震える気がする。
身体の芯に、熱がこもる。
僕の身体が自分自身で制御できなくなる。
怖い。
「じゃあ、また確認させてくんない?」
一護が、近くに居るから……彼の霊圧が、僕の肌を刺すから……肌に、感じてしまうんだ。
だから、少しでも距離を取りたくて……少し後ろにずれると、背に机があったから、その上に座る。
気圧されて、後退っただけな事を気取られないように、机の上に体重をかけた。
後ろがない。
これ以上下がることが出来ない。逃げないと。
逃げるとしても、どこへ逃げていいのか解らない。逃げたとしても逃げ切れるとも思えない。でも、逃げないと。また
捕まってしまう。
それでも、僕の身体は動かない。
「一護って呼べって」
彼の手が、僕の後頭部を掴んで引き寄せた。
近付いてくる……。
キスをされるんだろう。
前に、された時の感触を思い出した。こんなの接触なんだ、ただの……。
ふわりと、触れた。
柔らかい感触。
舌先で、唇をなぞる滑った感触。
むず痒いような、なんとも形容し難い感覚が身体中に行き渡る。
身体が溶解する。思考も溶解する。
歯列をなぞる舌先を追いかけるように、僕も彼の舌を舐めていた。息が苦しくなるくらいに、舌を絡める。唾液が溢れて、口の端を伝うのを、どこかぼんやりと自覚していた。
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20110302