君の瞳に乾杯 06   


 









 ここには俺の幼馴染の銀時ではなく、斬って命を奪う事だけが意義の、鬼がいた。銀時だと知っているのに、これを俺は鬼だと認識している。
 鬼は、ゆっくりと俺に向かって手を伸ばす。その手は、そっと俺に触れた。

 隣にいた。
 もともと、手を伸ばせば在る距離に居た。振り返れば、すぐ後ろにいた事は、当然わかっていた。

 鬼の血で汚れた手は、俺の髪に触れた。
 返り血を浴びた。何度も斬った肉から吹き出した血は髪を濡らした。手触りはごわついて居るだろう。そんな俺の汚れた髪に、触れた。


「斬られた、のか?」
 切られてしまった。伸ばしていた、というわけではない。ただ昔から切ろうとも思えない髪の一部は不揃いに俺の肩のあたりで揺れていた。肩の傷はきっとその時についたものだろう。大した怪我ではない。

「ああ。そうらしい」

 鬼は、斬られた部分を握って掴んだ。短くなった一房は、肩よりも短かった。だから、鬼の手は俺の顔のすぐ近くにある。

 赤い瞳が、とても美しいから、俺はその色彩に釘付けになってしまった。俺は、鬼の目に敗北した。


 髪を少し、引かれる。

 赤い瞳が近づいて来ても、俺は逃げようとも思えなかった。逃げたいとも思えない。


 ゆっくりと、重なる唇に、疑問すら抱けずに、その感覚に恍惚となる。俺は、この鬼に囚われたいと、そう願っていた。

 柔らかい、暖かい、生きている皮膚が、俺の唇に重なる。

 押し付けられるように合わせられた唇。

 何度も繰り返されて。

「……ヅラ」


 鬼が俺の名を呼ぶ。不思議だ。銀時だと、解っている。これは俺の幼馴染の銀時だ。色々と子供の頃からともに育ち、性格が相容れない腐れ縁の友だ。
 
 それなのに……鬼が……俺を見ていた。その瞳の色は、魂が取り込まれてしまうような……真紅。これは、鬼だと俺は確信していた。
 これは銀時の皮を着た、俺が酔心する、誰よりも強く、負けることがない、決して死なない、鬼だ。

 きっと、俺は、鬼の瞳に呪われてしまったのだろう。鬼ならば、死なない。鬼の強さに死という概念を纏わり付かせること自体が無粋だ。

 鬼の瞳の紅に見つめられた、それだけで、先程と同じような、戦いのさなかのような、高揚感に包まれた。頭に血が登って、我を無くした。自分が自分であるという自覚が無くなりそうになるほど、其ほどに……。








 俺は鬼に抱かれた。戦場で身体を繋げた。この行為がどれほどに意味のない事か解っていた。むしろ、一刻も早く仲間と合流しなければならない状況だ。こんな場所で、こんな所で……敵の援軍が遅れてやってきたら? まだ息をしている敵がいたら? 仲間が戻ってきたら? そんな仮説は全てどうでも良くなる。

 あの赤い瞳に逆らうことなど出来なかったし、考えもしなかった。
 抵抗すらしなかった。したいとも思わない。

 鬼が望む事は、そのまま自分の願いだと勘違いしてしまいそうになる、いや、きっと俺の願いを鬼が反射するのだろうか。

 俺が求める強さを保持する、この鬼が俺の……




 鬼が俺を抱く理由を、何故かは考えなかった。ただ鬼が俺を求めている事は理解できたから、俺は鬼に身を委ね、明け渡した。敗北ではない。布施と同じだ。祈りと同じ意味を持つ。

 鬼は……戦いの時は、荒々しく、神々しいまでの存在感を放つ。
 戦場は鬼の導きで勝敗が別れるほどに、圧倒的な支配力を持つ。
 俺は、その鬼を崇拝に近い感情を込めて見ていた。
 俺にとって鬼の存在は、憧れ以上のものだった。


 鬼は、人を斬る。鬼は、強くて、誰もかなわない。俺も敵わない。

 俺の幼馴染は、優しい男だ、人など斬れない。やる気がないし、普段から死んだ目をしている俺の苦手とする種類の人間だ。
 銀時は幼馴染だ。俺の一番、何よりも大切な色をしている時期を共に過ごした友だ。掛け替えのない、代わりなど居ない、大切な男だ。
 俺の大切な、一番の根幹を握っている。記憶も、意識も、何もかも共有している幼馴染は、俺の大事な……だから、俺が守るんだ。
 俺が、守る。俺が守らなくてはならない。

 だから、銀時より、俺が強くなければならない。銀時に俺が負けるはずがない、俺が銀時に守られるはずがない。





 でもこの鬼は、違う。銀時ではない、だから、鬼なんだ。強くて、誰にも負けない、きっと、死なない。
 鬼だから、俺が負けてしまうのは仕方がない。鬼なんだ、銀時ではない。
 これは、だから鬼なんだ。銀時ではなく、白い、鬼。

 地に這うように並ぶ死体が、俺達が絡み合う様を見ていた。
 血の生臭い匂い。俺達の汗の臭い。風の流れ、夕暮れ時の空の色彩の階調、土の冷たさ、全てを死体が見ていた。

 素肌で触れ合い、俺を穿ちながら、赤い瞳は突き刺すような鋭さで俺を見ていた。











「俺、お前が居なくなんの、怖い」




「……」


「お前がいなくなったら、世界中全部壊しちまう」



 耳元で銀時の泣き声を聞いた。







20130209