初めて会った時に、女神様かと思った 09 









 くぐもったような妙な音は、先ほど土方が脱ぎ捨てたジャケットから聞こえてきいていた。
「悪い、仕事の電話だ」
 ああ、携帯かと得心が行く。

 土方は忌々しげに舌打ちしたあと、ようやく俺の手を離し、ジャケットの上着から携帯を取り出すと、電話に出た。
「何だ? ……あ? ……ああ」
 やけに不機嫌で横柄な声音だ。今見ていた土方とは違い、俺のイメージ通りというか……やはりこれがいつもの土方か。あの後、土方は俺を屯所ではなくここまで連れてきたが……俺と居る間、報告などは一度も入れていないようだった。

 とりあえず、俺の手は解放された。捕まえられていたので逃げることはできなかったが……今が好機だろう。逃げるためには、今しかない……が、なぜ俺は奥に座ってしまったのだろうか……よほど俺が混乱していたわけではなく、既に観念していたからなのだが……今なら逃げることができる。だが出口の前に土方を通らねばならない。
 残念だが、少しだけ様子を見よう。そして、せっかくの機会だ、何か情報でも漏らしてくれればいいが

 土方は相変わらず不機嫌と威圧を隠そうともしない声音で携帯電話に向かい、相槌のようなものを打つ。もっと饒舌な男であれば、現在どのような状況下が把握できたのに。向こうから微かに声は漏れてくるが、内容までは伺えない。
 なんとか……せめて現状だけでも上手いこと情報を入手できれば良いのだがと思い、じっと土方の顔をみつめていると、観察対象がぴくりと眉をつり上げた。



「はあ、何、桂ァ?」
「っ!!」

 思わず、呼ばれてしまい、一瞬返事をしそうになった。

「桂がどうしたって? は? あそこに居たってのか? そいつ、通報しに来たやつだろ? 何だ? 逃げてきた奴だってのか? そいつがそう言ってんのか?」


 ……まずい。
 なんか俺の事、話してるっぽい。
 なんとか乗り切れるだろうか。どうやら、有り難い事に馬鹿だったので、この男は俺だとは気づいていない状況では、俺が逃げ果せることも出来るだろうが……。
 さすがに、俺を女だと認識していたとしても、今名前と共に俺の顔も脳裏に甦ってしまうのでは……それで、俺の顔を見られたら……。

 土方は携帯をパタリと閉じると、俺に向き直った……。まずい、な。

 顔を、見られているのは解るが、俺がこの男の顔を見ない事で相殺されない事はわがるが、流石に俺の心臓でも目を見て話すことなどできない。



「姉さん、攘夷浪士の桂小太郎、知ってるだろ?」
 ……俺ですが。

 あ……もしかして、大丈夫?


「もしかして、あいつ、あの場に居たのか?」
 この場にも居るが。


「桂が絡んでるとなりゃ話は別だ。思い出すのは辛いかもしれねえが、あったことを話しちゃくれねえか?」

 …………どうやって?
 騙しているつもりなどないが、土方が一方的に勘違いしているだけだが。今までも嘘は一ミリたりとも言ってない。何をどうやって言えばいいのだろうか。あの時あの状況で、土方が見たままが全てだったのだが。

 せっかくならこのまま知らぬふりを決め込もうと思ってはいるし、せっかく勘違いしてくれているので、させとくつもりだが。


 それに、今更どうやって俺だと明かせばいいんだ? この状態で俺だと明かして、まず、俺の趣味を疑われるのは嫌だ。俺は決して服装を倒錯する趣味は無い。このまま捕まってしまえば女装趣味があったともし噂になってしまえば……いや、もう捕まるのならば、いっそのこと俺の名前と事情を話せば、同情して服を貸してくれないだろうか。

 でも、もしこのまま……逃げられるのであれば、そのチャンスに賭けた方がいい。
 こいつは何やら色々ととんだ勘違いをしているらしいから、せっかくならそれに便乗させて頂く寸法だが。
 俺だと気づかないなら、そのまま近くにいて巻き込まれた女だと認識してくれていた方がいいに決まっている。


 が、なにやらどことなく気分が悪い……のは何故だろう。釈然としない。
 俺だと気付かれていないのは好都合だが……。
 だいぶ体力も回復したし、今であれば斬り合いになっても、逃げ切る事は五分五分……帯刀していれば逃げることもできただろうが、俺は今丸腰だ。刀を抜かれてしまえば無事に逃げ切る可能性は減るだろう。

 が、やはり何処となく腑に落ちない。

 本当に女だとしても心当たりがないのだろうか。今、俺の名前も上がっていたというのに、俺の顔を見て何も思わないのだろうか。
 あんなに熱心に屋根の上までよじ登って俺を追いかけてくるくらいのストーカーっぷりを披露しておきながら、顔も覚えて居ないとは、何だ、コイツは?
 ずいぶん立派な頭脳があったものだ。記憶中枢どうにかしてないか?

 好都合だというのに、逃げ出す好機をわざわざ先方が丁寧に作って下さっているというのに、憤りを感じるのは、一体何故だろう。

 ばれていないのであれば、顔をなるべく見られないようにしなければならないのは理解しているが……。

 節穴の間抜けの面をまじまじと見つめてしまう。



「………あんた、本当に綺麗だな」
 …………いや、ありがとう。お前は馬鹿なのだな。

「本当に、無事でよかった」
 俺が、ではなく俺が半殺しにした奴らがな。

「さっきは、本当に、倒れた男達のなかに一人で立っていて……本当に綺麗だったから、戦いの女神みたいだなんて思っちまったんだ」
 いや、二つ名は狂乱の貴公子で通っていて、間違えても女神ではない。

「初めて会ったのに、なんか初めてな気がしなかった」
 初対面ではないからな。


「こんな綺麗な顔に傷つけやがって……桂か?」
 そう………俺が桂だ!


「狂乱の貴公子だかなんだか知らねえが、こんな綺麗な顔に傷つけるなんて、許せねえ」
 貴公子なのに顔を怪我してごめんなさい。




「なあ、あんたが不名誉に成ることは伏せて置くから、頼む……俺に、話してくれ」

 そう言って、土方は真摯な瞳で語りかけるように……俺の手を握った。

 しまった、また捕まった!


「どうしても桂を捕まえたいんだ」


 今っ!
 捕まえてるじゃないか!



「なあ………」



 ……そんなに真っ直ぐに見られると、色々困る。
 困り果てた俺は、 腹の奥底からの溜息を必死で我慢した。







20121006