熱に効く薬 03










 苦しい、本気で死ぬ。

 何とか顔を振って、黒崎の口を塞ぐ攻撃から逃げられたけど……この場合は、どうすべきか。とりあえず黒崎の顔でも殴った方が良いんだろうか。殺されそうになったんだから黒崎が僕に殴られても当然だ。それよりもやはり普通にトイレに行くべきだろうか。
 握った拳をどうすべきか、僕は取り敢えず躊躇した。

「……石田! 悪い! つい……!」


 つい、何だ?! つい殺す気か、君は!


「黒崎……」

 ようやく息ができるようになったけど、まだ呼吸が整わない。今、黒崎から第二段の攻撃をうけたらまずい。とりあえず、後で謝らせるから僕はトイレに行くよ。

 睨み付けることは何とか成功したけど、黒崎の視線は僕からそれている。

 黒崎が、視線を逸らしている……その、視線の先に。


 僕の足が、ある。黒崎の視線が、僕の足に向けられた……ああ、見られた……。


 僕の、秘密を見られた!

 というか、下着を見られた!! イチゴ柄のパンツを!

 恥ずかしい! 死にそうに恥ずかしい。いや、僕の趣味じゃないから! 違うから! 安かっただけだから! このパンツを見られるくらいなら、むしろ下着なんて着てないほうが良かったって思えるけど、いや、それはそれで嫌だけど、いや、もう……


 穴があったら入りたい!

 むしろ帰れ黒崎っ! どっか行ってくれ! 何も言わずに!




「石田……トイレどこ……?」
「え、玄関のところ……」


「……借りる」


 え?

 黒崎は少し前屈みになって、立ち上がる。
 そして、僕が目指していた僕のうちの一つしかないトイレに駆け込んだ……。




 え?

 嫌だよ、僕が行くんだ!

 どっか行けとは願ったけど、そこは僕が行きたい場所だ! なんで君が行くんだ。

 ……何だよ! 一体何なんだよ! 何の嫌がらせだよ! さっきから本当に僕に何をしたいんだ。トイレに行きたかったなら、嫌がらせする前に行けば良いじゃないか。いや、その前に僕が行くべきじゃないか?

 ま……まあ、今は黒崎も見てないから。
 今のうちなら着替えることも出来る。ユニットバスだから、洗面所でタオルを絞って身体も拭きたかったけど、そんな贅沢言っている余裕はない。すぐに出てきてしまうだろうと、汗をかいたシャツを脱ぎ捨ててパジャマに着替えた。少し、すっきりした。

 もちろん、パンツも履き替えた!
 ちゃんと紺の無地のボクサーに履き替えたから!

 にしても、黒崎遅くないか?
 お腹でも壊してるのか?

 病人の家に見舞いに来たどころか嫌がらせに来た挙句、家主を差し置いてトイレを占拠するなんて、どういった了見だ。

 どう、文句を言おうか考えるよりも、さっさと出て来い! 扉を叩いて催促しようと思った時に、ようやく水が流れる音がして……。

 ようやく出てきた黒崎と入れ違いに、僕はようやくトイレに入ることができた。



 もしかして、黒崎、トイレで僕のパンツを笑ってたのか?










 さっきからニコニコと……。
 なんだこの男は。


 トイレから出てきてスッキリして、とりあえず謝らせる前にシャツを洗濯機に放り込んできて、さて……。
 今のは一体なんだったのでしょうか?
 鼻の詰まった病人に対して一体どんな嫌がらせだ?
 僕は殺される所だったのか?
 そこまで君になにか僕は気に障るようなことをしたのか?

 でも、僕の下着に関しては完全にスルーしてくれて有難う。もしかしたらトイレで僕を笑っていたかもしれないと思うと、もう恥ずかしいやら何やらで……君が心の中に秘めておいて僕にも誰にも今後一生その事に関しては何も言わないと誓ってくれるのなら、僕もさっきの君の不祥事を不問にしてあげてもいい。

 僕も何も言わないから、お願いだから黒崎、何もつっこまないでくれ!

 という、僕の願いはようやく神に届いたのか、黒崎は何故かとても上機嫌だから……。


 もう、帰って良いよ。

「黒崎、大丈夫だよ、もう」
「そっか。なら良かった」

 ……帰れって、遠回しに言っても解って貰えないのかな……。ちゃんと帰れって言わないと僕の要望は通らないのか? さっきもさんざ頑張ったが、黒崎は僕の意図を汲み取ってはくれなかった。どこまで鈍いんだ。

 担任に頼まれたのかもしれないけど、わざわざ見舞いに来てくれたのは確かだ。薬を買ってきてくれたところを見ると、一応僕に対してのお見舞いなんだろう。別に黒崎の家は病院なんだから、市販の風邪薬とか買う必要ないだろうから、だからこの薬は僕に対して買ってきてくれたものだってわかるけど。

 なんだろ。何で黒崎はこんなに上機嫌なんだ?

 あれか? 僕が弱ってるのを見て、嘲笑ってたりすんのか? それとも、やっぱ僕のパンツを見て馬鹿にしてんのか?

 そう思ったら、なんか腹が立ってきた。



「なあ、石田。お粥作ってやろうか?」
「いや、いいよ」
「食わなきゃ駄目だぞ。薬飲むんだろ、少しは腹に入れなきゃ。台所借りるぞ」
「あ……」


 いや、違う。
 別に食べないんじゃなくて、作ってくれなくても大丈夫だって意味だから!
 そりゃ、黒崎が帰ってもわざわざ作る気ないけど。もう疲れたから寝たいんだけど。
 食べた方がいいってことくらいわかるけど、食欲ないんだからしかたないだろ? 食べないで解熱剤飲むと利きも悪いし胃も荒れるけど、とりあえず熱を下げたい。まだふらふらする。

 それに、台所は僕の聖域なんだから、あんまり踏み込まれたくないと言うか、できれば部屋にも来てほしくないと言うか。

 でも、別に、もう本当に帰ってくれていいよ。あんまり人の気配があるところで寝ることってないから、落ち着かないじゃないか。一人にしてくれて良いよ。僕はひとりが良いんだ。

「石田、寒くないか?」
「……大丈夫」

 黒崎は僕の布団をかけ直してくれたけど……なんのお節介だ? いや、黒崎にこんな風に僕は優しくされるようなことをしただろうか?
 もしかして僕がイチゴ柄のパンツを履いていたから哀れんでいるのか? もう脱いだよ!

「黒崎?」
「ん?」
「あ、いや……」

 今度は寝たいから出て行けと言いたいけど。

「今、今日の授業のノート作ってるから、終ったら帰るから」

 あ、放っておけば、帰るんだ。なんだ。

 でもノートは、とても助かる。別に授業に出て無くても高校レベルのテストなら問題なくクリアできるけど、授業で聞いていればそのままテストに出るから、いちいち教科書読み直す手間もなくなるし、正解率も上がる。ノートがあればその手間はだいぶ省ける。学年首位の座を明け渡すのはプライドとしてできない。

「ありがとう」

 って……言いそびれた。黒崎は僕の言葉を待たずに台所へ行ってしまった。

「石田、米どこ?」
「ちょ、米から作る気か?」

 米から作るって、つまりけっこう長い時間かかるだろ?

「だってさすがにレトルト買ってきてねえぞ」

 つまり、ご飯を炊いて、お粥を作って……って時間黒崎は家にいる気か? いや、もしかしたら鍋でご飯を炊く技術があるのか? いや技術も必要ないけど。そんなに良い鍋ないから、あんまり上手く炊けないと思うし。

「冷凍庫に炊いたご飯あるから、チンしてくれれば……」

 そもそも何で僕も作ってもらう方向で話を進めてんだ?
 違う帰ってくれって。

 早く帰って貰いたいんだけど。さっき慌ててパジャマ着たけど身体拭いてないから、やっぱり、黒崎が居なかったら身体ぐらい拭いて寝たいし。



「でも黒崎……」
「気にすんなって。親父に友達が風邪ひいたから看病してくるっつってあるし」

「じゃなくて」

「まさか、俺が作れるか不安なのか? うち母親いないから妹が風邪ひいた時は俺がよく作るから、粥だけは作れるぜ」

「えっと……」







20101027