黙秘権 02 |
しばらく黒崎の寝顔を見ていたけど、どうやら、黒崎は起きる気がないようだ。そして、僕も起こすつもりがない。
起こしてあげた方が親切なんだって解ってるけど、でもそのくらいの我が儘は許されてもいい、はずだ。少しでもそばに居たいから……こんな僕は自分でも嫌悪する。絶対に誰にも知られてはならない。
黒崎が死神で有る限り、僕は彼との馴れ合いを許容すべきではない。それは誰よりも、一番僕が解っている。
本当は黒崎の寝顔を見てるだけでも飽きなかったけど……。
黒崎の顔が好きなわけじゃない……いや、嫌いでもないけど。
近くに居て、感じることのできる距離に居るのが好きなんだ。その、存在感が、好きなんだ。
時計を見る。そろそろ、本当だったら、黒崎は帰る頃なんだろう。ここから黒崎の家は、場所を知っているわけじゃないけど、住所から、たぶん徒歩で30分ぐらい。
黒崎が家に電話をしていたのを見ている。帰宅予定時間も伝えてあった。それを近くで聞いていた。
別に、だって、寝てしまった黒崎が悪いんだ。
僕のせいじゃない。だなんて、責任転嫁して、そろそろお腹も空いたから、夕飯を作ろうと立ち上がった。
とりあえずテーブルに突っ伏してる黒崎に毛布をかけておいた。
独り暮らし用の小さな冷蔵庫を開けると、いつもの倍以上の食材が所狭しと詰まっているのを見て、どうやって消費しようかと、げんなりする。
当たり前だ。
昨日も買い物したんだ。
今日、黒崎を家に呼ぶために、言い訳を作ったから、こんなことになってしまった。
黒崎が荷物持ちしてくれるのが、僕が勉強を教える代価だったんだし。しばらく卵焼きばっかになるんだろう。腐りやすい物から使わないと。冷凍すると味が落ちるけど、鶏肉は冷凍庫にしまっておく。
「何食べよう」
黒崎は、家に帰ればご飯がある。黒崎の分まで作ってやる必要はない。
さっきの電話。黒崎が遅くなるって言ってたのは当然聞いていたけれど、向こうの声までも聞こえていた。高い声で……きっと妹さんなんだろう……じゃあ冷蔵庫に入れておくからチンして食べてね。って言っていた。
黒崎は家に帰って、家でご飯を食べるんだ。
だから、黒崎の分まで作る必要は無いんだけど……。
僕は、気が付いたらいつもの倍の量を作っていた。ご飯も冷蔵庫にたくさん作り置きがまだあるのに。疲れている時とか、解凍すれば良いようにしてある。まだ、あるのに……。一人用の炊飯器で炊けるだけ……三合も炊いていた。
黒崎が食べるわけじゃないけど、もし食べるなら、と思うと。いや、でも食べない。だからこんなに作る必要は、ないんだけど……。
多めに作っておけば、明日、朝作らなくて済む。解凍すれば食べれるご飯の作り置きはいくらあっても困らない。お米が切れて、買いに行くのが面倒な時だってあるし。冷凍しておけば、味は落ちるけど、いつか食べるんだ。
なんて……僕は誰に対して言い訳しているんだろう。
別に、そんな事黒崎に訊かれるはずもないのに。
ご飯を作り終わっても、黒崎は寝続けていた。
しかも、テーブルに伏して寝ていたのに、今は床に転がってる。
フローリングなんだから、身体痛くなっちゃうよ。
毛布をかけ直したけど、それでも起きる気なんか無いし……。よっぽど疲れてるんだろう。
僕の近くで寝ているだなんて、警戒心とか、無いんだろうか。
だらしない顔で寝ているし。起きる気配無いし。
今なら、君を殺せるよ。能力使わなくても、今なら簡単に殺せるよ?
知らないの?
――僕は、死神を憎んでいるんだ……。
警戒心なんて、まるでない。警戒してたら寝てるどころじゃないから。
だから、僕に、警戒心を解いてくれているんだ……と思うと。
嬉しかった。
……嬉しいだ、なんて。
思う自分が嫌だった。
どうせこんな感情は正しいはずがない。
死神である以前に、黒崎は女じゃないんだし。
強い霊圧に引かれただけだ。恋なんかじゃない。
どうせ執着と言う名の、ただの錯覚なんだ。
僕はそれを知っているから、この気持ちに名前すらつけたくない。
それでも、僕は君が近くに居るのが嬉しい。悔しいけど、本当に……僕は君が好きなんだ。
僕は、黒崎を起こさないようにそっと風呂に入った。
風呂に入っている間に、黒崎が起きるかもしれないけど、何も言わずに出ていくような礼儀知らずじゃないはずだから。だから、黒崎が少しでも僕の近くに居るように、少しでも黒崎の霊圧が感じられる距離にいてほしくて……僕は、いつもよりゆっくり風呂に入った。
のにっ!
なんで、まだ寝てるんだろう……。
警戒心が無いにも程があるんじゃないだろうか……。
別に、殺すこともないし、寝てる顔に悪戯書きしてやろうと思う事もそんなにないけど……。
僕は、滅却師であって、黒崎は死神で、僕は死神を憎んでいて……。
それを忘れられてるなら……少し、いや、だいぶ……かなり、寂しい気もするけど。
それに、そろそろ、流石に帰らなきゃまずいんじゃないだろうか……。
別に塾に通っている学生はまだ今授業中な時間で、深夜ってわけじゃないけど……。
歩いても帰れる距離だから、別に良いけど、でも。
二時間も………床で寝てて。寒い時期じゃないけど、風邪ひかないかな。
「黒崎?」
さすがに可哀想な気がするから、声をかけたら、黒崎が作る毛布の小山は身動ぎをした。
ようやく、ぼんやりと淡い色彩の目を開いて天井を見ていた。
「黒崎、起きたの?」
ようやく……だらしない顔つきのまま、黒崎は起き上がって僕の顔を確認した。
「わり、寝てた」
まだ、半分ぐらい寝てるようで、声も何だか寝起きの声。
「起こしてくれりゃ良かったのに」
「起こしたよ」
嘘だけど。
少しでも、君が僕のそばに居れば良いと思って。
君が警戒心もなく僕の家で寝てくれているのが嬉しくて。
そんな事言えるはず、ない。僕も言いたくないし、黒崎だって聞いたって困惑して迷惑するだけだ。
僕の心を誰にも知られてはいけない。
嘘をつかないのは強い人間のすることで、僕みたいな卑怯者はこうやって平気で嘘を吐くんだ。
「……悪い」
バツの悪そうな顔をしながら、黒崎は僕に謝ったけど、謝られる事なんて、本当は何一つ無いんだ。
「今何時?」
「七時半」
「マジかよ……二時間も寝てた?」
二時間も、僕は起こさなかった。二時間も、君は僕の近くにいた。黒崎は、きっとそんなことには気付かない。ただ、自分が寝てたって、その失態だけなはずだ。だから、僕の気持ちの露出はどこにもない、大丈夫だ。
君の、近くに居たかっただけなんだ。そんな僕には、黒崎が気付くはずなんてない。大丈夫。
情けない自分に、ため息すら漏れる。
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090419