「俺……お前が……」
そう言って涙を混じらせた声は、銀時のものだった……その事に、何故俺は気付けなかったのだろうか。
「俺は、お前が……」
「……」
銀時、と、そう呼ぼうかと思った。
開きかけた口は旧友の名を呼びかけて、止めた。
「お前は絶対いなくなるな……俺が壊れる……お前が必要なんだ……いなくなったら、ヅラ、が……居なくなったら……居てくんなきゃ駄目だ。傷つけられんじゃねえよ……お前が俺の傍を離れたら……許さねえ、怪我すんなよ、どこにも行くな。俺の隣居ろ……ずっとだ。離れるな……許さない、居なくなったら許さない。大事なんだ……お前がいなくなったら追っかけてやる、お前が必要なんだ……どこまでも追いかけてやる……お前が死んだら、それでも追いかけてやる……俺から離れないで」
鬼は俺を穿ちながら、俺の吐息の混じる声を聞きながら、何かを言っていた。
言っている内容は良く解らなかった。だが、仕方がない。銀時によく似た鬼なんだ。だから、違う。
銀時じゃない。
言葉で伝える必要などない。
「ああ……そう、だな」
好きだと、そう言ってしまったら、そうなのかもしれない。
きっと崇拝にも近い。信仰かもしれない。
憧れにも似ているが、もっと同質で距離がなく、当たり前というには現実味の帯びない、それでも空気のような手触りのない……感情というよりも、感覚。
そのどれもが近似していて、そしてどれもが少し違う。
一つだけ確実なことがある。
ただ、俺は焦がれているこの、強い鬼に、強く。
「さすがは狂乱の貴公子様」
死体の山に立ち俺は最後の一体から、刀を引き抜いた。この一体に転がる死体の中に、友と思っていた肉の塊がどのくらい居るのだろうか。俺を慕っていた部下と思っていた肉はどのくらいあるのだろうか、仲間は? どうなったのだろうか。不安は焦燥はすでに枯渇し諦観に近い感情が湧き上がる……もう、自分が解らない。
毎度の疑問は、もう飽きた。ここでは解らない、早く陣に戻り、本隊と合流し、現状を把握する必要がある。俺を動かすのはただ一つだ。理想と新年と志と……それらは結局は同質の未来だ。それだけがあればいい。あとは感情などなくとも計算だけで動くことができる。無いものは必要ではないからだ。重くて邪魔なものは切り捨てればいい……それは、果たして俺が望む俺なのだろうか。
感傷よりも、むしろ感慨だ。
理由など、必要がない。俺は俺が生きるためにこの道しか選べない。それだけだ。だとすれば、俺は前に進むしかない。
俺に声をかけてきた男も、同じようなことを思うのだろうか。
「……銀時か?」
確認をしたのは、まだ俺の身体が戦いの興奮で燻っていたためだった。まだ、収まらない、だからこの男も同じように、憤激の熱から冷めやらぬのではないだろうかと、とすれば……
目の前の男は、銀時だろうか……それとも?
ゆっくりと俺は振り返る。
期待を込めて、祈りのような願いを込めて、振り返る。俺は……、何を求めているのだろうか。
振り返った銀時は、まだ、戦いの後の興奮により、赤い瞳をしていた。赤い……血の色。
「銀時」
名を、呼んでみたが、俺はこの男を銀時だとは認識していない。銀時の外殻を為し、銀時の形をし、銀時と呼ばれる、銀時ではない、もっと強く、赤い、別の……鬼だ。
だから、俺はその瞳の色に吸い込まれる。ああ、敗北したと、思う。銀時には負けるまいと思っていた、思っている。敵わないなどとは思わない。
だが、これは鬼だ。今俺の目の前に立つ男は鬼なんだ。人と鬼、どちらが強いかなど明白だろう?
俺は近づいて、銀時の頬に触れた。銀時の頬だが、今は鬼だ。銀時の殻を持つ、俺の崇拝する強さを持つ、鬼……
俺の手が血で汚れていたが、銀時の顔も血で汚れていただから、構わない。
俺と鬼と、きっと同質なものだ。斬ることに特化し、それだけになる。俺も作戦を立て、敵を殺すために、編みを張り、追い詰め、鬼と同じように戦場で刀を振るい、殺すための道具の一つだ。
銀時ではない。銀時は、違う。銀時は鬼ではない、俺の幼馴染なんだ。
俺は鬼に近づいて唇を重ねる。
「積極的だな」
「そんな、気分なんだ」
鬼が望むことが俺の望みであるのではなく、俺が願うことを叶えてくれるんだ。
これから、この鬼は俺をどうするのだろうかと、そんな疑問も期も、そのまま俺に反射するように帰ってくるのだろう。
「で、足の怪我は治りましたかー? ちゃんと完治してからじゃねえと悪化すんぞ?」
「鬱陶しい! こんな場所で寝る奴があるか! 踏み潰させろ」
相変わらず廊下に寝転がり、俺の通行の邪魔をする銀時の瞳のその色は落ち着いている。今は、銀時だ。間違いようもない。
「あちー。なあ、ヅラ。お前の髪、見てて熱いから切って」
「解った。お前の目を潰してやればいいのか? いいから退け」
本気で踏みつけようと足を上げると、銀時は笑いながら、やめてーとふざけた声で悲鳴を上げる。
これは……銀時だ。間違いない、間違えようがない。戦場でのあの男は、一体誰だったんだろうかと、完全な別人に思えるほどに、不思議に思うくらいに……これはただの銀時だ。
興奮すると、銀時の瞳は赤くなるのだろうか。
俺も戦場にいる時、過度の興奮が錯乱を齎すのだろうか、自分がよく解らなくなることが多い。
今は、何故こんな男に抱かれてやったのか……あの時の自分が自分でも解らない。あの時はあれが正しいなどと思ってしまったのだが……本当に、一体何故だろう。
「なあ、ヅラ」
廊下に寝転がったまま、起きようとしない銀時を渾身の力で踏みつけようとした俺の足を捕まえて頬ずりした銀時に、このクソ暑いのに鳥肌が立った。
「……あと三秒でやめなければ、全力で踏む」
「…………さーせん」
ようやく、俺の足は解放された。それでも通行の邪魔をしたいのか、大の字で寝転がる態度には影響を及ぼさなかったようだ。
……だらしがない奴。本当に、昔から、何でこの男は……。
俺のため息は、今までの人生の中でいったい何度目になるのだろうか。
「ヅラが冷たい」
「暑いからちょうどいいだろ?」
「だってさー、またしばらく遠征だってのに」
そう、三日後から、また俺達は戦いに身を置く。
また俺達は戦に出向く。遠征ではあるが、比較的楽なはずだ。あちらの地方はまだ天人の進出も激しくはない。拠点も少ないだろう。
毎度のことだ。仕方がない。
これが、俺達が選んだ道だ。
何故こんな男に抱かれたのだろうか……今は、そうとしか思えないが……。
「そうだな」
戦場に行けば、あの白い鬼に会える。
あの赤い瞳に俺が映る。焦がれて、嫉妬して、崇拝している鬼が、戦場にはいる。戦場に行けば、俺は鬼に会える。
背にある鬼の力を感じながら……戦う、あの興奮は、あれ以上の興奮は、俺は、他に知らない。
「なあ、ヅラ」
「ん?」
銀時は俺の胸中を知ってか知らずか、とても楽しそうに笑った。
「俺、強いだろ」
「………」
「強くなっただろ」
「……ああ、そうだな」
「俺、てめえにだけは負けたくねえって、ずっと思ってんだ」
了
20130218
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