黙秘権  03











 でも……終わりだろう。僕が楽しいと感じていた時間はそろそろ終わる。
 だってもう、黒崎は帰る時間だ。居て欲しい、そんな事、言えないんだ。

「どうする? 帰るよね?」
「いや」
「まだ居るつもり?」

 僕は、構わないけれど、黒崎は帰らなくて、大丈夫なのだろうか。
 一般的な家がどういうシステムから知らない。今僕は独り暮らしだし、中学時代に父親と暮らした実家は、一般的な家庭とは程遠い事ぐらいは、知っていた。家は広かったから、自室にいると、父親が帰ってきているのかすらわからなかった。家の中でも会う事はなかった。

 黒崎の家は病院みたいだし、まだ小学生の妹さんだって居るんだから、ちゃんとしているんだろう。



「もう少し教えてくれ。お前が嫌じゃなけりゃの話だけど」



 僕は、君が近くに居るのは嬉しいんだよ。嫌なはずなんかないんだ。

「僕は構わないけど……ノート持って帰ってもいいよ。月曜日に返してくれればいいから」
「そりゃさすがに、悪いって」
「土日は他の教科勉強するから」

 実際、家じゃほとんど勉強しない。授業中に教師の話を理解できて聞き漏らさなければ良いだけの話だ。さすがにテスト前は教科書やノートを読み直したり、問題集をやってみたりするけど。
 近視で眼鏡をかけていると、がり勉ってイメージがあって困る。知らない知識を吸収する行為は嫌いじゃないけど、だからと言って勉強が好きなわけじゃない。

「いや、でも……」
「やっぱ、俺、邪魔か?」

 邪魔、なわけじゃない。
 基本的に、僕は黒崎の近くに居るのが好きなんだ。黒崎の霊圧に触れて居るのが好きなんだ。探らなくても感じることができる距離……。

 霊圧に温度があるわけでもないのに。
 黒崎は、とても暖かい。
 陽射しに似ている。

 包まれるような、そんな気がするから……。


「ぶっちゃけて言うとね。お腹が空いたんだ。君は家にご飯あるだろう? 一人で食べるのも、気がひけるし」


 でも、これは本当。
 そろそろお腹が空いた。大食漢ではないけど、毎日同じ時間に食べている。それに僕だって成長期の高校生なんだ。そろそろお腹も空く時間だ。
 勉強を教えていた脳味噌はブドウ糖を欲しがっている。解りやすく教えるって意外と難しいんだって事が解った。

 黒崎もお腹が空く時間なんじゃないかと思う。僕の食欲は一般的だけど、黒崎は、昼を食べる量を見る限り、運動部の男子生徒と同じぐらいよく食べていたから。



 そう、思った時に、黒崎のお腹が、ぐうって派手に音を立てた。

「………黒崎も、少し食べる?」

 黒崎自身も感情がすぐに顔に出て、解りやすいけど……お腹も解りやすい。
 そう、思うと、面白かったから、つい笑ってしまった。


 から、だと思うけど。
 黒崎の顔が少し強ばった。

「何?」

 それから、不自然に視線が外された。

 気に、障ったのだろうか。確かにお腹が鳴って笑われたらいい気分がしないはずだから……。
 謝ろうかとも思ったけど……。

「えっと、飯……いいのか?」
 少し言いにくそうに、黒崎が……食べたいって。
 もしかしたら君が食べるかもしれないから、少し多めに作ったんだ。
 ………なんて、言えるはずがない。

「一人分しか作ってないから、あんまりあげないよ」





 意地悪かなと思ったけれど……でも、そう言って置いて良かったかもしれない。
 僕は目の前で、流し込むように黒崎の口の中に消えていくご飯を呆気に取られて見ていた。
 多めに作ったのに僕の分がなくなるんじゃないかと思うぐらいに、気持ちが良い食べ方だった。三合までしか炊けないけど、三合炊いておいて良かった。二合じゃ足りなかった、絶対。

 美味しいかどうか、訊きにくいけど、黒崎の食べ方を見ていて、わかる、きっと不味くないんだろう。口に合えばいいんだけど。

「すげえな」
 ふと、黒崎の箸が止まった。僕は口に入れたものを飲み込んでから、返事を返す。タイミングは少しずれるけど。
 誰かと一緒にご飯を食べる事なんかないから、いつ喋って良いかとか、よくわからない。

「何が?」
 すごいのは君の食欲だよ。

「お前、いつでも嫁に行けるぞ」
「嫁って……」
 どういう意味だろうか考えてみたけど。きっと、黒埼なりの褒め方なんだろうけど……。
「誉められてる気がしない」
「褒めてる褒めてる。すげえ旨い」
 そう言って、黒崎は、こっちが恥ずかしくなるぐらいの満面の笑みを僕に向けた……

 ……美味しいって。僕が作った料理が美味しいって。

 言われた僕は、にやけてしまいそうな顔を引き締めた。

 今日煮物は自信作なんだ。煮物は得意なんだ。大根は下湯での段階で出し汁使ったんだ……とか、言わなくても良いような気がして。


「…………そう」
 結局、何も言えなかった。

 ただ、嬉しくて……有り難う、って言えば良かったんだろうか、って気付いたのは、僕が食べ終わって、片付けをしてる時。












 食べ終わって、片付け終わって、珈琲を入れて……。

 勉強を再開した。黒崎は、教えれば教えた通りに飲み込んでくれて、優秀な生徒だった。さすが、いつも二十位以内に入ってるだけはある。
 僕が教えたことをすぐに理解してくれるのも嬉しいし、やっぱり……さっき、ご飯が美味しいって言われたのも、嬉しかった、ようで……。黒崎が問題を解いている間、言われた台詞を思い出す。
 自分で食べるためにしか作らないけど、料理は好きだし……僕は、だいぶ嬉しかったんだと思う。












090425